12 先生

弔くんと風呂に入り、がしゃがしゃごさごさドカドカバキバキメコメキッと洗われ、めちゃくちゃに疲れてから2人並んでベッドで眠るのが日々のルーチンになっていた。
どう考えても疲労の原因は風呂だ。できれば個々で入りたいのだが、弔くんに連行されるのでどうしようもない。

弔くんはどうやら子供の扱い方−−−機嫌を取るという意味ではなく、肉体の扱い方−−−がよくわかっていないらしい。
頭を洗おうとして頭皮に爪を立てられたり髪を引っ張られたり、こちらに引き寄せようとして関節を曲がらない方向へ引っ張られたりする。
本人は完全な善意であるあたり救いようがない。

そんなこんなで文字通り、体をめちゃくちゃに扱われ、私はほぼ意識を失うように今日も眠りについた。





気がつくと私は暗い空間にいた。知らない場所だ。ここはどこだろうかと、きょろきょろと辺りを見渡しているうちに遠くの方に微かな光が見えた。
私は街灯の明かりに引き寄せられる蛾のように、そろそろと近づいていく。
そうやって歩いている頃にはもうある程度のことを理解していた。

これが、今私が立っているこの場所が、夢の中であるということも。

歩き続けた先。そこはスポットライトに照らされたように、彼のいるその一点だけが明るかった。

「やあ、名前。こんなところで会うとは奇遇だね」
彼はそう気安く笑って声をかけてくる。逆光で顔はよく見えないながら、その声音で察しがつく。

「……先生、ですか?」
「ああ、その通りだよ」
彼は2メートル程度の長方形の箱の上にゆったりと腰をかけていた。
心象風景。そんな言葉が思い浮かぶ。
緩くウェーブのかかった髪の毛は短く、スーツを着たその風貌からはどこか紳士的な雰囲気が感じられた。

「本当の君はそんな姿なんだね」
道理で年齢よりもずっと大人びてると思っていたよ。
納得したようにそう言う彼に私は黙ってうなづく。
今、この夢の中にいる私は子供の姿ではなく、この世界に来る前の20代の大人の姿だった。パンツスーツにパンプス。まさにこの世界に来る直接の格好だ。
「現実の姿ではなく、本来の姿……言うなれば精神的な姿が反映されるのかもしれないな」
実を言うとね、私の今のこの姿は現実のものとは異なるんだ、と先生は薄く笑って語った。確かにこちらの姿の方が馴染みは深いね、と言って顎に手を当てた。

「しかし驚いたな、これが君の「個性」なのか」
「この夢が、ですか?」
膝に肘を乗せ、その間で緩く手を組んだまま、彼はうなづく。
「見たい夢を自在に見る個性……いや、他人の夢に干渉できる個性と捉えた方が正しいか」
「それは、なんというか……」
コメントしづらい個性だな……。
口に出さないながら「微妙……」と思っていたのが顔に出たのだろう。先生は声を上げて笑ってから「物は使いようだよ」とフォローを入れてくれた。

「先生。私、弔くんの個性を見ました」
「そうか。驚いただろう?」
「……はい、とても」
あれは社会で真っ当に生きていけるような個性ではなかった。
「気がついているだろうけど弔は複雑な生い立ちでね、とてもじゃないけどまともな幼少期を過ごせるような人生じゃなかった」
だからね、と続ける。
「弔が「子供の頃に君と遊んだことがある」と言った時、少し疑問を感じたんだ。そんなことが幼い頃の弔にできるとは考え難いからね」
私はただ黙って彼の言葉を聞いていた。なんとなく、犯罪のトリックを暴かれる犯人のような気持ちになる。
「けどそれも君の個性を目の当たりにしたらわかったよ」
逆光の中、彼は笑う。

「君たちはずっと、夢の中で遊んでいたんだね」

目を閉じ、ゆっくりとうなづく。
あれはやはり、弔くんにとっても夢だったのだ。
弔くんの夢の中に私が干渉したのか、あるいはその逆だったのかはわからないけれど、境界線が融けた夢の中で、2人同じ夢を見ていた。
迎えなんて来るはずもなかった。終わりが来るはずもなかった。そんなもの、私達が望んでいなかったのだから。
そうして繰り返されるあの幸せな夢は私を生かし続けた。

「弔がいつその夢を見ていたのかはわからないけれど、覚えていたよ、あの子は」
「…………」
「君にとってもだろうけど、弔にとってもあの夢は幸せなものだったんだろうね」
……私にとっても、か。

……少し、長くこの人と向き合いすぎた。
誰かを見るということは誰かに見られるということだ。一方的なものなどない。それにこれは夢の中。言ってしまえば自らの記憶や深層心理の中なのだ。そんなところで肉体という器から出た傷つきやすく、傷つけやすい精神をお互いに晒し合っていれば、嫌でもお互いの記憶が流れ込んできてしまう。

B級映画以下のつまらない私のそれまでに対して、彼の人生のなんと悍ましく惨たらしく濃厚なことか。

「あの、もう帰っていいですか?貴方の人生……人生?濃厚すぎて吐き気がする……」
−−−ワン・フォー・オール。嘲笑。個性黎明期。愚かで可愛い弟。志村菜奈。オールマイト。8人目。嘲笑。志村××。後継者。オール・フォー・ワン。個性の強奪と譲渡。嘲笑。戦闘。生きているのが不思議なほどの怪我。ドクター。人間。脳無。敵連合。−−−

認識するより、処理するより速く頭の中へ流れ込むのはこの男のそれまでの人生。受け止めることができなくなる。頭の内側から破裂しそうな痛みに耐えきれず思わず両手で頭を押さえた。

人間やめてそうな生物の生き様を人生と呼んでいいのかどうかは別として、これ以上はキツかった。ただでさえ個性で夢を見ると頭が休まらないというのに、このままでは現実に置きっぱなしにしていた肉体の耳から血が出てきそうだ。
「おや、残念だなあ。君のを見るのは楽しいんだがね」
言葉の割に声音は愉快そうで腹が立つ。ネットに精通し始めた中学生が学習ノートに描いた漫画よりうっすい内容の人生を見て何が楽しいんだこのおっさん。もはや実年齢で言えば、おっさんどころが爺さんってレベルのようだが。
「いやあ、小さい頃の弔も可愛いなあって思って」
通報するぞ、クソジジイ。

「……っ、じゃあもう帰るんで。ちょっと貴方とは当分というか一生ここで会いたくないですね」
「そっか。それじゃあまたね」
「またはねぇっつの」
そうして私は私の意思でこの空間の灯を消す。
真っ暗になった視界の中、瞼の裏には「弟の棺桶の上に座っていた男」の姿が残り続けていた。