五体は満足で、家族は穏やかで、友人にも恵まれた。飢えることも、理不尽な悪意に晒されることもなく、決して不自由な生活ではなかった。傷ひとつない生い立ち。狂うことの方が難しい人生。
それはきっと幸せなことなのだろう。
それをきっと幸せと呼ぶのだろう。
平々凡々とした何処にでもあるような人生。私はそれを確かに愛していた。きっとそれでよかったのだ。それだけでよかったのだ。その穏やかすぎる日々を幸せだと呼べれば、私は何の問題もなかった。きっと私なら、そう成れたはずだったのに。
つまるところ、"それ"を幸せだと知らなければ、きっと私という世界は平和でいられた筈だった。
身を貫くような悲しみはなく、けれどもう死んだっていいと思えるような喜びもない。
明日には忘れ去ってしまうような平坦で平穏な日々を繰り返すという幸せ。
そんな在り方もあったのだろう。
(「名前ちゃん」)
ふれあった指先さえ、なければ、きっと、そう在れた。
これまでの「私の世界」にそれ以上の幸福は無かった。
それだけが事実として横たわる。
ただの夢が、形のない幻が「これ以上ない幸福」という姿で明確に存在の輪郭を描く。
現実の細やかな幸せなど無価値になる程に、存在しないはずのその記憶は私にとって手放し難いまでの幸福な思い出になっていた。
そうしてやがて気がついてしまう。
不幸ではないということが、幸せであることと同意義では無いということ。
知らずにいたらきっと"幸せ"になれていたのだろう。あの夢さえ見なければ、幸せがどんなものなのかなんて、私はずっと知らずにいられたのに。
きっと、あの夢を直視したら/あの夢に直視されたら、私は「私の世界」で立ち続けることすらままならなくなるのではないか、なんて、そんなことを不意に思ってしまった。
それはまるでバロールの瞳のように。
目を逸らし続けたその最果て。
「私の世界」から放り出された外側の世界で、私は現実としてその夢を直視する。それは遠くで燃える西の空のような赤い瞳。
そうしてそれはいつしか私の喉元に迫っていた。
幻想なんかじゃない。
ここに確かに存在しているんだ、と。
どうか認めて。此処にいることを。
どうか受け入れて。此れが正しいのだと。
絡めあった指先が、交わした約束が、あの日の言葉がこの世界で生きる私の指針となる。
「これからもずっと、いっしょにあそんでいようね」