眼中にない

「オイコラ名前ちゃん今日も可愛いなァちょっとツラ貸せや3秒で来ねぇとオレと結婚させるぞ」
「ヒッ、反社に新卒入社しても三途さんとだけは結婚したくない……わかりました、渋々ついていきます……」
「なんでだよォ!歓びに咽び泣いてオレと結婚しろや!クソドブ女が!」
「自ら結婚を脅し文句にしておきながらこのキレよう」

なんて情緒不安定な男なのだろう。クスリでもやってるのだろうか。やってるわ。お巡りさんこの人です。でもここ反社なのでお巡りさん来ません。解散。


仕事の途中で急に上司である三途さんに引っ張られた私は仕方なく彼に引っ張られるまま着いていく羽目になった。
やだなー望月さんに任された仕事がまだあるのになーと顔をシワシワにしながら歩いていくと、やがて辿り着いた応接室の中に突き飛ばされた。

「よォ〜名前ちゃん」
「災難だな、アンタも」
「うわっ、大乱闘極悪ブラザーズじゃないですか、もう帰りたい」
「ア?テメェ交えて大乱行して穴兄弟になるぞコラ」
「ひん……この職場怖すぎりゅ……」
応接室の奥のソファには灰谷兄弟が仲良く並んで座っていた。3人がけのソファに隙間なくきゅっとくっついて座る2人に(仲良いな……けどアラサーの男兄弟がこの仲の良さって逆にキモいな……)などと思った。口にすると殺されるので頭の中で思うだけに留める。

そんなことを考えながら入り口付近でうだうだ立ち尽くしていると三途さんに尻を飛ばされた。この職場に来てから碌に女性の扱い、というか人間としての扱いを受けた試しがない。

「オラ、とっとと座れや、ゲロ女」
「ううっ……こんなひと気の無いところに連れてきて……私に乱暴する気ですね……!HUNTER×HUNTERのキメラアント編みたいに!キメラアント編みたいに!」
「いやそこまではしねぇよ」
「どんな発想?逆に何をされると思って来たのお前は」
ドン引きした声にツッコまれて、じゃあ何のために呼んだんだよクソがと思いながら、渋々灰谷兄弟の向かいのソファに座る。すると続けて私の隣に三途さんがぴたりと座った。近い。距離が乱交兄弟並みに近い。ゼロ距離。なんでだよ。太腿触るな殺すぞ。

「えっ、なんで三途さんわざわざそこに座るんですか。太腿触らないでください殺しますよ」
「ア゛ァ!?どこ座ろうとなに触ろうとオレの勝手だろうが!文句あんのか!」
「ありますけど……」
怖い、煩い、邪魔くさいの三拍子の文句が浮かんだが、両頬を力いっぱい抓られたせいで「いだだだだ!」という悲鳴しか口に出せなかった。上司のパワーハラスメントが酷い。これだからブラック企業は……。

そうやって私と三途さんでプチ乱闘をしていると、唐突に蘭さんがローテーブルの上に一枚の写真を置いた。
写真には1人の男性の姿。私はその人を知っていた。

私の髪を引っ張っていた三途さんはその写真に気がつくと、ただでさえ鬼のような形相を般若のそれに変えて私の胸ぐらを掴んだ。

「オイテメェこのクソ野郎は誰だよ!オレに隠れて浮気しやがって!ア!?裏切んのかァ!テメェもオレを!」
「三途さん落ち着いてください。浮気とは交際関係もしくは夫婦関係にある人間間においての不貞行為を指します。私と三途さんは交際関係でも夫婦関係でもないので浮気には当たりません」
「にゃんでそうゆうことゆうのぉ!」
抱きつかれて泣かれた。いや、だって別に三途さんとは付き合ってもないし……。

「いやーでもオレらも気になるなぁ。名前ちゃん、彼氏いないよな。誰コイツ?」
何故か目だけが笑っていない笑顔の蘭さんに彼氏がいないと断ぜられてムカつく。まあ、確かにいないが。
よくわからないが、その男の詳細情報が知りたいのだろうかと思って口を開こうとした瞬間、竜胆さんが写真の男を指さして私より先に言葉を発する。

「川ア颯人。34歳。大手企業のコンサルタントでそこそこの役職。国立大学の経営科卒業。趣味はサーフィンと酒。自宅は麻布のマンションで妻子持ち。妻が24歳で娘が3歳。仕事だって嘘ついて碌に家には帰ってねーみたいだけど」
「いやもう全部知ってるじゃないですか。なに?Wikipedia?これ私呼び出してまで聞くことあります?」
「あるに決まってんだろ」
そう答えたのは情報通な竜胆さんだった。どこかイライラした表情でこちらを見てくるが、私は何も悪くないので特に機嫌を取ることもせず「無いですけど」と返事をする。

「名前、お前先週コイツとバーで飲んでたろ」
「え?あ、ああ、まあ、飲みましたけど」
「それが何か?」と言おうとしたその時、私の肩に抱きついて泣いていた三途さんの腕の拘束が強まる。ぎしりと骨が軋むような痛みに顔を歪めた瞬間には、耳元で三途さんのクソでかい声が響く。

「誰なんだよこの間男はよォ!スクラップにすんぞ!2人っきりで酒飲むのはもう浮気だろうが!ヤったのか!?この雑魚そうなゴミと!オイ答えろやこの浮気女!」
「うるさっ……いやだから浮気じゃないですし、そもそもこの人は別に、」
「こいつなんか所詮年収600万くらいだろ!オレはその10倍はあっから!非課税だし!優良物件だろうが!」
「どんなに家賃が安くても大島てるに載るような事故物件だったら優良物件とは言わないでしょう。三途さんはそれです」
「にゃんでそうゆうことゆうのぉ!」
泣かれた。多分クスリが切れ始めているのだろう。溜息をつく。面倒くさいな、もう仕事に戻りたいなと思っていた時、応接室の扉が音を立てて開いた。


「オイオイ、テメェらウチの部下を勝手に連れてってんじゃねぇよ」
応接室内の全員の視線が入り口へ向かう。そこに立つ人の姿を目にした瞬間、私は素早く立ち上がり頭を下げる。それに伴って私に引っ付いていた三途さんがソファから転げ落ちたが些事だ。

「お疲れ様です、望月さん」
「おう、またコイツらに絡まれてんのか、苗字」
私の直属の上司であり梵天の幹部である望月さんの登場で私の心の中のオーディエンスが一斉に湧き立つ。彼は梵天というブラック企業において尊敬できる数少ない上司の1人だ。

灰谷兄弟に用があったのだろう、中へ入って来た望月さんはソファに座る彼らといくらか言葉を交わすと、ふと目線を落とした先にあった1枚の写真に気がついた。それから私の顔を見て納得がいったような顔をした。

「ああ、この件か。コイツの処理ならウチで終わらせたぞ。他になんかあったか」

望月さんの言葉に灰谷兄弟が顔を見合わせる。
それから竜胆さんがおずおずと口を開いた。

「……オイ、モッチー。処理ってなに」
「ア?スクラップにしたに決まってんだろ。この野郎、ウチのシマで勝手にヤク売りやがって。苗字のお陰でとっとと捕まえられたんだ、逃すわけねえだろうがよ」
なぁ、苗字、と言って私に目線をくれる望月さんに心の中のオーディエンスはうちわを振りまくっている。そんな内心の興奮を外に出すことなく「お力添え出来て光栄です」と微笑んでみせる程度、容易いものだ。

「今回はお前のおかげで助かった。今度美味い飯連れてってやる」
「はい、楽しみにしていますね」
そう言って笑みを見せた望月さんに軽く頭を撫でられる。大きくて温かい掌の感触。オーディエンスはもう失神ものだ。

それから望月さんは灰谷兄弟たちへ「ウチのを長々と付き合わせんなよ」と釘を刺してから部屋を出て行った。
その足音が聞こえなくなるほど遠ざかってから、私はストンとソファに腰を下ろす。
それから両手を頬に当てて熱い吐息を零した。

「あ……望月さん、好き……一回でいいから抱かれたい……あわよくば遺伝子を残したい……」

本音を呟いた瞬間、灰谷兄弟からの視線が突き刺さる。

「あー、名前、お前モッチーのこと、あー、そういうことね、理解したわ、すべてを」
「なぁに、名前ちゃん、モッチー狙いなわけ?言ってくれりゃあモッチーに話通してやったのに。あ、お礼はオレらと一発してくれりゃあいいぜ。多分一発じゃ済まねーけど」
「蘭って贅沢な名前ですよね。今日からラフレシアに改名したらどうですか?」
「オレに厳しくね?」
「今のは兄ちゃんが悪い」
つーか、と竜胆さんは話のハンドルを切って、テーブルの上に放っていた写真を手に取ってひらひらと揺らした。

「コイツ、結局どういうこと?」
「この人、さっき望月さんが言っていた通り、ウチのシマで勝手にヤク売り捌いてたんです。溝鼠みたいにコソコソやってるなら見逃してもよかったんですけど、ちょっと大胆にやりすぎましたね。始末するかって話が上がった頃に偶然バーで見かけたので、美人局みたいなことをしただけですよ」
「美人局」
「まあ、軽く声かけて、望月さんのケツモチの店に連れてって、って感じですね」
「ア!?このクソ野郎、名前に逆ナンされたってことか!?いいご身分だな!オレもされたことねぇのに!?つか一緒に酒飲んだこともねぇのに!クソがよ!スクラップにしてやる!」
「もうなってんだよ」
足元に転がっていた三途さんが元気よく起き上がったかと思うと、竜胆さんの手から写真を奪ってそれをくしゃくしゃのびりびりに破いた。そしてそれを床にぶち撒けると私の襟元を掴んでソファの背に押し付けた。

「名前はオレと結婚するんだもんな?」
「ちょっと何言ってるのかわかんないですね……」
「ガキの頃、春ちゃん大好きつってたろうが!」
「三途さんと出会ったのは成人してからなんですけど」
記憶を改竄してまで私と結婚したいのか。そんなに私のことが好きなのか。まあ、私は別に三途さんのこと好きではないし、結婚とか絶対にしたくないが。

私に縋り付いてくる三途さんの背中を撫でながら、落ち着かせるように穏やかな声音でゆっくりと話しかける。

「三途さん、本当のことを言いますから聞いてくださいね」
「……おう」
「私生まれてこの方、望月さんみたいなダンディで包容力があって体の厚い筋骨隆々とした男性にしか性欲を抱いた事がないんです」
「……?……オレってこと?」
「お前ではないということです。正直に言って顔と体つきと名前と性格と趣味嗜好とファッションセンスと癖が好みではないです」
「…………」
「何故あなたが私に執着するのか皆目検討もつきませんが、私があなたに恋愛的感情を抱くことはありません」
「…………」
「ボーリングでいうとガーター。野球でいうとデッドボールです」
「名前ちゃんストップ」
「三途もう死んでるから」

動かなくなった三途さんの体を軽く押すとそのまま倒れてソファに転がった。なるほど、初めからこうしていればよかったわけだ。


「私は貴方のことなど興味ありません」


私は立ち上がり、そのまま応接室を出て歩みを進めた。
まだ仕事が残っている。
さっさと終わらせて、私は望月さんに優秀な部下だと思われたいのだ。








「オイ、三途〜」
「生きてっか〜」


あの頃は今とは髪色も髪型も違ったし、口元の傷も無かった頃だから、気が付けないのかもしれない。
それになにより、彼女はまだ幼かった。


(「たすけてくれてありがとう、春ちゃん」)
(「春ちゃんはやさしいね」)
(「けっこんするなら春ちゃんみたいな人がいいな」)

(「だいすきよ、春ちゃん」)


だけど、言ったのだ。君はあの日、本当に。
なんてことない日々を、風に吹かれれば消えてしまいそうなほどささやかな安寧の時を一緒に過ごしたのだ。

忘れてしまったのかもしれないけれど。
もう覚えていないのかもしれないけど。

遠い名残のような日々。その小さな体を、自分を見上げてくるその瞳を、向けられる屈託の無い笑みを忘れたことなどなかった。

花を手折らないように、自分自身信じられないくらい優しく優しくふれていた。大切にしていた。
傷をつけないことが愛なのだと信じていた。
だから、離れることさえ愛なのだと、信じていた。

……再会を願わなかったわけではないけれど。



(「……あの、どちら様ですか?」)



例え、君が覚えていなくても。
それでも君を、君と過ごした日々を心から愛しているのだ。

……塩の柱のように。






「おわ……三途ガチ泣きしてんじゃん……」
「カワイソー」
「オレらが名前ちゃんと乱交するときは呼んでやるからな〜」
「…………殺す」



(2021.09.01)