「弔くんは名前ちゃんが結婚したらどうするんですか?」
始まりはトガの些細な、それでいて強烈な一言から始まった。
「………………………は?」
定位置でもあるいつものカウンターチェアに座った死柄木は鳩が豆鉄砲を食ったような顔−−−とはいえ彼の顔には「お父さん」の掌があったのでよく見えないが−−−をした。
無邪気なJKの一言で、彼の頭の中は真っ白になる。結婚?結婚……?俺の名前ちゃんが……?なんで……?
「わけわかんねえ……するわけないだろ……」
「えー!わかんないですよ!」
混乱しながらもなんとか絞り出した否定はトガによってさらに容易く否定される。
「名前ちゃんも女の子ですよ!大きくなったら誰かのお嫁さんになるかも!」
「わからないわよ〜、最近の流行りは婿入りなんだから」
「そうなのか!流石マグ姉!この流行遅れ!」
トガ、マグネ、トゥワイスと、次々繰り出される連合メンツからの追撃に死柄木は容赦なく打ちのめされる。
「…………嫁……?婿……?……………は?」
その瞬間、死柄木の脳裏に浮かんだのは、成長して可愛らしい女の子から綺麗な女性になった名前の姿だった。
(「弔くん、いままでありがとう」)
眩しいほどに綺麗なウェディングドレスに身を包んだ彼女は、これまで死柄木の前でしか見せなかった穏やかで優しい笑みを知らない誰かに当たり前のように見せる。先生の腕を取ってバージンロードを歩く名前。何処の馬の骨ともわからない奴が名前のヴェールをそっと取り、彼女に口付けを……、とまで想像が進んで、死柄木は慌ててその想像を打ち消した。
「は……?無理……やだ……絶対無理……殺す……相手を……」
「殺意ーーー!」
「弔くんがそんなんじゃ名前ちゃん幸せになれないですよ」
「うるさい、死ね」
どう考えても無理だった。死柄木にとって名前とはずっとそばにいてくれる存在なのだ。他人に奪われることなど許せるわけがない。
スピナーは武器の手入れの傍ら、一連のやりとりを見ながら(同担拒否……或いは好きなアイドルに結婚報道があったファンみたいだな……)と思った。
それから、もしもステインに結婚騒動があったらどうしよう、とも考えた。もちろん要らない不安である。
「名前ちゃん、ウェディングドレス似合うでしょうね〜」
「やめろ……やめろ……」
「連れてくるのが男とは限らないわよ〜」
「は……?なに……?むり……」
くるくるとフロアで回るトガとソファに座るマグネに、ここぞとばかりに弄られている死柄木。混乱とストレスに負け、ガリガリと頭や首を掻きむしっている。
黒霧はそんな騒がしいやり取りを黙って聞きながら、カウンターの中で(はたして死柄木は名前をどう思っているのだろうか)なんてことを考えていた。
彼と彼女がお互いに強い感情を向けあっていることは連合では周知のことだ。それは確かに友情であり、一種の独占欲である。あるいは愛と呼んでも良いものなのかもしれない。しかしその愛は恋愛的なものではなく、どちらかといえば家族愛に近い。
果たして、そこに男女としての愛や恋慕が入る隙間はあるのだろうか。
…………まあ、無いだろうな。
少なくとも死柄木にそのような意識がそもそも存在していると思えない。
彼はその生い立ちゆえにそういった繊細な感情に対しての知識や経験がほとんど無いのだ。好きという感情に友情も恋情も家族愛も仲間愛も区別がない。無邪気で無垢だ。連合の頭となってからは少しずつ成長していってはいるが、そういう方面に関しては未だに精神的に子供だとも言える。
トガたちにああだこうだと言われて苛立ち、混乱しているのも単に「仲の良い友人が赤の他人に奪われることが許せない」という独占欲でしかない。
そういった繊細な感情に関してはおそらく、死柄木よりも名前の方が理解しているだろう。
今、黒霧のバーの出入口扉の外側に立ち、バーの中が面倒なことになっていることに気がついて、今すぐ身を翻して帰るべきか友人である死柄木を助けるべきか長々と逡巡している彼女の方が、余程。
黒霧は個性を使用して名前の隣、つまりバーの扉の外へ立つ。唐突に現れた彼に、幼い彼女はびくりと肩を震わせて驚いたが、それが黒霧だと気がついていからせた肩を落とした。彼だと認識して安心するくらいには彼女に信頼されているらしい。
黒霧は片手で扉を開いた。そしてもう片方の手で名前の背中を押してバーの中へグイグイと押し込むように入らせる。体重を後ろにかけたうえに足を突っ張らせてやや抵抗してくるが、そんなもの彼からしてみれば抵抗らしい抵抗にもならない。
「この騒ぎをどうにかして下さい」
黒霧がそう言うと、名前は「何故自分がそんなことをしなくてはならないのか」という非難の目で見上げてきた。
「騒動の一因は貴女にもあるでしょう?」
「……………?」
胡乱げな表情のまま、しかし黒霧にぐいぐい押されて「お願いします」「貴女くらいにしか止められない」「バーが壊される前にどうか」などと頼み込まれば断りきれなくなったのか、やがて渋々と足を進める名前。彼女の登場に気がついた死柄木やトガにわーきゃーと騒がしく歓迎され、揉みくちゃにされているのをカウンター内に戻りながら黒霧は見ていた。
……やはり貴女の所為なのだ、と黒霧は思う。
貴女さえいなければ、死柄木はこんなにも誰かを失うことを恐れたりなどしなかっただろう。
損得ではなくもっと純粋な感情として、他者を失ったときに苛烈な負の感情を抱くようになってしまっただろう彼の変化が、果たして敵連合のトップとして良いことなのか否か、黒霧にはまだ判別がつかない。
いつか、その答えは出るだろうとして。
日食のように僅かに滲み見えるようになってしまった幸福というものの輪郭に、黒霧は少しだけ怯えそうになる。
自分も何かを失うことを恐れる日が来るのだろうか。
そしてそれは、自身の在り方として正しいことものなのだろうか。
答えの無い自問自答。黒霧はそれらから今は、今この瞬間だけはそっと目をそらした。
そうして今はただ、この呆れて返るような騒動の結末を、外側と内側の境界線上から静かに見守ることにした。