14 糸の意味

迅がここに来た意味を理解している人間は、迅自身を除いて誰もいなかった。

「迅……?」
私と彼のかかわりを知らないため不可解な顔をしている年上三人は勿論、私すらも理解していなかった。
きっと秀次も理解していないだろう。けれども秀次は部屋から立ち去ろうと扉に向かっていた足をさりげなく後ろに引いて、ベッドから動けない私の傍にそっと寄った。なんとなく、私と迅の間を遮るようだと思った。

昨晩初めて会ったときのヘラヘラとした軽薄さはすっかり消え失せて、迅はまっすぐに私を見据えた。その目を決して逸らさないようにしようと、私は彼の目をしかと見つめ返した。
ヘラヘラとしていないだけで迅は別に笑っていないわけでもないのだが、それこそ昨晩去っていった時のようなちゃかせない雰囲気があった。
口を開いたのは迅だった。

「名前ちゃん、ごめん」
彼はそう言って頭を下げた。
目が合わなくなったのはその一瞬だけだった。彼はすぐに頭を上げて、再びまっすぐ私を見た。
「俺は名前ちゃんがこうなる未来を視てた。視てたのに、何も言わなかった。そうすることで名前ちゃんはこの先ずっと傷が残るような大怪我をするけど、その代わりこの先トリガーの不備による被害者が大きく減るから」
決定的な事件が起こらなければ、対策と言うものは生まれない。100の言葉を重ねるより1つの大きな事件のほうが影響が大きい。これが一番の手だったのだろう。

「許してほしいとは言わない……言う権利もない。俺は君を犠牲にした。」
君が顔も知らないだれか大勢を助けるためという大義名分のために。

迅が私から目をそらさなかったのは、彼が彼自身の罪と向き合おうとしていたからだ。どんな非難も罵倒も受け入れるつもりで来ていたのだ。
そうだとしたら、彼はこの先の未来も視えているのだろうか。私がどんな反応をするのか、知っていてここに来たのだろうか。
視界の端で、傍らにいた秀次がぎゅっと拳を握るのが見えた。きっと殴ってやりたいと思ってはいても、秀次が本当に殴ることはないだろうとは思うが、大丈夫だという意味も込めてその腕をそっと掴む。
大丈夫。

「迅さん」
呼び掛けると、迅の瞳が揺らぐのが見えた。

「あなたってほんとに、馬鹿な人ですねぇ」

思っていた以上に気の抜けた間抜けな声が病室に響いた。
秀次も東も加古も二宮も迅も、そろって私の顔を見る。

「そんなの黙っていればよかったのに。そんな未来見えませんでしたーとか、適当な嘘だってついてよかったのに」
ほんとに馬鹿正直な人ですねぇ、と笑った。
軍師に向いていませんよ、と言うと、脳内の半兵衛さまがうんうんと頷きながら「でも見どころはあるね」と珍しく高い評価を下した。

「謝るにしたって、隊のみんなが帰ってからとか、私が一人のときに来ればよかったんですよ。東さんならまだしも、どうして怒ったらずっと許してくれなさそうな秀次とか、敵に回したらボーダーに居づらくなりそうな加古姐さんや二宮さんの前で言っちゃうんですか」
そういうと何人かから不満げな目線を送られるが気にしない振りをして、迅を見る。

「ほんとに、かわいい人ですねぇ」

正面に立つ迅は驚いたような、あっけにとられたような顔をしていた。この未来は視えていなかったらしい。一本取った、のかな。

不器用な人は大好きだ。
なぜなら三成様みたいだから。
そう思ってニヤァと笑うと、迅はやられたという顔をして「ああああああもおおおお」と両手で顔を覆って天井を仰いだ。「ほんっと名前ちゃん相手だと読み損ねてばっかりなんだけど!!!」

いくらか悶えていた迅は突然バッと顔を戻して苗字のほうを見据える。「ほんっと、ダメだよ、名前ちゃん。男なんて簡単に許してやるもんじゃないよ」

彼からの言葉をヘラヘラと笑って返す。
きっと彼は糾弾されるためにここに来たつもりだったのだろう。
未来が見えていながらなぜ、と罵倒されるために来たのだろう。
だったらなおさらだ。
なおさら簡単に許してしまおうと思った。
彼にとっては許されないことより、許されることの方がずっと罰になる気がした。

そうして当の本人である私が許してしまったから、あんまりあっさり許してしまったから、もうこの病室にいるだれも彼もが迅を責めることはできなくなった。

だからこれが私なりの迅への罰なのだ、と、そういうことにしよう。

「でもさ、」
迅がそっと私のいるベッドのほうへ近づく。近づくたびに傍にいる秀次が毛を逆立てた猫のように威嚇を強めるが、迅は苦笑する程度で近づくのを止めはしない。

「でも、その傷は一生残る」
やりきれない顔で迅は私のベッドの前に跪いた。
俯いた彼からは表情もよく見えない。

傷跡なんて、どうだっていいのに。
そういうのは簡単なのに、そう言ったところで彼が顔を上げないのはサイドエフェクトがなくたってわかった。

戦う者が傷つくのは当たり前、という考えはもうこの時代には、この戦場にはないのだ。
価値観の違いをどんなに説いたところで、この場合おかしいのは私のほうになってしまう。
脳内の家康が「戦いの果てに傷つかない者などいないはずなのにな」と泣きそうな顔で笑った。私の脳内に住んでるのだから悲しいことなんて考えずにもっと幸せそうな顔をしてほしいのに、この家康はすぐにシリアスに走ろうとしやがる。

どうしたものか、と思案していると、とある人と目があった。
その人はすべてを理解したような微笑みで口を開いた。

「迅も女心がわかってないわね」
その人の、加古の声に迅も顔を上げ、部屋にいる誰もがその微笑みに目を向ける。

「明日はどうなったっていい、と思った時の女の強さを、男は否定しちゃダメよ」

優雅に、堂々と、それを言い切れるのが加古という女性の美しさだ。
同意するように私も大きくうなづいた。

それは迅に向けたものでもあったけれども、それ以上に、言葉にしないながらも自分を責めて続けていた秀次に向けたものだった。