「君が名前だね。話は弔から聞いてるよ」
よろしく、と軽い挨拶をする先生へモニター越しに頭を下げる少女の姿を、困惑と違和感の中で黒霧は見ていた。
夕方に彼女を病院から誘拐した後、バーへ連れてきた彼女はいつしか眠ってしまっていた。そんな彼女をソファ席に横たわらせ、それから2時間ほど経ってからだろうか。目を覚ました彼女を死柄木が認識した時、余命あと僅かであろう少女に対して黒霧は流石に哀れんだ。理不尽に連れ去られ、理不尽に殺される被害者。
そうなるはずだったのだが、その想像は現実のものとはならなかった。
死柄木の膝の上に乗せられ、モニターの向こうにいる先生の話を聞いては、時折返事をするようにうなづく少女。死柄木は暇を持て余すように膝の上の少女の髪を弄っていた。
想像していた未来とは180℃違っていた今。本格的な活動はまだしていないとはいえ、此処にいるのはみなヴィランであり、いずれ敵連合としてヒーロー社会へ仇為す存在だ。
そんなところに推定5歳の少女。
…………大丈夫なのだろうか。
「大丈夫だよ」
それは偶然ではあったのだが、黒霧の不安に答えるようにそう言ったのは先生だった。
「行く場所がないのなら、此処にいればいい。この社会には沢山の「普通ではいられなかった人」がいる。僕たちはね、そんな人たちを受け入れたいんだ」
君もそうなんじゃないかな、と先生は笑う。
「帰る場所が何処にも無いんだろう?」
見通したような言葉に、少女は一度固まったように動きを止めて、それからゆっくりと首を縦に振った。
宿を手に入れた!テテーン!頭の中で軽快なSEが流れた。夢の中のあの子改めて、弔くんのお家にお世話になることになりました。
さて、今の私はと言うと、腹を掴まれる形で弔くんに抱き上げられ、ぶらーんぶらーんと振り回されている。足が宙ぶらりんで少し怖い。
「名前、一緒にお風呂入ろうな」
私よりも弔くんがはしゃいでいた。
黒霧さんのワープで−−−何を言っているのかわからないとは思うが、黒霧さんは黒霧さんそのものがワープゲートなのだ。一体どういう原理なんだろうか−−−弔くんが暮らしているらしいワンルームにやってきた。
連れてきてくれてありがとうございますという意味を込めて、玄関のところでお辞儀をすると、少し困惑した様子の黒霧さんは「あなた方の事情はよくわかりませんが……その、死柄木弔をよろしくお願いします」と何故か見るからに子供である私に成人男性を任せてきた。
弔くんのはしゃぎっぷりを見たからだろうか。それにしても扱いが子供過ぎる。私も子供扱いされたい。具体的に言うとよしよしぺろぺろだ。
「……貴方のほうがしっかりしてそうですから」
そんなふうにして、黒霧さんは私に一言二言残して帰っていった。
さて、上がり込んだ弔くんの家には乱雑に物が広がっていた。
周囲を見渡すと分厚い専門書が転がっているそばに子供向けの絵本があったり、パソコンのそばにお菓子のオマケについてくるような玩具があったり、大量の新聞や雑誌の切り抜きが壁を覆い尽くすかのように貼り付けられたりしている。
ゴミ屋敷というほどではない。単純に物が多いようだった。足の踏み場こそあるが、本棚から溢れた本や行き場のない物がその辺に放置するような形で転がっている。それらが持ち主に顧みられることは滅多に無いのだろう。
「名前ちゃんがいる……」
招き入れられた部屋の真ん中で弔くんは改めてしみじみと思ったのか、唐突にそんなことを言い出した。私の目線の高さにしゃがんだ彼は人差し指と親指で私の頬を摘んで、捏ね繰り回す。パッと手を離したかと思うと今度は髪を摘んだり、首にふれたりとあちこち確かめるようにさわった。
「……名前ちゃんだ」
安心したみたいに笑う顔が、ただの子供のようでなんとも言えない気持ちになる。
それから私たちは黒霧さんが持たせてくれた、海外映画の悪役がよく食べてる中華のファストフードみたいなやつを2人で食べたり、帰ってきたときの弔くんの宣言通りに一緒にお風呂に入ってされるがまま犬猫のように洗われたりした。
そのあとはベッドに転がって掃除道具のコロコロ−−−あれの正式名称ってなんなんだろう−−−みたいに、ごろごろごろごろごろごろごろごろした。
そんなふうに共に過ごしていたらそのうちにわかってくることがひとつ。
彼は物を持つ時、絶対に五本の指で触れないということ。必ず指を一本ほど離して持つ。なんとなく彼に対して不自然に感じていたのはそういう動作に対してだろう。
そしてそれは無機物に対してだけではなく、私に対してもそうだった。
「……弔くん」
「名前ちゃん?」
ベッドで2人並ぶように転がったまま、私は友人へ手を伸ばした。理由はわからないけれど、彼がそうしたくないみたいだからと、全ての指には触れないように気をつけながら、彼の手にふれる。開かれた掌の真ん中に指先をくっつける。ふれた途端、少しだけ震えた掌。手を移動させて、彼の親指を握った。抵抗が無いことがわかってから、今度はぎゅっと力を込めて握る。
私と彼のかすかに濡れた髪がベッドシーツの上に広がっている。
彼を見た。向き合った顔と顔。赤い瞳と目があって、少し揺らいだその色。
私の手は握り返されたけれど、やはり中指だけは決して私にふれなかった。
「名前ちゃん」
「うん」
「ねむい」
「……ねようか」
「……ん」
差し出された両掌。骨ばった手の甲は大人の男性のものだ。その骨のラインをなぞってから、私はその中指に包帯を巻いた。
この包帯をくれたのは黒霧さんで、そうするようアドバイスしてくれたのも彼だった。「もし死柄木弔と近距離で眠るのならば、」と彼は僅かに心配を滲ませながらそう言った。
右と左、その両方の中指の肌が見えなくなるようにしっかり巻く。理由はわからないけれど、黒霧さんの言葉や弔くんの仕草からきっとそうするべきなんだろうって、漠然と思った。
包帯を巻くために起き上がっていた私は、寝込んだままの弔くんにぐっと腕を引かれて、再びベッドへ転がった。それから弔くんの腕の中に連れ込まれる。背中に感じる弔くんの低い体温に、ふにゃりと力が抜けて、すぐに眠くなった。
その夜は久しぶりに何の夢も見ずに眠れた。