「王子と会長はさぁ、カシオと名前ちゃんが付き合ってたらどうすんの?」
「可愛いね」
「最高だな」
「仮定状況における行動選択聞いてんのになんで脳死感想返ってくんだよ。それでも指揮官か?」
ラウンジで暇を持て余した4人。
犬飼の暇潰し半分の質問にノータイムで答えた王子と蔵内へキレのあるツッコミを入れたのは荒船だった。問うた本人である犬飼は「そう思う気持ちはわかるけどねー」と語尾を伸ばしてへらへらと笑う。
隊の中である程度年上の立場になった人間ならわかると思うのだが、自隊の年下の隊員はことさら可愛く見える。というか、正直ものすごく可愛い。
犬飼だって辻や氷見が仲良くしてるのを見たら嬉しくなるし、荒船だって隊の中で末っ子の半崎を非常に可愛がっている。
まあ、荒船の可愛がり方は相撲部屋のそれなので当の半崎からはやや嫌厭されているところはあるのだが。
閑話休題。
先輩である王子と蔵内だって、王子隊の年下隊員である樫尾と苗字の2人が仲良くしていれば当然嬉しい。家で飼っているワンちゃんと猫ちゃんが仲良くじゃれあっていたら連写不可避であるように、もしも末っ子コンビである2人が付き合っていたら日々の幸福感と橘高の創作意欲は右肩上がりだろう。
「でもまあ、無いだろうけどね」
「ああ、無いだろうな」
「へぇ?2人とも断言するね」
けれど、王子と蔵内はそれはあっさりと否定した。理由を問うように犬飼が相槌を打てば、蔵内は苦笑しながらその理由を答える。
「苗字はともかく、カシオが恋愛にうつつを抜かすのは想像がつかないだろう」
幼少期から長く交流のあるという樫尾と苗字の二人が仲良しのは彼らの為人を知っている人間ならば周知の事実である。
けれど真面目でしっかり者の上、同年代よりやや堅物なきらいのある樫尾が勉学やボーダーを横に置いて恋愛事にかまけるとは蔵内たちには思えなかった。それは樫尾の目の前の事象に対する誠実な在り方の話であり、美点の話だ。
「でもあの2人幼馴染つってなかったか」
「恋愛漫画じゃ意外と幼馴染ってくっつかないもんだよ?」
「そりゃ漫画の話だろ」
犬飼が軽い気持ちで振った割に、意外な盛り上がりを見せつつある話題の最中、「あ、隊長〜、と先輩たち〜」と緩い声が4人の元に届いた。声の方へ目を向ければ、噂をすればなんとやら、件の2人がいた。
先輩らと目が合った途端に礼儀正しく頭を下げる樫尾と、その隣でにこにこと笑いながら手を振る苗字のツーショットに犬飼は思わず口笛を鳴らす。タイミングがいい。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です〜」
こちらの話題も知らずに寄ってきた後輩2人に王子が「おつかれ。模擬戦はどうだった?」と微笑んだ。
「んー、私がマスターランクに辿り着くのも時間の問題って感じですねぇ」
「嘘ですよ、王子先輩。苗字は今日も若村先輩にしっかり点数持っていかれてましたから」
「おわー、ハリボテが秒で剥がされる」
小気味のいい会話に年上たちの頬も緩む。王子や蔵内としてはこのままうちの子自慢をしたい気持ちは山々だったが、そろそろ18時近い。中学生の2人を帰宅させないといけない時間になってきていた。
「2人はそろそろ帰る時間か」
「ですです」
「うん、それじゃあカシオはいつも通り名前を家まで送るように」
「はい!もちろんです!」
任務中のようにぴしりと答えた樫尾の後に、苗字は「送ってもらいまーす」と変わらぬ緩い笑みでそう言った。
そうして自隊の先輩だけでなく、荒船や犬飼へも挨拶をして2人はラウンジを出ていく。
「ふーん、名前ちゃんのことカシオに送らせてるんだ」
「ああ、言わなくてもカシオのことなら送っていくと思うが」
「僕もそう思うけど一応ね。それに、」
と王子が勿体ぶるように口を開くので、他の3人の視線が彼に集まる。その視線を受けて、王子は微笑みながら告げた。
「2人が並んで帰ってる姿が可愛いからね」
「結局王子の趣味じゃねーか」
◇
「先輩たちって仲良いよね」
「同級生だから話しやすいんじゃないか」
「いいなー、私も同級生と仲良くしたーい」
「したらいいだろ」
「でも中3って少ないし、女の子ってなるともっと少ないし」
ボーダー基地の連絡通路を抜けて、警戒区域を抜けたところで彼らは換装を解いた。その日は学校からそのままボーダーへ来たため、トリオン体から戻った2人は六頴館中学の制服に戻る。
「藍ちゃんともっと仲良くしたいけど学校違うしボーダーでも忙しそうだしー」
以前その木虎にボコボコにされた経験のある樫尾はそれらしいアドバイスも上手く言葉にできなくて、苗字のその発言を軽くうなづくだけで流した。
同輩は少ないけれど、木虎といい空閑といい実力のある面々も多い。しかし、彼らに負けてはいられないのだ。自分たちを隊へ誘ってくれた先輩たちの期待に応えるためにも。
ボーダー基地から離れれば離れるほど街の灯りは増えていく。少しずつ明るくなっていく夜道。
戦場を離れ、夜闇から抜け出してきた樫尾と苗字は周囲に見知ったボーダー隊員や同じ学校の生徒がいないことをそっと確認してから、正面を向いたまま何食わぬ顔で互いの手を握り合った。
何食わぬ顔をしている、と思っているのは本人たちだけで、その頬は他者から見ればすぐにわかる程度には色づいていたのだけれど。
幼馴染である2人の間に恋人という関係性が増えたのは数ヶ月前のこと。けれどそれを誰かに伝えたことは無い。
きっと報告すれば自隊の先輩たちはきっと祝福してくれると分かっていたのだけれど、どうしても言えなかった。
多感な思春期。揶揄も祝福も同じくらい恥ずかしくてならないのは2人の共通の感覚だったのだ。だから今はまだ誰にも内緒。いつか、きっと、そのうち、先輩たちには言わなきゃと思いながら、やはりまだ照れ臭さが勝って仕方ない。
「隊長たちにいつ言おっか」
「……もう少ししたら」
ボーダーでも学校でもそんな素振りは見せずに、毎日の帰り道でだけ2人は少しだけ恋人らしいことをする。
それは指を絡ませるようなものでは無く、ただ互いの掌を握り合うだけのものだったけれど、本物の肉体同士の触れ合いや自分のものでは無い体温、握り返される感触だけで幸せだった。
幼い2人はそんな触れ合いだけで満足だった。
「でも隊長たち察しがいいからバレてそう」
「……それは、おれもそう思う」
実際はそんなことちっとも無い。けれど、そう思わせるのは普段王子隊の年上たちが意識的に後輩たちへカッコいいところばかりを見せているためだ。樫尾と苗字からの評価はいつだって実際の彼らの実力よりもやや高い。それは不理解や誤解などではなく、王子と蔵内、そして橘高の日々の努力の賜物だ。
ボーダーから彼女の家まで徒歩で約30分。早く帰ることはいくらでもできるけれど、2人は1日の中でごく僅かなこの時間を引き伸ばすようにゆっくりと歩く。それでも前へ進めばいつかは目的地に辿り着いてしまうものだ。
彼女の自宅である一軒家の前に到着した2人は、門の前で立ち止まる。甘やかな逢瀬は終わりに近づき、胸の内には柔らかな幸福感と冷たさに似た寂寞が残る。
「送ってくれてありがとうね、いつも」
「……ああ」
先に口を開いたのは少女の方で、少年は離れそうになる掌に寂しさを感じながら自身の掌から力を抜く。
「また明日」
そう笑って玄関の方へ向かおうとする彼女の手を咄嗟に掴んだのは、樫尾本人にとっても想定外のことだった。驚いて立ち止まる彼女が背の高い樫尾を見上げて首を傾げる。
「どうかした?」
「いや、これは、その……」
どうかしたのかと問われれば、どうかしてる。
家まで送るようにと敬愛する先輩から任されたのは自分だというのに、彼女を帰したくない、まだ一緒にいたいと、そんな我が儘を思ってしまうなんて。
小首を傾げてこちらを見つめてくる苗字へ何かを言わなくてはいけないのに、樫尾は口を開いたり閉じたりするばかりで肝心の言葉は何一つ生まれてきそうになかった。
そんな彼を見つめる苗字には幼馴染故にだんだんと察するものがあって、だから彼女は少し喉を鳴らして笑った。真面目な彼のそういうところが好きだと改めて思う。
「由多嘉」
「う……」
名前を呼んだだけでバツの悪そうな顔をするその人がそっと目を伏せたから、チャンスだと思った。
銃を片手に機を見て攻め込むあの瞬間みたいな高揚感。
恋人同士だって普段ならしない、相手のパーソナルスペースの中に飛び込んで、その無防備に薄く開かれた唇へ自分のものを押しつける。加減がわからなくて、ちょっと強く当たった。唇越しの前歯の感触。痛みには程遠い。なのに、心臓が大きく跳ねる。驚いて硬直した恋人の姿。電気が走ったみたいに肩が跳ねて、握られていた手は離れていた。目を瞑ることを忘れていたから、見開いた彼の大きな瞳さえよく見えて。
「なっ……なっ……!名前……!」
「由多嘉、また明日。気をつけて帰ってね」
そう苗字が余裕ぶった顔で手を振って見せれば、混乱している樫尾は目を丸くしたままなのに何が何だかわからないままに反射的に手を振りかえした。
彼女は笑って、笑ったまま跳ねるみたいに自分の家の玄関の方へ向かって、また樫尾へ向かって手を振ってから中へ入っていった。
残された樫尾は顔を真っ赤にしたまま、思わず指先で自分の唇に触れようとして、まだ残っている感触が消えてしまう気がして指が触れる直前で手を止めた。
「……一体どんな顔をして帰ればいいんだ」
火照る頬のまま、樫尾はその場に立ち尽くした。
明日会ったら、彼女になんて言ってやろうかを考えながら。
(2022.10.18)