黒霧さんに送ってもらい、私もやや遅れて弔くんと暮らしている隠れ宿に帰ってきた。
部屋に入ってまず目につくのが、ベッドの上でこんもりと膨らんだ毛布。それは時折もぞもぞと動いている。可愛い。
私が足音を立てて近づくと、その膨らみはピタリと動かなくなった。警戒心ましまし。なんとなく感じる野生動物っぽさ。同じくらい拗ねた子供のようにも見えて、無意識に口元が綻ぶ。黒霧さんにそうなのだと教えてもらった以上、嫌われていると悲しむ必要もない。
私はベッドに腰をかけると、毛布越しにそっと可愛いあの子の頭を撫でた。柔らかな布越しでもわかる。強張った体、不安に満ちた心。
「ごめんね」
口に出した言葉に返事はなかった。そうだろうとわかっていたから、返事も待たずに新しい言葉を紡ぎ出す。
「弔くんの力になりたくて、ちょっと見栄を張っちゃったんだ」
困らせちゃって、ごめんね。
宥めるように何度もその少し骨ばった体のカーブを撫でる。その感触はもう慣れ親しんだもので、それをするたびに私自身の心こそが落ち着いていく。うんうん、やっぱり弔くんのそばにいるのが私にとっての幸福なんだよねえ。それなのにファッキンオーバーホールクソ野郎、あいつのせいで短期間とはいえ弔くんと引き離されることが確定しているなんて……って、いけない。弔くんのそばにいるのに他のことに思考を使うなんてもったない。
「弔くんのそばにいるのが私の一番で唯一の幸せだよ」
だから、八斎会なんてくだらないものさっさと壊してしまおうね。
見えていないと知っているけれど、布団の中の弔くんを見つめて微笑んでいると、突然布団の裾がガバリと開いて、
「あわわ」
引き摺り込まれた!
そのまま弔くんに抱きしめられる。慣れ親しんだ体温。至近距離、狭く暗い布団の中で弔くんの赤くて綺麗な目にじっと見つめられて、それが、その眼に映ることがたまらなく嬉しくて見つめ返す。
「名前ちゃん」
「うん、私だよ、弔くん」
「名前ちゃん」
「大丈夫だよ、弔くん」
「名前ちゃん、名前ちゃん名前ちゃん名前ちゃん名前ちゃん名前ちゃんは俺の味方絶対俺を助けてくれる俺を裏切らない優しくてずっと俺を守ってくれる」
「うん、そうだよ」
「……名前ちゃんは俺のこと好き?」
「大好き。世界で一番愛してる。弔くんは私の人生の価値で、愛の権化だよ。弔くんに匹敵する何かなんてこの世に存在しないし、私が愛する唯一のものが弔くんだよ」
そく返せば弔くんは少し落ち着いたように体に力を抜く。そうしてゆっくりと目を瞑って、私の胸元に頭を押し付ける。だからその髪を、頭をそっと撫でる。不安にさせてしまった。孤独を感じさせてしまった。私にはそれがたまらなく悲しかった。
私は弔くんを決して1人にしないと決めたのに。それは肉体の話だけではなく、精神の話でもあったはずなのに。
「ごめんね、弔くん」
そう囁けば彼は少し顔を上げて私を見る。それから、いとけなく笑った。
「名前ちゃん」
「うん、弔くん」
「名前ちゃんのナイフ貸して」
「うん、いいけど。何に使うの?」
私はスカートの下、左の太腿に隠していたナイフをベルトごと弔くんに渡す。そうすれば弔くんはそれを大事そうに両手で持って微笑んだ。
「名前ちゃんと離れていても寂しくないように、お守りにする」
その瞬間、私は凍りついたように固まってしまった。
なぜならその笑顔がたまらなく愛おし過ぎたから。
「弔くん、ごめん、やっぱり返して」
「は?なんで?やだ」
「ナイフ、完璧に研ぎ直すから。人間の四肢くらい軽く切断できるようにしてから貸すから。お願い」
これは弔くんの守り刀になるのに、こんな中途半端な切れ味のものなんか渡せるわけがない。
そう言えば弔くんはとても嬉しそうに、まるで蕩けるように笑った。
ああ、守りたい、この笑顔……。