戯れに悪意

「睡眠薬の連続投与はやめたほうがいいと思いますよ」
耐性がついちゃいますから、とソファに座った名前は仲間たちにそう言った。
柔らかい生地で作られたスカートの下には細い子供の脚。その太腿の上では雄英から攫ってきた少年が眠りについている。夢の中であるにも関わらずその眉間に深い皺を寄せて。
テレビでは恐ろしい事件の被害者としてその少年の名前と顔が緊急放送され続けていた。少年ーー爆豪勝己は誘拐されてからずっと意識を奪われたまま、敵連合のアジトに囚われている。

「どうなんだ、こちらにつく気はありそうか?」
つい先ほどまで個性を使って、爆豪の精神を躊躇なく解剖し続けていた名前は、死柄木からの問いかけに薄く微笑む。
「無いよ、少なくとも今のままではね」
そう言って名前は目線を下げ、太腿の上に頭を置いて深い眠りにつく少年を見た。
名前の発言に、死柄木を中心に連合の面々がそれぞれの意見や考えを口にする。ヒーロー社会に絶望して敵連合の仲間になった英雄の卵。そんな筋書きが欲しかった。

そんな喧騒を後目に名前は先ほどまで土足で踏み荒らしていた少年の精神に想いを馳せる。
側からは苛烈なその生き方の内側には、冬の空のように澄んだ、清廉とすら呼べるほどの精神があった。己の在り方を守るために武装した魂で、憧れを守り続けた少年。
いつか見た美しい景色を忘れられずに生き続けるその一点においてのみ、爆豪と名前には共通点があった。

きっとお互いに理解し合える日は来ないのだろうけど。

使えないのなら殺すべきでは無いかという過激な発言が荼毘の口から発せられた頃、会話の輪の中から一線距離を置いていた名前が口を開いた。

「洗脳でもしましょうか」
その言葉に、誰もが彼女へ視線を向けた。
ソファに座れば地に足のつかないような幼い少女の姿など所詮被った皮に過ぎないのだと、連合の中でも理性的な思考を適切に扱える者は言葉にしないながらもわかっていた。それでも愛らしい少女の口からそんな言葉が生まれることにぞっとしない気持ちはなかった。連合の中でもまともな人間であるスピナーなどは、時折思うのだ。一体どのような人生を歩んだらこのような子供が育つのだろう、と。

「私ならできます。説得とかするより楽じゃないかな」
彼女から発せられたその言葉が事実であると誰もが理解していた。
眠っている間という限定的な条件ではあるが、一度精神を囚われれば対象者は蜘蛛の糸に掛かった蝶のように逃げ出すことすらできなくなるのが彼女の個性。そうなって仕舞えば、それから先の運命はすべて彼女の思うがままだ。幸福な記憶を絶望の傷跡に変え、人格を形成してきた記憶を消し、外側の肉体だけをそのままに精神という内側を別人にする。そんなこと、蟻を潰すように簡単なのだ。

静まり返るアジトの中でふと黒霧は思う。名前はまだ幼いながら自らの個性を把握して、有効に活用している。
もしも、この先彼女がより個性を強化し、眠っている間だけしか個性を使えない?という弱点を克服したのなら果たしてどうなるのだろうか、と。
これが個性社会の恐ろしいところなのだ。黒霧は再認する。まるで無垢な子供ですら、遊び半分に人の精神を破壊できるような力を持って生まれてくる。きっとこの世界には世界を崩壊させる力を持つ人間などいくらでもいるのだろう。

そんな彼女の蜘蛛の糸を断ち切ったのは、敵連合のリーダーである死柄木だった。
「ダメだ。洗脳はしない」
それはある意味で酷く意外な発言でもあった。名前の案は非人道的ではあるが同時に効率的でもある。
ヒーローにすべく大切に育ててきた生徒が敵の手に落ち、向き合う相手が誰なのかもわからないままかつての友人や教師、家族を傷つける。それは社会にとっても絶望と呼べることだろう。それをあえてしないという選択肢の理由が、その時の連合の皆々にはわからなかった。

荼毘などは鼻で笑って「平和主義者にでも転向するのか」と死柄木を冷笑した。しかし死柄木はそれを意にも介さず「それじゃ意味がないだろ」と呟くように言った。

「洗脳じゃ意味がない。それは彼の意思じゃないんだ」
死柄木は掌のマスクの隙間からじっと爆豪を見つめた。
「俺が欲しいのは、爆豪勝己が自ら望んで俺たち側につくってシナリオだ。そっちの方がヒーローたちに与えるダメージはでかい」
歪んだ声音がそう広くはないバーに満ちていく。
「この少年が欲しいんじゃない。俺はこの社会を根本から揺るがしてやりたいんだ」

「……なるほど、洗脳じゃ爆豪くんは俺たちに操られた被害者ってことになるな。同情の余地を残さないくらい完全に加害者にしたいってことか」
死柄木の言葉を理解して、はじめにそう言ったのはMr.コンプレスだった。
「でもこの子、体育祭も見たけど乱暴な子よねぇ。説得でどうにかなるのかしら」
頬に手を当てるマグネの発言は最もだったが、死柄木はそれを理解した上で笑う。
「やってみなきゃわかんねぇだろ」
そう言って、嗤う。



「飼い主の役に立てなくて残念だったな」
わざわざこちらにやって来てまでそんな嫌味を言うのだから、この男もたいそう暇らしい。
「お前も過激な意見が通らなくて残念だったな、荼毘」
「そりゃどーも」
ツギハギだらけの腕が名前の方へ伸ばされ、その掌が彼女の膝、喧騒にも関わらず深い眠りにつく爆豪の顔面に向けられた。
「まどろっこしいな」
殺してしまえは楽なのに。
それだけで社会は子供1人救えないヒーローという存在に絶望するはずなのに。

そんな荼毘の考えが理解できてしまう自分自身に名前は嫌悪感を感じた。根本的にこの男が嫌いだ。荼毘も名前のことは嫌いで仕方ないだろう。無視すればいいとわかっていながら、近しい考えを持ってしまう故に視界に入って来てしまう存在が余計に苛だたしい。

「……この爆豪って子、随分と綺麗な顔をしていますよね」
荼毘は爆豪へ向けた掌をそのままに名前を見た。
「ツギハギだらけの自分の顔はコンプレックスですか?」

瞬間、荼毘の掌が少女の顔面に向けられる。
この時、彼女の生殺与奪権を握っているのはこの男だった。それでも名前はなんでもない顔で綺麗だと評した爆豪の顔を眺め続け、きっと永遠に仲間になれない理解者の眠りを守っていた。

やがて荼毘は自身の行動の無意味さに苛立ちを感じて、名前に背を向けるとその足でアジトからすら立ち去った。

「名前」
黒霧は子供を叱るのに似たような声で彼女の名前を呼んだ。
「あまり彼を挑発するものではありませんよ」
「それ、あっちに言ってくれます?それとも黒霧さんは荼毘の味方をするんですか?」
返ってきた言葉に黒霧は呆れて溜息をつく。普段はこの連合でもトップクラスに聡明なのに、どうして荼毘と向かい合う時にばかり子供っぽくなってしまうのだろうか。そんなことを考えて、黒霧は自身の考えのおかしさに気がついた。

その中身に何が詰まっていたとしても、彼女はまだ子供のはずなのに。

ならば、荼毘と向き合うその姿こそが本来あるべき彼女の姿なのだろうか、などとそんなところにまで思考が至ってしまうが、これ以上連合に"子供"が増えるのは勘弁願いたいとも心から思った。

彼女には、どうか聡明で思慮深い大人のままでいて欲しい。
それは黒霧のある意味では切実な願いだった。

(2019.9.15)