小唄都々逸なんでもできて お約束だけ出来ぬ人
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迎えにいってやってくれないか、と宗谷のばあちゃんからの珍しいお願いだったのでほぼ宗谷家のプー太郎状態である私としては、久方ぶりにまともにばあちゃんの役に立てると喜び勇んで京都駅まで車を走らせたのでした。



宗谷は名人戦で勝利をおさめた翌日、箱根でゆっくりしてきても構わないというのにさっさと新幹線に乗って京都に帰って来た。
さっさと、と言っても箱根から京都まではご存知の通り大変長い道のり。
流石の宗谷も地元に着く頃にはすっかりくたびれてしまったようだ。
京都駅で彼を出迎えた私は心なしか疲労の色が見えるそいつを見てちょっと笑った。
将棋の鬼やら神様やら言われるあいつも私と同じアラフォー。歳をとると疲れはなかなか取れなくなってくるもんだ。

ひひひと笑いながら宗谷に向かって大きく手を振る。
ぼんやり顔の彼と目が合って口元がほころぶ。
なんというか、宗谷といい宗谷のばあちゃんといい、マイナスイオンとか出てるんじゃなかろうか。
会うたびに実家に帰って来たような安心感を感じる。
今回は私が出迎える側なのだけど。

「おっかえりー宗谷。お疲れさんだね」
すこし驚いたような顔の宗谷と共に車が置いてある駐車場に向かう。
「名前、なんでいるの」
絶賛ヒキニート中だからだよいわせんな恥ずかしい。
…………なんてもちろんジョークだよジョーク、ハハ。

「ばあちゃんに頼まれてお迎えに来たんだよ、そろそろ駅に着く頃だろうからって」
ばあちゃんはすげえ。ばあちゃんに言われて出発して駅に到着してそう待たずに宗谷が出てきた。
予知能力でもあるのかってレベルで孫のことがよくわかってる。

宗谷の少ない荷物をトランクの中に突っ込んで、ついでに宗谷も助手席に押し入れる。
当たり前だが運転するのは私だ。
このぼんやり大将に運転を任せたら命がいくつあっても足りない。
というかこいつ免許持ってねーし。持たせる気もねーし。

「シートベルト締めろよー」と声をかけて運転席に回る。
そこから車の中を覗くと、宗谷が言いつけ通りにシートベルトを締めるのが見えた。
どうやら今の彼にはきちんと声が聞こえているらしかった。
安堵と共に胸の奥から実体のない不安が溢れてくるのを感じる。

いつからかこいつはストレス性の難聴という障害を抱えているらしい。

らしい、というのは他でもない私に実感が無いからだ。
耳が聞こえようが聞こえまいが、宗谷が危なっかしいのは昔からのことだし、人からの質問に的外れな返答をするのも相変わらずのことだ。
ずいぶん前から難聴を発症しているらしいが、私との会話に支障は見られない。
それどころかなんか最近に至っては付き合いが長過ぎてアイコンタクトで会話が可能になってきたし。熟年夫婦かよ。

そもそも宗谷自体あまり饒舌なやつではない。
そんなことだから多分他の人たちにはばれてはいないのだろう。
基本的には将棋盤とにらめっこしてるやつだし。たぶんこいつ友達少ない。

凹凸の少ない道を車で走らせる。
助手席で目をつむったまま宗谷は微動だにしないので寝てるかどうかもよくわからなかった。

「宗谷さーん、寝てるー?」
フロントを見つつ声をかけてみると、宗谷は少し身動ぎして「起きてる……」と返してきた。
そんなんだから実感が湧かないのだ。

「途中スーパー寄るからそれまで寝てていいよ」
傍目で宗谷が頷くのを確認して、ハンドルを切る。

音が聞こえない、というのはどんな感覚なんだろうか。
想像するしか出来ない私にはそんな世界が恐ろしいものに思えた。
しかしそんなものより恐ろしいのは。

(いつか私の声もこいつに届かなくなるのだろうか)

なんて取り止めのないとこを考えていたからか、通い慣れたはずのスーパーへの道をうっかり間違えかけた。