犬には見えない星


稀咲が犬を飼い始めた。
その犬を何故か半間が世話している。

飼うっつーから犬の世話をする稀咲が見れると思ったのになー、つかこれって育児放棄じゃねぇの?ダリィから保健所連れてっていいか?などと半間は思ったが、稀咲には稀咲の考えがあるのだろう。


「おい、ポチ行くぞオラ」
「あ、はい、へへ、あの、お、苗字です、私、ポチじゃなくて」
「ア?うるせぇな。いいんだよ、オレがポチつったら来いや」
「あ、え、あ、はい、わ、わかりました、へへ」
軽度の吃音のせいかそもそものヘラヘラとした態度のせいか、気の抜けた印象のある犬だったが、世話をしてみれば割りかし従順な犬を半間は半間なりに可愛がった。たまにいじめた。

可愛がってもいじめても反応が変わらないのですぐに飽きるかと思ったがなんだかんだこの関係は1ヶ月ほど続いている。


犬は犬なのだが人間でもあるのでたまに一緒に飯を食いに行く。
先日は会食あったので犬も連れてってフレンチを食べた。会食などつまらなくて嫌いだが、その時は犬がテーブルマナーを間違えるたびにテーブルの下で犬の脛を蹴るゲームになったのでそれなりに楽しかった。

フレンチは量が無いので、普通に足りない。会食が終わる頃にはもう腹が減っている。なので帰りに犬を連れて牛丼チェーン店に行った。
半間が注文したのを見て犬も牛丼を食べたそうにしていたので、カレーを注文してやったら「ワー、わ、私、カレーを食べるの人生初めてです、へへ」と言っていたので少し真顔になる。
だがまあ、こいつは犬なのでカレーを食べた事がなくても可笑しくは無いだろうと納得した。

ただそれ以降、犬に餌を与えるのが半間の趣味になった。

「ポチィ、これ食え」
「はわ、は、ハンバーガーだ、へへ、私ハンバーガー食べるの初めてです、えへへ」
「ふーん、あっそ」


「おい、犬、オレもうこれ飽きたからやる」
「クレープだぁ、あ、はは、クレープって私が食べてもいいんですね……あ、ありがとうございます……」
「は?……あー、だりぃな……」


「苗字、あーん♡」
「ひぇ、あ、あーー、ん、んむ、むむ…………こ、これ、今、わた、私なに、た、食べさせられたんですか……?」
「蜂の子」
「はちのこ……?あ、でもよくわかんないですけど、美味しいです、へへ、えへへ」


食えと言ったらゴミでも食いそうだな、と半間は思った。試さなかったが。


そうやって半間が餌をやるうちに、犬も半間に懐き始めた。
そうは言っても「餌をくれる=半間が主人である」という誤解をしない程度には犬は頭が悪くなかった。もしもそんな誤解をするほど馬鹿なら、他でも無い半間が直々に犬を処分していただろう。









「あ、あの、半間さんって、ヒーローを見たこと、ありますか?」
「ア?なんだ、その質問」

盗ってこいと言ったブツを犬がちゃんと盗ってきたので、その帰りにご褒美としてコンビニで一番安いアイスを買い与えた。

夜のコンビニの前で立ちながらアイスを食べる犬は「美味しいです、へへ、えへへ」とヘラヘラと笑っている。

犬が食べ終えるのを、半間はその隣で煙草を吸って待っていた。風向きのせいで煙草の煙は全て犬の方へ流れていく。
そのせいでアイスを食べている最中に犬が時々ケホケホと咳をしたが、半間がわざわざ移動してやる義理もない。

「けほ、前に稀咲さんが見たことあるって言ってたので……半間さんもあるのかなって……へへ……」
「へぇ……」
ヒーローねぇ……。

「ねぇな」
「ねぇですか……」
「サーカスなら見た事があるけどな」
「サーカス……」
「ああ、目の前にピエロが出てきてオレには想像もつかないことを平気でしやがるもんだから、世界に一瞬で色がついちまった」

半間はそれだけ言って、隣に立つ犬を見下ろした。溶けたアイスで手を汚した犬は特にそれを気にすることもなく半間を見上げていた。表情に変化は無い。きっと伝わらなかったのだろう。半間とて伝わって欲しかった訳では無い。口元に近づいてくる煙草の火。段々と短くなるそれを指で挟んで唇から離した。

「星が、見えましたか?」
不意に犬がそんなことを問いかけた。一度犬から離した視線を戻す。犬は小さく首を傾げながら半間の答えを待っていた。だから半間はごくつまらなそうに返事をした。

「そんな遠くてちっぽけなもんに興味はねぇよ」
「あ、へへ……そうですか……えへへ……」
「お前には見えたのかよ」
「あ、え、けほ、いえ、別に、私はヒーローも、サーカスも見たことないし、へへ……でも、ただ、」

犬は半間を見上げていた。
視界に広がる煙草の煙が犬の顔を白くぼやけさせる。何を考えているのかわからない気の抜けた顔。
半間はこの犬が嫌いじゃなかった。少し、まあ少しだけ、稀咲からの命令なら世話してやってもいいかな、と思える程度にはこの犬を可愛がっている。

「わた、私は、星を見る人を見るのが好き、なので、えへへ、へ、あの、半間さんも、少し、星を見てるように見えたから」

犬の視力は人間で言うと0.2〜0.3程度らしい。つまり2メートル程度の範囲のものしかよく見ることはできないのだ。

だからきっと犬に星は見えない。
故に犬は隣に立つ人間の瞳の中に映る星をこそ、見ようとした。

「……苗字」
「あ、はい、へへ、はい、なんですか?」
「なんか食いてぇモンあるか」
「えっ、えー、えっー、え、あ、あ、じゃあ、きゃ、キャビア、とか……?」
「うるせぇボケカスチビゴミちんちくりん千年早ぇよカエルの卵食ってろ雑魚が」
「あっ、へへ……理不尽……へへっ……」


すっかり忘れていたけれど、そういえば苗字は犬ではなくて人間なので、もしかしたらいつか彼女にも星が見える日が来るのかもしれない。

半間はそう思ったが口にはしなかった。特に理由はない。

強いて言えば苗字の持っているアイスの棒に「当たり」と書いてあったのがムカついたからだ。

半間はその長い脚で苗字の脛を強めに蹴った。


(2021.08.29)