01 マルウェア

人が誰かの死に涙するのは、死というものが『特別』なものだからだ。
私たちはもう、それに涙することすら出来ない。


眠りから覚醒した。殺風景なアジトのオンボロなソファから起き上がる。眠っていたのに起き上がった途端に疲労が体に纏わりつく。それはこの睡眠が休息のためではなく、個性を使う為に行ったからだ。慣れた疲労の重さに一度深く息をつく。途端に周囲から視線が集まった。皆、私の言葉を、私が視た結果を待っている。

「Mr、肩です」
椅子に腰かけたMr.コンプレスへ目を向ける。私が眠っている間に応急処置は済まされたのだろう、止血され、失われた左腕の付け根には包帯が固く巻かれている。
「肩?」
「はい。個性を使えなくする銃弾、って言っても銃弾ってほどのものじゃないですけど。それを撃たれたせいで個性が使えなくなってるんです」
先端が針のようになっている形状を説明すると、Mrは合点がいったようにうなづいて右手で小さな何かを摘んで見せた。
「これかな?腕の処置の時に刺さってるのを見つけたんだが」
「それです」

死穢八斎會との話し合いが決裂した後、アジトへ戻ってきた私はオーバーホールの夢の中に入り込み、彼の記憶を見た。隠し事ばかりの迷宮のような夢だったがここ数日の出来事程度なら気付かれないように視ることは可能だった。

だからわかった。
この弾丸が個性を一時的に消すものであることも。
今回の我々との顔合わせでその実験をしようとしていたことも。
言ってしまえば、試し打ちにされたのだ。カッと体が熱を持った。

腹が立つ。

「初めから、こちらをわざと挑発して正当防衛みたいなツラして私たちをモルモットにする算段だったんでしょうね」
「……へぇ」
ぎしり、とソファが軋みを立てる。隣に座った弔くんは感情のない声で相槌を打ち、問いかける。
「効果は永続か?」
「ううん、長くても24時間以内に戻るよ。オーバーホールは完全に個性を消せるものを作ろうとしてるみたいだけど」
「Mr.コンプレス、1時間毎に個性が使えるようになったか試せ」
「はいよ」
Mrは感覚を思い出すように右手の指を動かした。

「視たのはそれだけか?」
壁に寄りかかっていた荼毘が珍しく口を開いた。私とこの男は妙に気が合わないが、今は状況が状況故に真っ当に答える。
「後はオーバーホール含め、あの場にいた連中の個性は把握した」
「なんだよ、それだけか」
その物言いにかちんとくる。やっぱりこいつは嫌いだ。気が合わない。
「今はまだ最重要事項を確認しただけ。これから落ち着いて視るんだよ」
「ちゃんと出来るといいなァ?」
「あ?」
「こらこら、喧嘩しないの」
Mrに仲裁に入られて、2人、睨み合いながらも口を閉じる。

「とりあえずは十分だ。よくやった、名前」
ぽんと頭の上に弔くんの手が置かれる。それに促されるように再び口を開く。
「オーバーホールの個性なんだけど、ざっくり言うと修復、です」
「修復?」
怪訝そうな声が上がるのは当然だった。それでは"彼女の最期について"まるで説明がつかないからだ。
「おい、ざっくり言うな。ちゃんと言え」
「今から言うところだよ、黙ってろ」
「喧嘩しない喧嘩しない。ほら、名前ちゃん続き」
荼毘と口争いし、Mrに仲裁されるのが鉄板となりつつある。もしこれが喧嘩するほどなんとやら、などと周囲に思われていたらもう殺すしかない、荼毘を。

「オーバーホールの個性は触ったものを一度分解して、その後完全に修復することができる個性。随分応用が利くみたいで、無機物と有機物をくっつけることもできる」
「ああ、それならオレが見たぜ。忘れちまったけどな」
手を上げたのはそれまでずっと塞ぎ込んだように黙っていたトゥワイスだった。
以前、個性によって人とタイヤが同化されられたのを見たのだと、オーバーホールに関する報告の時に言っていたのを思い出す。オーバーホールと一番最初に接触し、その男を連合へ連れてきたのは彼だ。失われたものの穴は大きく、それだけに自責の念も強いのだろう。いつになく言葉数が少ない。
「……うん。二段階に分かれた個性だから修復を行わず、分解の段階で止めたら当然、」
当然、死ぬ。
その言葉は口にせずとも皆、理解してくれた。理解するほかなかった。アジトの隅に置かれたマグネの遺品が、酷く存在を主張する。

マグネが殺された。その穴は大きい。敵連合という組織にとっても、私たちひとりひとりにとっても。

けれど誰一人として涙を流さなかった。私たちはもう、たかが誰かの死ひとつで涙を流すことなどできないのだ。

人が誰かの死に涙するのは、死というものが『特別』なものだからだ。人は特別なものにのみ涙を流す。
けれどここにいるのは死というものが特別ではなくなってしまった人間ばかり。死を受け入れるのではなく、死を作り出す側になってしまった時点でその感情はとうに失われてしまった。
特に私やトガちゃんのように、自分にとっての『特別』を自分の外側の存在に明け渡してしまった人間にとって、それは酷く遠いものだ。私にとっての特別は弔くんだけ。私はもう彼のためにしか泣けない。マグネの死を悼むことはできても、彼女ために流す涙はどこにもない。きっとマグネもそうだったのだろう。酷く悲しいと思う。けれどそれだけだ。それだけになってしまった。

目を閉じるとまだ鮮明に思い返せる、ほんのすこし前の記憶。オーバーホールと邂逅したあの廃倉庫で彼女の死体は弔くんの個性によって塵にされた。我々を追う警察やヒーローがいる以上、痕跡を残す訳にはいかなかった。
火葬のように灰になっていく肉体を私たちは静かに見ていた。



「……今日は解散だ。後日また連絡する」
弔くんの言葉に、ひとり、またひとりと言葉もなくアジトを去っていく。
最後の1人が立ち去って、広くなってしまった空間。それでもなお弔くんはソファに座りこんだままだった。

俯いたまま、じっと足元を見つめる彼の掌にふれる。途端、僅かに震える手。震えを止めてあげられるように、彼の親指以外のすべての指を包むように握った。
「……名前ちゃん」
「うん、怖いね」
「名前ちゃん」
少し体重をかけてこちらへ寄りかかる彼の背中へ手を回し、そっと撫でる。うまくいかないものだ。ままならないことばかりだ。

「寒くなってきたね」
「……うん」
「私たちも帰ろう、弔くん」
「……うん。帰る」
後悔している暇など無かった。
何を失っても、もう進むしかないのだから。