13 暗雲

悪夢から目を覚ますと鼻と耳から血が出ていた。ティッシュを掴むより先に、びっくりしてパニックになった弔くんに引っ掴まれ風呂場に駆け込まれる。
そこからが大変だった。
音で表現するとゴボカボゴゴボボガガガガガ、という感じ。思い返すと辛いので端的に言うと、鼻うがい完全版みたいな感じだった。耳と目と鼻と口は繋がっているんだなあということを己の肉体を持って再認するはめになるとは思いもしなかった。久々に白目剥いたな。

「名前ちゃん、大丈夫か?」
「もちろん、大丈夫……弔くんのおかげでね……」
死にかけたのも弔くんのおかげですが。
まあ大元を辿れば先生のせいなので、私はもちろん、弔くんも何も悪くない。元気よくサムズアップして応える、が、まだ鼻の奥に水が残っているようなつーんと感覚がある。息苦しい。


という話をしたところ、先生にげらげら笑われてしまった。はっはっは、ざけんな、モニターぶっ壊すぞ。
「……っはは!仲がいいんだね」
「言っておきますけど、大元の原因は貴方ですからね?」
「僕がかい?」
「貴方がアホみたいに濃厚な人生送ってなきゃ血ィなんか出ませんでしたから」
また笑われた。

バーカウンターの椅子に座りつつ、私と先生はモニター越しに談笑中だ。昨晩いろいろと曝け出してしまった手前、かぶる猫もない。
ちなみに今は弔くんも黒霧さんもお出かけ中。先生とはできれば平穏に対話を続けたいがもし怒りに身を任せた私がモニターをぶっ壊しても最悪「なんか怖い人が来て暴れました」といえばなんとかなる気がしている。なって欲しい。

「はー、笑った笑った。ここにいると、仇敵への嫌がらせくらいしか暇つぶしが無くてね」
薄々気が付いていたがこの人、生ゴミをドブでコトコト煮込んだ後じっくり発酵させた物がこちらです、みたいな性格だな。性格も言動も見た目も喋り方も全てがあまりにも不審すぎて、何をするにしてもなんらかの意図がある気がする。
例えば昨日、私の夢に出てきたことも。

「いやいや、昨日君の夢と繋がってしまったのは本当に偶然なんだ」
「なんでこう貴方の言う事って胡散臭いんでしょうかね……」
「本当だって。僕としてはいろんなことを知られてしまう前に、君にここから逃げ出すことをお勧めしようかと思っていたんだけど、それももう出来なくなってしまったからなあ」
「なんのことですか?」
「敵連合のことさ。悪役風に言おうか。……知られてしまったからには生かして帰せない」
「…………ほえぇ?なんのことぉ?名前ちゃんこどもだからわかんなぃ……」
「……君も変わり身が早いよね」
誰が何と言っても平穏が欲しい。そして私の幸せは弔くんがいる事なのだ。私は弔くんと平穏に過ごしたい。
過ごしたい、が。

「既存の社会への警鐘と破壊こそが弔の望みだよ。そしてその為にあるのが敵連合さ」
「……子供だから何言ってるかわかんないよぉと逃げ出したい気持ちでいっぱいですけどそう言う雰囲気じゃないので言いますね。……それは本当に弔くんの望みですか?貴方によって与えられたものではなく?」
「選んだのは弔だよ」
「それしか選べなかった、の間違いではありませんか?」
「選べる人間とはそれだけで恵まれているとは思わないかい。間違いながら生きることと正しく死ぬことのどちらが在るべき姿なのかなんて誰にもわからない。人はね、自らの願いを元に生き方を選ぶんだ」
「…………嫌な、話ですね。なんだか酷く身に覚えがある気がして」
「そうだろうとも。君と弔はよく似ているよ」
薄暗いモニター越しに、彼がとても楽しそうに笑うのが見えた。

弔くんの願いがなんなのか、それによって選んだ生き方とはなんなのか。そんなことは私にはわからない。
けれど自分自身のことならばわかる。私は幸せでいたいだけだ。そのためには弔くんが必要で、弔くんと共に生きるためには、既存の社会と別れを告げなくてはならない。つまりはそういうことだ。

「逃げ場を無くさせた当人が言うのもなんだが、一連托生だよ、名前」
僕らと共に"ここ"で生きてくれないか、と。

その言葉は差し出された掌のように。
命を犠牲に振り払うこともできたのだろうが、そこに価値は無かった。
私は幸せになりたいだけ。泥水を啜り地べたを這いずり回ろうと、その根底だけは決して揺らがない。答えなど、この世界で弔くんと出会った瞬間から決まっていた。

だからこそ、この問答は口にするのも馬鹿らしいほど茶番劇なのだ。

「……はーーー、楽しかったですか?先生。案外臭いことを言うんですね」
「言っただろう?僕は暇なんだよ。何の為に人の口が外側に付いてると思ってるんだい」
「君とキスするためさ!と言いたいですね。弔くんに」
「うーん、1つ心配事を上げるとしたら君のそういうところなんだよなあ」

昨晩の時点で先生は私の心情などとっくに知っていたのだ。
弔くんとともに生きられるのならそこが泥濘の中であろうと構わない、と。
知った上であんな問答を始めたのだから馬鹿らしい。既に変身を終えた戦隊ヒーローに「もしかしてこれから戦うんですか?」と問いかけるような愚問。
敵連合だのヒーローだの社会の破壊だの、痛くない腹を探られても内蔵くらいしか入っていないというのに。

「うんうん、とにかくよかったよ。弔と共にいるのは多重の意味で大変だろうけど、君なら安心だね」
「うーん、やや含みを感じる発言ありがとうございます、黒幕さん。あっ、お義父さんって呼べばいいですか?」
「先生がお義父さんとは複雑な関係だね。不倫隠し子泥棒猫、犯人は隣の家の家政婦さ。被害者の生死が危ぶまれるよ」
「展開が早過ぎます。貴方の頭の中でどんなドラマが始まったんですか」

この人と会話のキャッチボールするのものすごく面倒だな。疲れる。義理の親とキャッチボールで絆を深めるのが私の夢だったのになあ。
……まあ、当然のことながら嘘だけど。

などという下らない会話の中で、意図が張り巡らされ過ぎて本質を見失っていた言葉の意味を目の当たりにするのはそれから数日後のことだった。