至れり尽くせり踏んだり蹴ったり


「……つまり、私は死ぬってことですか?」
「ああ、貴方は死ぬ」

私よりもアンタの方が死にそうなんじゃないかってくらい濃い隈を目の下にこさえたそのお医者さんは、真顔のまま一切表情を変えることなくそう言い切った。

なんだか最近体調が悪いなぁと思って、久々に取れた代休を使って平日に軽い気持ちで病院に行ったところ、初めはにこにこと笑顔で対応してくれた看護師さんが検査が進むうちに段々と真顔になっていき、気がついたら言われるがまま大掛かりな検査を様々させられた後、診察室へ案内され、「村雨礼二」と名乗ったお医者さんにレントゲンやらタブレットやらを使って説明された後言われた長ったらしい病名にピンとこず、まあ否定されるだろうと思いながら口にした発言があっさり肯定された、というのが冒頭の流れである。

「お医者さんに自己紹介されたの初めてかもです」
「普通はそうだろうな。私が名乗ったのは貴方とは長い付き合いになるからだ」
「というと?」
「私は今日から貴方の担当医、そして貴方は今日から入院だ。明日には手術。その後経過観察として入院を続けてもらう」
「マジですか」
「私は医者だ。業務において無意味な嘘をつかない」
「あ、はい、ですよね。すみません」
「なにか質問は?」
「手術に成功したら助かりますか?」
「助かる」
「手術の成功率ってわかりますか?」
「一般的に4割強といったところだ」
「手術に失敗したら死にますか?」
「死ぬ」
「つまり私は6割弱の確率で死ぬということですか?」
私がそう尋ねると、村雨先生は腕を組んでじっと私を見た。それからその薄い唇を開いて言葉を発する。

「私は運がいい」
「え?」
「私は手術をするのが好きだから医者になった人間だ。そして貴方のような症例は非常に珍しい。故にそれを私自身の手で手術できることは幸運という他ないな」
「すごいお医者さんだなこの人。そういうのは私がいないところで言って欲しい……」
「そして貴方も幸運だ」
「何がですか?珍しい病気にかかったことが、ですか?そうだとしたら拳が出ますけど」
「この病院にかかったことが、だ。私がいるところに来たということは、貴方の人生の中で最も素晴らしい選択だ。誇っていい」
「なんか怖いなこの人」
「貴方は助かる。貴方の人生はこれからも続く。貴方は私を信じて、身を任せればいい」
先生はそう言うと口角を上げて私に微笑みかけた。その微笑み方はなんというか、サイコホラー映画で登場人物を全員惨殺した後の頭のイカれた犯人みたいな笑顔だったが、とにかく私に向かって微笑んでくれた。この人の頭はおかしいが、多分腕に自信があるから心配しなくていいよと言ってくれているのだろう。

……目の前のその人は変な人だけれど、そのはっきりと断言された言葉に不安を感じていた心が救われたような心地は確かにあった。

「……村雨先生」
「なんだ」
「今の発言もう一回言ってもらっていいですか?もし先生が手術が失敗した時の裁判用に録音しておこうと思って」
「…………」
なんだこのマヌケ、みたいな半目で見つめられた。





翌日、手術前に私のもとにやってきた村雨先生はベッドに座る私を立ったまま見下ろして今後の流れについて話してくれた。
といっても、私は麻酔を受けるだけであとは先生たちに任せるだけなのだが。

「これから貴方は手術室へ入室。その後、麻酔医によって麻酔を投入。完了後に手術を開始する。あとは我々に任せておけばいい」
「麻酔したら意識落ちるんですよね」
「ああ」
「ということは手術失敗したら村雨先生の顔が最期に見る景色になるのか……」
「そうはならない。貴方の生存は確定しているのだからもっと建設的なことを考えた方がいい」
「すんごい自信」
「事実を観測しただけのことだ」
本当に何でもない顔で先生はそう言った。手に持ったカルテに視線を落として何かを書いてから、彼は再度私の方へ目を向ける。
温度のない無表情でじっと見つめられるが、不思議とこの人のことを変な人だなと思うことはあっても、怖いなと思うことは一度もなかった。ぼんやりと彼の顔を見つめ返していると、村雨先生は片眉を上げて「言いたいことがあるのなら言ったほうがいい」と私へ促した。それもそうかと思い、私は口を開いた。

「先生は昨日、手術が好きだから医者になったって言ってたじゃないですか」
「ああ、言ったな」
「私、それにすごく安心したんですよ。だってサッカー選手は『サッカーが好き』だから、画家は『絵を描くのが好き』だからその職に就くんですもん、それと一緒ですよね」
先生は返事はせず、視線だけで私に言葉を促した。だからそれに従って、私は続ける。

「『人を救うため』とか硬いことを言われるより、救われる側としても気が楽です。自分が他者にたくさんの労力をかけてまで救われるに値する人間だと胸を張って言える人ばかりじゃないし、少なくとも私はそうだから」
「その割に貴方の態度はデカいように見えるが」
「いや、先生の態度がデカいから合わせようかなって。協調性のあるってよく通信簿に書かれてたタイプなんで……」
「なるほど、カルテにも書いておこう」
「なんで?……いや、そんな話はどうでもよくて、つまりはですね」
「ああ」
「……退院したら、転職しようって思いました」
私がそう言うと、先生はどうでもよさそうな顔で ──まあ事実先生にとってはどうでもいいことなのだろうが──「どうでもいい」と吐き捨てた。表情や視線など全身でもって「どうでもいい」オーラが隠す気もなく滲み出ている。

「……あの、お医者さんってもっと患者の言葉を聞いてくれるものじゃないんですか?」
「私は手術をするのが一番好きで、患者の身の上話を聞くのが一番嫌いだ。患者なぞただの糞袋だぞ。何故聞いてもいない無駄話をする?時間の無駄すぎて反吐が出る」
「最悪すぎる。礼二の礼は無礼の礼?こんなにオブラートを知らないお医者さんもいるんだ……世界って広いな……」
困惑とドン引きの入り混じった感情で担当医を見つめていると、彼はかけていた眼鏡の位置を指先で直しながら「だが、」と言葉を続けた。

「未来のことを考えるのは悪くない。ありもしない貴方の最期の話をするよりはまだいくらか建設的でマシだ。入院中にいい転職先でも探しておけ」
「急に優しくなった」
「それに貴方とは気が合いそうだ。これからもよろしく頼む」
「えっ?なにを?え、怖い怖い怖い。会話のハンドルの切り方が急すぎるし、頼むって何を頼む気なのか理解不能だし、今までの会話のどの部分に気が合うと判断できる材料があったのか本当にわからなくて怖い。私さっき先生に糞袋扱いされてましたよね」
「時間だ、手術室へ移動する」
「こんな怖さを抱えたまま手術を受けるんですか私は?」
「あまり興奮するな、出血が増える」
「興奮じゃなくて恐怖なんですってば」
「フフフフ……「興奮」と「恐怖」で韻を踏んだ、というわけか……悪くない」
「あ、いや偶然です。駄洒落とかではないです。というか別にそんな上手いこと言ってないだろ、私」


それから手術室へ移動して、手術台の上に寝転がったまま麻酔を打たれた私は、だんだんとぼんやりしていく視界の中で村雨先生を見た。私が見ていることに気がついた先生は、私に視線を合わせてからあのサイコホラースマイルを見せてくれた。

……もしこのまま死んだらこの人の笑顔が最後の景色になるのかと思うとつらすぎる。
今までの人生の中で一番「生きたい!」という気持ちでいっぱいになりながら、私はそのまま意識を失った。




次に目を覚ました時、私の視界の中には村雨先生がいた。
彼はベッドのそばに立つと、横たわる私を見下ろしながら薄い唇を開いた。

「私に何か言いたいことは?」
「……あとで、さいばんように、ろくおんしたおんせい、けしときます」
麻酔で喋りづらいながらもそう私が言えば、先生は機嫌良さそうに唇を弧にして笑った。
……そんなに音声消して欲しかったのだろうか?

「そんなわけがあるか。貴方の相変わらずのマヌケ具合を楽しんでいただけだ」
なんで普通に心読まれてるんだろうと思ったが、まあ村雨先生だし、と思うことで納得した。

そんなこんなで村雨先生に命を救われた私は経過入院を経て無事に退院することができた。転職活動も順調で、退院後に数社と面談するところまで漕ぎ着けている。

と、そんな矢先に今度は車に衝突されてまた病院に搬送され、朦朧とする意識の中運び込まれた手術室で医療用のゴム手袋を嵌めた村雨先生に「フフフ、また会ったな」とサイコホラースマイルで微笑まれるのはまた別の話である。


(2022.10.23)