こどものころからあっぷっぷ


悪い君主になろうと思った。

カリグラ、暴君ネロ、ドミティアヌス、ヒッピアス、カラカラ。お手本は歴史にいくらでもある。
カテゴライズされた属性を弾圧し、身内のみを愛し、弱者を暴力で支配し、私利私欲を求め、民草を虐げ、肉欲に溺れ、財を貪り、狂い果て、最後には正しき者に討ち取られる。

そういう者になるほかないと思った。
そういう者でなければ、四凶は私に着いてこないと思った。


降霊術『来訪凶獣』。
大陸にルーツを持つ降霊術を相伝とする苗字家の中でも特に異端の術式を持って生まれたのが私だった。
強きものや正しきものから力を借りて戦うのが本来の降霊術の在り方であるというのに、私は呼び奉るのは『四凶』と呼ばれる四柱の悪神。

善人を嫌い、悪人に尊ぶ『渾沌』
強者に媚び、弱者を貪る『饕餮』
誠実な者を殺し、不実な者を生かす『窮奇』
平和を乱し、戦いのみに生きる『檮杌』

どいつもこいつも全くもって碌でもない奴らばかり。
降霊術というものは本来、術師を器に神や霊をその身に降ろすのがスタンダードなやり方なのだが、私はそれをすることを家から禁じられた。
万が一にでも我が身に悪神を降ろして、それを制御出来ず、むしろ術師が降ろした神に自我を奪われた場合、悪神を受肉させることになるかもしれないからだ。

故に私は、悪神の分霊を使い魔として使役する、降霊術師としては異端の方法を選んだ。
四凶は私の随従だ。だからこそ、私は四凶に主人として認められなくてはならない。
四凶はどいつもこいつも悪人ばかりを好み、善人や弱者を嫌う。
だから、私は悪い君主にならなくてはならなかった。




グズグスと泣き噦る声が聞こえる方へ足を進める。
広い屋敷の隅、ひと気のない縁側で自分よりずっと小さな子供が体を小さくして泣いていた。
いつから泣いていたのか、その目元はすっかり赤くなっていて、見る人が見れば可哀想だと思うのかもしれないけれど、私はそこに庇護欲より先に苛立ちが生まれた。

わざと足音を立てて板張の廊下を進むと、泣いている子供のそばに遠慮なく寄って、その背中を蹴飛ばす。

「ぎゃん!」
「グズグズグズグズうるせーな、何泣いてんだよ琢真」

私に蹴飛ばされて縁側から転げ落ちた子供──親戚の子供である猪野琢真は、驚いた様子で起き上がると再び縁側に上がって、私を見てまた泣いた。

「ねぇちゃぁん!」
「うるせぇよ」
私の着物の裾を掴んでまたぎゃんぎゃんと泣く琢真の頬を抓ってやるが、この小さな子供はちっとも私から逃げないし、私から離れなかった。親類で歳の近いのは私くらいだからか ──とはいっても6歳も離れているのだが── 琢真は何故か事あるごとに彼をいじめる私に、それでもよくくっついてきた。理由は知らない。知りたいと思わない。
私は琢真を見かけるたびに蹴ったり殴ったりするが、琢真は私を見かけるたびに「ねぇちゃん」と呼んで懐いてくる。
多分、単純に頭が悪いのだろう。
そうでなければ自分を害する人間に懐くはずがない。
悪人を、好くはずもない。

琢真が私の着物を掴んだまま離さないから、私は仕方なく縁側に座り込む琢真の隣に腰を下ろした。着物が着崩れるのも気にせず胡座をかいて、膝の上で腕を立て頬杖をついて、涙でぐしゃぐしゃになったクソガキの顔を見る。

「で?なんで泣いてんの」
「……っ、ねぇちゃん、あんね、みんなねぇ、ひどいんだよ、かいち、おれのかいちのこと、ばかにすんだよ」
ふんふんと鼻を鳴らしながら、もたもたと要領を得ない文脈で喋る子供の話を流し聞く。

「おれがほーおーよべないから、おちこぼれなんだって」
「ハッ、あほくせー」
「あああああ!ねぇちゃんまであほっていったぁ!」
「お前にじゃねぇよ、バーカ」
「ばかっていったぁ!」
「ああ、今のはお前に言ったわ」
「あああああああ!!」
さらに激しく泣き喚く琢真に口角を上げる。

猪野家の相伝は『来訪瑞獣』。
私の術式とは真反対の、善なる霊獣を呼び降ろす力だ。例えそれが竜、鳳凰、麒麟、霊亀の四大聖獣でなかったとしても、琢真は確かに四柱の瑞獣たちに選ばれた人間だ。私は肩を落として息を吐く。

「獬豸は悪人を刺す公正な瑞獣なんだろ。まあ、確かに鳳凰はお前を選ばなかったかもしれないがな、獬豸は正しく善悪の区別のつく人間だと思ったからお前のところに来たんだ。おかしいことじゃないし、他人にどうこう言われることでもない。ただ道理に適ってるだけなんだよ」
「……ぐすっ、……どうゆうこと?」
「あー、つまり鳳凰はバカのところには来ねぇつーこと」
「ああああああ!!!」

もしも道理というものがこの世界にあるのならば、琢真はそのために生まれたのだろう。
私という凶獣を支配する悪人が生まれたから、それを殺せる人間を産み落としたのだ。

琢真の呼び降ろす瑞獣は霊亀、龍、麒麟、獬豸。
霊亀と龍は民草のために水と雨を与えた。麒麟は人を傷つけないためにその角を肉で覆った。
そして、獬豸は人の善悪を見極め、悪人をこそその角で突き刺す。

私という暴君がいつか狂い果て、秩序を壊す悪徳に成り果てるのならば、お前が、お前の獬豸が私を殺してくれるのだろう。
そう思えたから、それだけで私は救われる。心置きなく悪人になれる。私は私の愛する者だけを愛せる。私は私の嫌いな者だけを殺し切れる。

だから、どうか、お前は、お前だけは決して私を許さないでくれ。


「いつまでも泣いてんじゃねぇっての。ほら、見ろ。私の渾沌なんか、自分の尻尾咥えてその辺でぐるぐる回るしか脳がねぇんだぞ。それに比べたらお前の獬豸のほうがよっぽど立派だろうが」

庭先に呼び出した渾沌はいつも通り、顔の無い顔で自分の尾を咥えるとその場をぐるぐると回り出した。目は無いのにどうしてか、渾沌が空を見上げてアホヅラ下げてニヤニヤしているのはわかる。

琢真は時折喉を引き攣らせながらもようやく泣き止んで、庭先でぐるぐる飽きもせず回る渾沌を眺めた。何が楽しいのか、そのうち「へへっ」と笑いながら渾沌を見つめ始める。

「ほんとだ、ぐるぐるしてる」
「な?こいつに比べたら大したことないだろ?」
「うん!」
琢真はようやくいつもの陽気さを取り戻して笑う。だから私も琢真へにっこりと笑ってやった。

「渾沌はマジで無能だ」
「うん」
「でも他人に肯定されるとそれはそれでムカつく」
「ふぇ?」
私は琢真の首根っこを掴むと、そのままちっこい琢真を持ち上げて庭にある池にポイっと投げ込んだ。

「みぎゃー!」
どぱーんと大きな水飛沫が一つ上がった。バシャバシャと琢真が池の中で暴れるのが見えて、声を上げて笑う。
それから相も変わらずぐるぐる回っている渾沌も足で蹴っ飛ばして池に突き落とした。

どいつもこいつもヘラヘラニヤニヤしやがって。

「ねぇちゃんのばかぁ!いじわる!」
池に投げ込まれなきゃそんなこともわかんねぇのかよ。
本当、お前ってやつは、

「バカだなぁ」



(2022.6.4)