くらくら

「校外学習で遊園地って、結局何を学ばせようとしてるのよ」
「……恐らく生徒間での交流を図る目的だろう」
「なんだか腹が立つわね……」

越知と苗字の二人は陽気なBGMが流れる遊園地の入り口近くにあるベンチに並んで座っていた。二人の他、周りに見知った顔は無い。教師から自由行動を許可された途端にみんな楽しげにアトラクションへ向かってしまった。

越知も苗字も、友人たちと行動は共にしなかった。
越知はその規格外な高身長から乗れるアトラクションを探す方が大変だったし、苗字は人より過敏な三半規管のために行きのバスの時点で既にグロッキーだったからだ。

そんな彼女は今、ベンチに座ってじっと足元を見つめながら深呼吸を繰り返すことでようやく目眩と吐き気が治まってきた頃だ。
越知は荒い息を繰り返す彼女へミネラルウォーターを渡したり、冷えた体に上着をかけてやったりと何かと世話を焼いていた。

「あのね、越知」
「なんだ」
「自分の体調のことだからわかるんだけど、本当私はもう少し休んでたら治るから、越知もみんなと遊んできて大丈夫だよ」
青紫の唇をした彼女にそう気を遣われて、邪魔だったろうかと越知は考えた。けれど、邪魔だろうがなんだろうが目の前で苦しそうな彼女を放って何処かに行くことは出来ない。

「気を遣ってもらって悪いが、そう言われても俺も行く当てがなくてな。苗字さえよければ、ここにいさせてもらいたい」
「……越知、ちゃんと友達いる?」
「苗字」
「ごめんごめん、冗談だよ」
苗字が自分の友人だ、という意味で言ったつもりだったのだが、彼女にはツッコミか何かだと思われたらしい。
敢えて指摘する必要もないと思い「さして気にしていない」と返せば、苗字は小さく笑って、それから「いてくれたら、正直助かるわ」と呟く様に言った。

震える指先、焦点の合わない目、青ざめた顔色。
きっと、本当はとても辛いのだろう。

「普段は、こんなに、酷く、ならないん、だけどね」
「ああ」
「ちゃんと、薬も、飲んでたのよ。だから、ちょっと、自分でも、びっくりしてて」
「苗字、無理して話さなくていい」
「ごめ、ん……」
「気にする必要はない。だが、もし俺にできることがあるなら言ってくれ」
「……越知」
「どうした」
「……せなか、心臓の高さで、さすってほしい」
「わかった」

越知は彼が苗字へ掛けた上着越しに、前屈みになった彼女を撫でようとその大きな掌を背中に置く。一度その手を彼女の背中の上で滑らせて、ふと掌に引っ掛かりを感じた。
不意にそれが女性用下着の金具部分だと気がついて、一瞬硬直する。フリーズしかけたが、素早く脳内で自分の頬を叩いて叱咤した。それからさりげなく下着のあたりを避けて肩甲骨の付近を撫でる。

これでいいのだろうか、と苗字の顔を覗き込むと、視界の端に越知を見つけた彼女は荒い息の隙間で「ありがと」と目を細めた。

彼女の背を10分ほど撫で続けたあたりでようやく苗字の体調は回復したらしい。前屈みになっていた体を起こして深く息を吐く。
過呼吸じみた吐息はもう聞こえないし、唇に色が戻ってきた。彼女は額の汗をさりげなく拭ってから、越知を上げて微笑んだ。

「ありがとう、落ち着いたみたい」
「そうか、ならばいい」
「でも、その、アトラクション乗れないって言ってもせっかくの遊園地なのに、私の介護なんかさせちゃってごめん」
「何度も言うが気にする必要はない。俺としても好意のある相手の力になれてよかった」
「そっか、そう言ってもらえると…………えっ?」
「むしろお前が苦しんでいるというのに、二人きりになれて幸運だと思っている様な男になど感謝しなくていい」
「あ……えっ……?」
「少し顔色が戻ったようだな」
じんわりと頬を染める苗字に越知は長い前髪の奥にある目尻を少しだけ緩める。

越知の言葉を聞いた彼女の体調、反応、表情。
攻め時がわからないほど愚かではない。

「もう少し休んだら、二人きりで歩かないか。せっかくの遊園地だ。食べ歩きというのも悪くないと思うのだが」

驚いた表情のまま顔を赤くする苗字は越知を見つめたまま固まっていて、けれどすぐにびっくりした顔のまま小さくぎこちなくうなづく。

「アイス、とか、どうかな……」
「ああ、さして問題はない」

なんだか賭けに勝ったような心地だ。
顔を隠すみたいに両手で頬を包む苗字に、越知は少し温くなったミネラルウォーターを差し出した。



(2022.03.28)