12 ありがとうさよならおかえり

「お、おひさしぶりです……三成様」
仰向けに転がったまま、阿保のように気の抜けた声しか出なかった。
無論三成様がそんな軟弱な返事に満足するわけもなく、
「貴様ァ!たかが十数年でそんなにも腑抜けたか!賭場に現を抜かす左近に劣るぞ!」
とまで言われてしまった。
戦場ならともかく賭場の左近に劣るとまで言われて黙っていられる私ではない。
さっきまでまともに動かなかった頼りない体に力を込めて起き上がる。
そして、改めて目の前の三成様と向かい合う。
この鋭いちょっと邪魔臭そうな前髪、三成様に違いない。
涅槃でありながら三成様は記憶の中のまま、細っこくて不健康そうだ。どうせならもっと健康的でいてもらいたい。これでは三途の川を渡っても刑部さんの心配事は尽きないではないか。

二人向かい合ったまま、黙り込む。
もしももう一度会えたら、彼になんて言おうかと、そんなことを一人思っては自嘲する夜を何度も繰り返した。
しかし、こうして実際に再会できたとき、言いたいことはたくさんあったはずなのに、案外言葉は浮かばないものだった。

「えーっと、三成様」
「どうした」
「……三成さま」
「だからどうした!」
どうしよう、三成様が変わらず三成様で、ただそれだけのことで、泣きそうだ。
くそ、涙腺死ねってぐらい歯を食いしばって、涙をこらえる。
ことば、言葉を必死に探す。
伝えたいこと、たくさんあったのに、何を言ったらいいのかわからなくて。

「みっ、みつなりさまぁ」
殺し切れなかった涙腺が氾濫して、私の頬を濡らす。

「っごめんなさい、三成様。わたし、三成様に、三成様にも、謝らなくちゃ、いけなくて」
約束を違えたこと、貴方と貴方の大切なものを守れなかったこと。
その敵(かたき)すら取れなかったこと、取ろうともしなかったこと。
私の生に意味はなかった。私の死にも意味はなかった。
何もできない私に価値はなかった。

「私にっ!意味などなかった!」
叫んだ瞬間間髪入れずにぶん殴られた。
拳でではなく、刀の鞘である。
それなりにある刀の重量と、三成様の神速の太刀筋を生み出す腕力で脳味噌が揺れた。

「名前、貴様その言葉もう一度言ってみろ。次は抜刀して斬滅する」
殴られた勢いでへたり込んだ。めっちゃ痛い。
私を見下す三成様の眼光は赤い。めっちゃ怖い。

「生前から秀吉様は貴様のことをなにかと褒めていらした。そこらの猪武者よりよっぽど腕が立ち、度量も度胸もある、と」
今にも抜刀しそうに腰を低く構える三成様。

「貴様はその下らぬ悔恨の意で!秀吉様がお褒めになった貴様を否定する気かっ!貴様をお褒めになった秀吉様を侮辱するつもりかっ!」
わーお、そっちかーい!
私の為に怒ったのではなくて、秀吉様のために三成様は怒髪天を衝いた。相変わらずの秀吉様至上主義だ。なんていうか、馬鹿は死んでもというが、彼も変わらない人だ。まあ死んだ程度で変わられても困るけれども。
そんな君主の姿に私はむしろすっかり落ち着いた。涙も乾き、なんだか笑えてきた。

「っふ、はははははは」
「なにを笑っている」
「安心したんです。三成様が三成様で」
「当たり前だ」
「怒ってらっしゃらないんですか、生前の私の行いを」
貴方を守る、その言葉が結局ただの口約束に終わったことを。
まっすぐ見つめる私に、彼はまっすぐに返してくれる。
彼は潔白な男だった。決して、目をそらさない人だ。

「フン、知れたことを」
吐き捨てるように彼は言って、構えを解いた。

「貴様が私を一度として裏切らなかったことぐらい、初めからわかり切っている」

許された。
許されてしまった。
人生をまたがって、二度目を歩んで、それでもなお重く抱えていた罪の意識を、この人は下らないと一蹴して簡単に許してくれた。ああ、と息が漏れる。どうにも止められないような幸福感がじわじわと胸を温めていく。

何よりも裏切りを嫌悪する彼にとって、信頼とは簡単に口にできないほど重い感情だ。
それを私に向けてくれた。
最期の最期に、こんなにも救われるだなんて。
泣きそうになるのを必死に食い止めて、私は笑った。

「しかし、黄泉路の案内人が三成様で、名前は非常に幸福です」
阿弥陀如来を信仰する者には、臨終の間際、如来が一番会いたい人の姿で迎えに来てくれるというが、なるほど、それはほんとうらしい。
やれ戦だ、それ戦だ、でろくに信仰心など持ち合わせてはいなかったが、仏とはやはり寛大だ。
もし案内人が左近であったら黄泉路の途中で喧嘩騒ぎになっただろうし、刑部さんであれば途中でふいっと行方をくらませて迷子になる私を遠くから眺めてゲラゲラ笑うだろう。
彼らと違って律儀な三成様なら安心して任せられると、後ろをついていく。
ついていきたいのだが、
「三成様?」
三成様が一向に動く気配がない。

「名前、何を言っている」
「へ?」
「貴様の行き先は彼岸ではない」
「え?」
「聞こえないのか?」
なんのことだ、と尋ねようとしたとき、聞きなれた声が聞こえた。

私を呼ぶ、秀次の声。

「あ、」
秀次の声に呼び止められる。けれども、
「だめ、でしょう。さすがにそれは」
焦がれるほど会いたかった人に再会し、過去の罪を許され、死んでもいいと思えるほどの幸福を受け取った。
そのうえ、再び彼に会えるだなんて、

「それはさすがに虫が好すぎるでしょう」
言った瞬間ぶん殴られる。
今度は拳だ。三成様の籠手は硬い。
なぜか先ほどよりも吹っ飛ぶ。めちゃくちゃ痛い。

「さきほどからグダグダグダグダと喧しい!迷いなき一閃こそが貴様の取柄だっただろう!」
地べたに転がる私の後方を指さして三成様は言う。
「名を呼ばれて返事もできないなど、豊臣の恥だ!」
そんなことを言われては、何も言えなくなる。
私だって、ほんとうは、戻りたい。もう一度、秀次に会いたい。

「腹をくくれ、名前」
「……っ、はい」

立ち上がり、三成様と向かい合う。
これが別れだと、どちらもわかっていた。

「……嫁入り、か」
「?なにかおっしゃいました?」
三成様がなにか呟いたが、良く聞こえない。
聞き返すが「余計なことを気にするな!」と睨まれる。理不尽だ。
でも、それが三成様らしい。

覚悟を決めて、美しい銀の人に背を向ける。
「では、おさらばです。三成様」
「……ああ」

そうして私は歩き出した。
決して振り返ることなく、ただ私を呼ぶ声のほうへ。

君が私の名前を呼ぶように、私の君の名前を呼べるように。