トリガーチップを大幅に変更したから見て欲しいと、三輪が苗字に言われたのは昼休み開始の鐘が鳴ったばかりの廊下でだった。仁礼と昼飯を食べるのだろう、弁当箱の入った包みを手に駆け足で寄って来た苗字は、それだけ伝えると、「放課後、秀次んとこの作戦室にお邪魔するね」と手を振って、一方的に去っていってしまった。
こちらの都合も聞かずに勝手に決めて、と眉間にしわを寄せたが、あいにく今日は任務もなくフリーだった。
きっと放課後には渋々ながらあいつと顔を付き合わせているのだろう。
それは苗字の思い通りにされているようで、すこしおもしろくないような、すこし楽しみなような。
学校が終わって、本当なら苗字のことなんか無視して家に帰ってしまっても良かったが、結局シフトもないのにボーダー本部に来てしまった。やっぱり苗字の思い通りにされている気がする。嫌なら帰ればいいということはわかっているのだけれども、苗字が三輪隊の作戦室の扉をノックしているのを想像したら、こちらに足を運ばざるを得なくなってしまった。……その理由は深く考えないでおくことにするけれど。
今の時間なら、陽介はいるかもしれない。月見さんは、まだ大学だろうか。そもそもシフトがない今日は来ないかもしれない。それでは奈良坂と古寺は……と隊員のことを考えて歩いていればあっという間に作戦室に着いてしまった。
作戦室の扉の前に立つと、やけに中がうるさい。主に陽介と苗字の声だ。
「あっははははは!ばっかだろー!」
「んじゃさぁ!いっそのことこうしてさ!」
「あはははははははは!!」
「……うるさいぞ」
三輪が入室すれば、その気配に気がついた陽介と苗字が笑ったままの顔でこちらに目を向けてくる。
「遅いぞー秀次」
「うるさい、廊下まで響いてたぞ」
「なんだなんだ、ボーダーの防音対策甘いなぁ」
「言っておくが非があるのはお前たちだからな」
作戦室にはやはり苗字と陽介しかいなかった。
2人がすでに座っている座敷に三輪も腰掛ける。すると苗字が「あっ、これ手土産ー。隊のみんなでお食べー」とスーパーで売ってそうなファミリーパックのお菓子を3、4袋、大きめの紙袋に入れて渡して来た。
「おっ、ラッキー」
早速勝手に開けそうとする陽介の頭を苗字と共に同時に叩き、いてぇー!とわざとらしく騒ぐ陽介を横目に本題に入る。
「それで、トリガーを変えるんだろう?決めたのか?」
「秀次ひでぇ!もうちょい俺に構えよ〜!」
「まあ、今まで通りレイガストを中心にしつつ、サイドはどうしよっかな〜って考え中」
「苗字まで俺を放置かよ!」
「うるさい陽介」
「うるさい米屋」
「なんだよ2人して!仲良しか!」
やけに構われたがりな陽介に肩を掴まれガタガタと揺らされる。ので、先ほどより強めに頭を叩いて終わらせる。
「今んとことりあえず、レイガストにスラスター、シールドを2つって感じ」
「苗字、前までシールド入れてなかったよな」
ついに入れんの?と陽介は笑って尋ねた。
ただそれだけのことに三輪は無意識に体が硬くなる。
当然だ。あの日の出来事には箝口令が敷かれている。陽介はあの事件を知らないのだから。
苗字もなんでもないような顔で「みんなの話聞くとあったほうが便利っぽいし、仲間の支援もできるしさ」と返す。
俺は黙って、その話が流れるのを待った。
「んー、じゃあアステロイド入れれば?菊地原とかもスコーピオンのアタッカーだけどアステロイドも入れてたろ」
「遠距離対応できんのはいいね、採用しよっかな」
「だったら奇襲しやすいバイパーのほうがいいんじゃないのか」
「敵の正面に囮としてバイパーを打って、背後からレイガストで切るみたいな?」
「結局レイガストで切んのかよ、だからゴリラって言われるんだぜ」
「いや、言われた覚えないんだけど」
「言ってるの出水だけだからなぁ」
「ちょっとランク戦行ってあの弾バカ真っ二つにしてくる」
「よっしゃ、その次俺としよーぜ!」
「落ち着け名前、こいつらの思うツボだ」
結局ランク戦がしたいだけだぞ、このバカたちは。
そのあと、バイパーがいいかハウンドにするべきか、グラスホッパーを入れるべきかが論争になり、結局陽介の「実践あるのみ!」という言葉に3人で訓練室に向かうことになった。
その道中の廊下、緑川を見つけた陽介が足早に駆け寄って後輩に絡みに行き、そんな騒がしい2人の数メートル後ろを三輪と苗字は並んで歩いた。
陽介のちょっかいに緑川が慌てるのを見た隣の苗字が吹き出して笑う。見慣れた笑顔。けれども。
笑っているのに、こっちを見ていない。
「……名前」
「くっふふふ、なに、どうしたの秀次」
口を押さえて笑ったまま苗字がようやくこっちを見た。
それだけのことで、無意識に揺らいでいた心が静まる。
「……」
「……」
「……」
「え、マジでどうしたの?」
顔を覗き込んできょとんとする苗字に、思わずこちらがたじろぐ。
言えるわけがない。
まさか、こっちを見て欲しいから呼んだだなんて。
どうにか頭の中でそれらしい話題を出そうと頭を必死に巡らせて、最終的に隊室での話を再び持ってくることにする。
「……っ、トリガー」
「トリガー?」
「トリガー、お前が変えると思わなかったから、その、驚いたんだ。ずっとあの攻撃特化トリガーでいるのかと思っていた」
とりあえず舌を回して会話を続ける努力をする。……不自然じゃなかっただろうか。
そんな不安を他所に、苗字は「なんだそんなことか」といつも通りに微笑んだ。
「ま、なんだかんだ使い勝手は悪くなかったんだけどね。二兎追うものは一兎も得ずってヤツ?やっぱ自分の得意分野で活躍したほうが合理的かな〜って」
わはは、と女らしくもなく笑ったあと、少しだけ俯き、トーンを下げて口元に自嘲のような笑みを浮かべた。
「それに、まあ、無い物ねだりが過ぎたかなって」
……もしもその表情に言葉を当てるとするならば、『寂寞』という言葉が合うだろうか。
遠い、誰かを思い出すようなその表情に、不意に掛けるべき言葉を失くす。
口を開こうとして、ぎゅっと閉じる。
その言葉の意味を知っている。その感情を知っている。
けれどもこの俺に、俺に、なにが言えるだろう。
思えば、三輪は苗字が戦う理由すら知らないのだ。
虚をつかれたような顔をして黙ってしまった三輪を見て、苗字はすぐにいつも通りの笑顔でカラカラと声を上げた。
「あー、いや、ただの適材適所の話!」
それだけ言うと急に走り出して、前方で騒ぐ陽介と緑川に混ざって行ってしまった。
置いていかれて、一瞬呆けて、すぐに自己嫌悪に至る。なんでこっちが気を遣われてしまったんだ。三輪は肩を落とす。
当たり前だけれど、友人だからといってすべてを知っている必要はない。他人のすべてを知ることなんてできるわけがない。わかっている。そんなことわかっている、けれど。
彼女のことをわかりたいと思ってしまう気持ちもあるのだ。
……その理由の根源にある自らの感情を三輪はまだ理解しきれないけれど。
「秀次!秀次も私とランク戦するんだから、早く!」
そう笑って、こちらに手を振る苗字。三輪は何かを言いかけて、けれど口を閉じて彼女の元へ歩いていく。そうやって歩いてくる三輪を見て苗字が笑うから、今はそれでいい。
(2020.5.17)