振り返った記憶の中の雪道でそいつはわずかに微笑んで言った。
『大丈夫』
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はっとして、目が覚めた。
ずいぶんと懐かしい夢を見たようだ。
原稿用紙が散乱した畳の上でいつの間にか眠ってしまっていたらしい。ギリギリと軋む体を時間をかけながら起き上がらせる。
「あー背骨痛てー。歳くったなあ、まったくよお」
起きていた時は明るかった窓辺が今はもう橙と紫のコントラストを描いている。
暗い部屋のなかで付けっ放しだったテレビが眩しい。
『投了!熊倉九段投了!宗谷名人、防衛成功です!』
騒がしい声と共に対局の結果が報道された。
アップで画面に映る幼馴染。
電話の一本でもくれてやろうかと思ったが、たぶん意味のないことだろうなと思ってやめた。
きっと今の彼に音は聞こえてないだろうし。
夜が更けていく部屋の中、見失った眼鏡を探しながら遠い箱根にいる友人のことを考えた。
皺になったワイシャツを気に留めることもなく立ち上がる。
とりあえず宗谷のばあちゃんに会いに行こう。
宗谷勝ったよって伝えて、前にお裾分けしてもらった佃煮のタッパー返しに行かなくちゃ。
髪を手櫛で整えて、上着を羽織って、靴を履く。
玄関を出ようとしてタッパーを忘れたことに気がついて、慌ててキッチンに戻る。
タッパーと、一昨日作ったきんぴらごぼうもついでに持って外に出る。
深まる夜に身震いしながら、徒歩5分の馴染みの家を目指して歩き出した。
苗字名前。
職業、小説家。
現在絶賛スランプ中。
抜け出せる予定は、未だない。