バレンタイン

あの狂人たちを見ているといつも理解できないものを眺めているような気分になる。

例えるのなら見たことも食べたこともない料理を名前を元に勘だけで作っているのを見るような、徒歩で世界の裏側に行こうとしているのを見るような、答えのページが破かれた計算ドリルを必死になって解いているのを見るような……そんな気になる。
理由だけを抱えたまま歩き続けるような、そんな欠陥。目的もないまま意味もなく残された手段を使っているような、そんな破綻。
なによりも腹が立つのは、そんなイカれた奴らがどうしてか、俺よりもずっと幸せそうな顔をしていることだろうか。幸せがなんなのかなんて、これっぽっちも知らないくせに。


バーカウンターの外、チェアの上に黒霧が座っていた。マスターであるそいつがそこにいるのを見たのは初めてだ。疑問を感じる前に理解する。
カウンターの中にトガと死柄木がいた。

トガの楽しそうな鼻歌。がちゃがちゃと耳障りな音。それから鼻につく異臭。目で見ただけでは理解に至らない異様な空間。
黒霧は多分、あの場から追い出されたのだろう。ただ目を離したら自らの聖域が壊されるだろうから、監視のために外側から見守っているのだろう。
普段は碌に表情の読めない男だが、今日はわかりやすく目が死んでいる。そんなツラするくらいなら止めりゃあよかったのに。……止められなかったんだろうな。

こちらに気がついた黒霧が俺の名前を呼んだ。
「荼毘」
「……なにしてんだあいつら」
「見ての通りですよ」
「死体の処理か?」
「彼らはバレンタインのチョコレートを作っています」
冗談だろ。思わず黒霧の顔をまじまじと見た。基本この男は要らない嘘はつかない。そのうえ訂正もないあたり、どうやら本当のことらしい。

そういえば2月だった。来週は14日だ。時期を考えればそんなことをしていてもおかしくはないのだが、おかしい。主に臭いが。
普通チョコを作るのなら甘ったるい臭いがこのそう広くはないバーを満たすだろう。しかし俺の鼻孔をくすぐるのは……、あー、言語化しようと思ったのだが、うまくできそうにもない。ナマモノが発酵したような、或いは爆発した後の焦げた臭いとか……。とにかく異臭、としか言い表せなかった。

「弔くんあのね!バレンタインのチョコには愛情込めて血ィ入れるといいんだよ!」
「は?キモ」
嬉々とした声を上げるトガを見もせずぴしゃりと拒絶した死柄木は台に置いていたボウルにドバドバと醤油を流し込んでいた。
…………醤油?思わず二度見した。

僅かな好奇心と怖いもの見たさで、カウンターの中に目を向ける。ホラー映画は割と好きなタイプだった。
覗き込んだカウンター内の作業台にはチョコレート、砂糖、牛乳、生クリーム、塩、胡椒、酢、味噌、味醂、顆粒出汁、鰹節、カレー粉、パプリカパウダー、ナツメグ、ターメリック、サフラン、唐辛子粉、エトセトラエトセトラ。そして死柄木の手には醤油瓶。
料理のさしすせそどころかそれ以上の調味料の数々がニチアサ戦隊モノの映画版みたいに一堂に会してしまっている。

「そんなに入れたら甘くなくなっちゃいますよ」
トガが言うが、そういう問題ではない。
「名前ちゃんは甘いの好きじゃないからいいんだよ」
改めて言うが、そういう問題ではない。

トガは、渡せるかどうかは別として、おそらく雄英の緑谷とかいうガキに渡すつもりで作っているのだろう。
で、根っこのところで面倒くさがりな嫌いのある死柄木がわざわざカウンターに立ってまで作るのは、あのクソガキ、名前の為だ。

俺と名前はウマが合わない。
気が合わないし合わせる気もない。言ってしまえばお互いに嫌いあっている。俺はその理由になんとなく検討がついているが、あのガキはそうでもなさそうだ。直感的に嫌悪が先に来ているのだろう。子供の勘なのかなんなのかは知らないが。とはいえ、合わなくて当然だ。根本的に相手を許容できない性質をお互いに抱えている。
と、まあ無関心を貫けない程度の嫌悪を抱いてはいるが、それにしたってこれは流石に同情したくなって、…………いやよく考えたら別にならないな。どうでもいいし、あの劇物食って腹下して欲しい。

ギギィと重たい扉が開いたのはその時だった。その音にバーの中にいた人間は皆、入り口へ目を向けた。一瞬でその場の視線に突き刺されたその子供はドアノブに手をかけたまま動きを止め、僅かに怯む。
名前がバーにやってきた。

「名前ちゃん!」
最初に声をあげたのはトガだった。泡立て器を振り上げ、スカートを翻して飛び跳ねる。
「すごいねえ名前ちゃん!タイミングが最高だね!」
最悪の間違えだろうと思ったが口にしない。

名前はなんとなく嫌な予感があるのか、やや引き攣った顔をしながらも入ってきた。
ここで入ってきてしまうあたりがあのガキのダメなところだ。俺を見て嫌そうな顔をしてから、今度は黒霧に目を向けて助けを求める目をした。が、黒霧に逸らされる。名前は絶望的な顔をした。
黒霧に見捨てられたからではない。黒霧ですらこの状況を止められないことが理解できてしまったからだ。

「名前ちゃん」
いつのまにかカウンターの外へ出ていた死柄木が名前のそばに寄る。猫背のまま、そいつの目線に合わせてしゃがみこむ。そうなればもう名前は何があっても逃げられない。そういうガキだ。
「……うん?どうしたのかな、弔くん」
腰だけ別の生き物のように引けている。
そんな様子に気がつけない死柄木は楽しそうに「バレンタインのチョコ作ってんだ」と渡す本人に言ってしまっていた。それから手に持っていた型からチョコを外すと指先で摘んで差し出す。可愛らしいハート形だが、可愛いのは形だけだ。中身はもちろんのこと、色が黒や茶色ではなく、緑がかった紫色をしている。何がどうなったらそうなるんだよ。

「さっき作ったやつ」
それを名前の口元へ近づける。すん、と目の前の異物の臭いを嗅いだ名前の顔がさっと青くなる。黒霧が可哀想なものを見る目をした。
「名前ちゃん、甘いの苦手だろ?だから甘さ控え目にした」
甘さ控え目なのは確かだが、その代わりに塩分過多だ。作業台に置かれていた材料が全て使われていたのなら、もっとヤバいことになるが。
「ワア、ウレシーナー」
ギギギギと子供が子供らしくない笑顔を無理矢理形作る。

はい、あーん、とばかりに口元へ押し付けられたチョコ……まあ原材料にチョコが入っているならチョコと呼んでもいいのだろうその物質を、名前は覚悟を決めて口に入れた。
死んだな、あいつ。

「……………、ぉ、ぉあ゛」
喉が痙攣したような異音が聞こえた。顔面が青を超えて、真っ白になったままゆっくりと、随分時間をかけて歯を開けたり閉じたりして咀嚼する。時折ガクガクと震え、引き攣った声を漏らしながら。

「名前ちゃん、美味い?」
無邪気に、むしろ邪気があった方がマシな笑顔で死柄木は尋ねた。ごくりと嚥下する勢いのまま、名前は無理矢理うなづく。
「……と、弔くんからの愛を感じるよ……」
破壊的過ぎるだろ、その愛。

しかし不味いと本当のことは言わない代わりに、美味いと嘘でも言わないあたりいい性格をしている。
傷つけない。だが嘘もつかない。つまりゴミみたいに誠実な、生温いクソ以下の優しさだ。
少なくとも美味いとはこれっぽっちも言われていない死柄木はそれでも、長い前髪に隠れた表情からでもわかるほど嬉しそうに笑った。

「当日はちゃんとラッピングして渡すからな」
そう、今日はバレンタインデイ当日ではない。
地獄はまだ続く。
「…………ワァ、タノシミィ」
震えた声を背に受けて、死柄木は足取り軽くカウンター内に戻っていく。
残された名前は恥も嫌悪も投げ捨て俺にまで救いを求める目をしてきた。

「随分と幸せそうだな?」
ワープで冷蔵庫から取り出したのか、いつのまにか持っていたペットボトルの水を黒霧から受け取った名前にそう皮肉ってやる。するとそいつは顔面蒼白のまま、しかし穏やかな笑顔で「とってもね」と返した。どうやら皮肉では無さそうだ。

「くそまじぃんだよ、二度と作るなって言えばよかったじゃねぇか」
「そんなこと言わないよ」
一気に半分ほど飲み干して、そいつは言う。言えない、ではなく、言わない。そんな言葉に少しの含みを感じた。どうやらこんなものが本当に幸せらしい。そういうところが、本当に嫌いだ。

失われたものへの追憶しかない俺にとってあいつは、あいつらのそういう関係性は目障りでしかなかった。
それしか持っていないからそれだけには決して裏切らない。生温い優しさ、狂人なりの誠実さ。無償の愛なんてものがあるのなら、これはきっとそんなものによく似ている。

吐き気がした。

「……気色悪ィ」
思わず呟いた言葉はあいつにも届いたらしい。
「てめぇのツラほどじゃねぇんだわ」
眉間に寄せた皺と棘のある言葉に、ふと安堵する。
笑顔も、優しさも、安寧も、温かいものは何も欲しくなどない。それは俺に向けられるものではないから。手に入らないものなど、見たくもない、知りたくもない。
だから、要らない。

「腹下して死ね」
「お前が死ね」
それだけ返して、名前は口を押さえて呻いた。第二波のダメージが後から来たらしい。
「名前、吐くならトイレでお願いします」
被害はカウンター内だけで済ませたい黒霧に発言に、うなづきながら覚束ない足取りでトイレに向かう小さな背中を見た。

「荼毘」
黒霧に名前を呼ばれる。
「貴方、本当は名前のこと、そう嫌いではないのでしょう」
そんなことを言うものだから、思わず笑ってしまった。
「まさか。大嫌いだよ、あんなやつ」