黒霧の経営するバーは知る人ぞ知る、所謂隠れ家的バーとなっているが、それはあくまでも表向きの話だ。
その真の顔は悪名高き敵連合のアジト……というかぶっちゃけ溜まり場になっている。暇な連中がやって来てだらだらするのは別にいいのだが、頼むので喧嘩をおっぱじめて設備を破壊するのだけはやめてほしい。
先々週はトゥワイスが分裂しかけて発狂し、バーのグラスが2桁ほど無残な姿になった。黒霧はキレた。
先週は荼毘と死柄木が大喧嘩をして先生と通信しているモニターがぶっ壊された。黒霧はキレた。
さて、今日も今日とてカウンターの内側でキュッキュッとグラスを磨いている黒霧は、静かに仕事をしながら奥のソファ席できゃっきゃしている2人をぼんやりと眺めていた。
「黒霧」
「先生、どうかしましたか」
モニターの向こうから先生が暇そうに話しかけて来た。
「弔と名前は何をしているのかな」
「ひらがなの書き取り練習です」
「ひらがなの書き取り練習……」
ソファ席を占領している死柄木と名前は楽しそうに……名前は無表情なのでよくわからないが、とにかく死柄木は楽しそうにひらがなドリルを見ながら紙に何かを書いている。ここは幼稚園か?
何を思いついたか唐突に黒霧にひらがなドリルを買って来させた死柄木。幼女と一緒にわいわい遊んでる死柄木。これを見て一体誰が彼を、今や世間を賑わせまくっている敵連合のボスだと思うだろうか。ちょっと黒霧も心配になってきた。
「先生、良いのでしょうか……?」
どうしようもなく不安になって尋ねる。
「うーん、まあいいんじゃない?なんか可愛いし」
「…………」
とてつもなく不安になってきた。
黒霧は胸に巣食う不安と戦いながらぼんやりと思慮に耽っていた。とそのとき、気配に気がついて顔を上げると名前がぱたぱたと小走りでこちらへ寄ってきているのが見えた。彼女はカウンターの前に置かれた高さのある椅子によじ登って、それからそこにちょこんと座る。
「……どうかしましたか」
そう尋ねると彼女は「勉強しました」とだけ答えた。そうして名前は英単語を覚える受験生が使うような単語帳をこちらに見せてきた。
ん?と思いながら見ていると、名前がパラパラとそれをめくる。そしてあるページを開くとそれをこちらに見せてきた。
『くろぎり』
あまり上手とは言えないひらがなで書かれた黒霧の名前。彼女は再びページをめくる。
『いつも』
ページをめくる。
『ありがとう』
それから彼女は少しだけ、ほんの少しだけ口角を上げた。笑顔、なのだろう。彼女にしては珍しい、表情の変化。
黒霧は善人ではない。人を傷つけ、殺すことにだって何の躊躇いもない。
けれども人間だ。情はある。それも少なくとも仲間と呼べる人達になら、特に。
「……いいえ。こちらこそ、ありがとうございます」
悪人らしくもなく、ささやかな感謝をただ素直に嬉しいと思ってしまった。
黒霧は名前の持つ単語帳を見せてもらった。
はじめの方には連合のメンバーの名前がひらがなで書かれている。それから日常的に使う言葉。例えば『おはよう』だとか『ありがとう』だとか、そんな言葉。
和やかな気持ちになりながらペラペラとそれをめくるうちに黒霧は段々と……アレ?と思い始めてきた。
『すき』
『きらい』
『ふつう』
『きょうみがない』
『しね』
『くたばれ』
『じごくにおちろ』
『ざけんな』
『きもい』
『せいりてきにむり』
黒霧は一旦単語帳を閉じた。
……なんか、思ってたのと違うな。
それからそっと名前へ返した。
「…………良いと思います」
それしか言えなかった。
再び『ありがとう』のページを見せてきた少女はくるりと背を向けて死柄木の元へ戻っていく。
うん、楽しそうだし、まあ、いっか。なんか可愛いし。
黒霧は考えることを諦めた。