お友達からよろしく



社用PCのパスワード有効期限が切れて、社内共有に入れなくなった。そうなると当然仕事に支障が出る。
アオキはこれ幸いとばかりにただの金属の板になったノートパソコンを小脇に抱えて、業務で慌ただしい営業部の執務室から出て、情報システム部へ向かった。

「あら、アオキさん。またパソコン壊したんですか」
「またってなんですか……壊してないです……」
「それで、今日はどうしました?」

ICカードをかざして入った情シスのそう広くない執務室には想定通り名前だけがいた。彼女は回転式の椅子に座ったまま、食べ終えたチョコの包み紙を結んでいる。暇だったのかもしれない。

彼女は情報システム部に所属する社員で、以前発生したPCトラブルの際に助けてくれたのだ。
それをきっかけに彼女とは顔見知りになり、……そして正直なところ、アオキは内心で顔見知り以上になりたいと思っている。

アオキが「パスワードの期限が切れました」と端的に伝えると、彼女は「あらまあ」と言ってすぐに理解を示した。

「3分で解決しますね」
「いえ、30分かけてもらっていいですか」
「アオキさん、さてはサボりに来ましたね」

急いでパソコンへ向かおうとしていた彼女はアオキの言葉に手を止めると、くすくすと笑ってそれから「ま、そんな日もありますよね」と言った。

「じゃあのんびりやろーっと」
「はい、ゆっくりで大丈夫です」
「あっはっは」
「……今日はあなた以外はいないんですか」

情シスの執務室には彼女しかおらず、その上開いたPCや書類がないあたり、ここで誰かが作業をしていた様子もない。アオキが問いかけると彼女は「そうなんですよ〜」と微笑んだ。

「有給だったり開発に呼ばれてたりで、午前は私しかいないですね」
「なるほど……」

なるほど、と言いながらアオキはそうであることを知っていた。ここにくるまでにスケジュールを確認して、彼女が在室であること、彼女以外が不在であるを把握していた。彼女と合法的に2人きりになるために。

彼女の隣のデスクの椅子を引っ張ってきて座れば、彼女は「ああ、もう好きに座っちゃってください。椅子連結して寝ててもいいですよ」とうなづいた。それからアオキの答えを待たずに続ける。

「アオキさん、連結した椅子で寝るの得意そう」
「それは偏見です……」
「ストロングゼロをストローで飲んでそう」
「それは悪口です……」

アオキの反応に、慣れた手つきでキーボードを叩きながら彼女は声を出して笑った。それからアオキへ視線を向けて口を開く。

「どうしよう、私が優秀だからあとクリックひとつで解消しちゃいます」
「あと25分引き延ばしてください」
「あはは、困っちゃいますなあ」

そう言いつつ彼女はパソコンから手を離すと、椅子を回転させてアオキと向き合った。

「んー、1on1でもしますか」
「はい、構いません……」
「最近お仕事はどうですか?」
「つらいです……」
「なるほど!人事に相談しましょう!」
「……はい」
「はい!」
「……なんか、すみません」
「次は明るい話をしますか!最近楽しかったこととか!」
「……はい、そうですね。……あの、自分は手持ちにオドリドリがいるんですが、」
「はい」
「休日にふと見たら、ダンスの練習をしてました……」
「かわいいですね……」
「可愛かったです……」

ほんわかした。そんな些細な話をしつつ、アオキはタイミングを見計らって「名前さんにはいつも世話になってますね」と切り出した。すると彼女はニコニコ笑って乗ってくる。

「そうですよお、パスワードの変更忘れは前にもやったし、アオキさんのせいじゃないけどICカードも1回故障してるし、大した内容じゃないからいいものの何故か部長さんへのメールを私に送り間違えたし」
「すみません……」

最後のは話すきっかけが欲しくて、「面談時間を変えてください」程度の大した内容ではないものを選んでわざとやった。
するとアオキが想定していた通り、彼女がそのメールに「宛先間違えてませんか?」と返信してくれたし、わざわざ営業部に顔を出してまでアオキに確認しにきてくれたので上手くいくもんだなあと思った覚えがある。

「営業チームがお忙しいのはわかりますけど、気をつけてくださいね」

ぴっと立てた人差し指をアオキの鼻先に近づけて、彼女は怒った顔をしてみせる。ちっとも怖くないどころか、むしろ愛らしくて内心でほんわかした。

「……ご迷惑ばかりで、自分はあなたにお礼をしないといけませんね」
「お、贈り物なら喜んで受け取りますよ?」

笑いながら体をパソコンの方へ向けて操作をする彼女へ、アオキは少しだけ緊張して、それから腹を括って口を開く。

「名前さん」
「はい」
「……今日の昼、奢らせてもらえませんか」
「つまり、ランチですか?」
「はい、あなたさえよければ」

パソコンから目を離して彼女が自分を見ている。
その綺麗な瞳にただ自分だけを映している。
それだけのことが、アオキにはポケモン勝負より心臓が強く鼓動することだった。
……もし断られたり、気持ち悪がられたら、その時は午後休暇を取って今日は帰ろう。
胸中にそんな不安を巡らせながら、彼女の瞳を見つめ返す。彼女の薄い唇が開いた。

「えー!是非行きましょう!私アオキさんとご飯行ってみたかったんですよ!」
「え、あ、そうなんですか……」
「アオキさん、グルメだって聞くし、それにほら、私たちって部署違うから飲み会とかも無いし、ご飯行くタイミングがないじゃないですか!」
「そう、ですね……」
「じゃあ昼休憩に入ったらどっかで待ち合わせます?っていうか、連絡先交換しましょうよ、私用の方で」
「あ、はい」
「あと、パスワードの件なんですけど、さっきメールを送ったので、メール内容の通りにしてもらえたらパスワード変更できますので」
「あ、ありがとうございます」

満面の笑みを浮かべた彼女に言われるがまま、あれよあれよとランチに行くことが確定し、連絡先を交換し、パスワード問題も解決した。
すべてが一瞬でどうにかなって、アオキは内心とてつもなくびっくりしている。

手の中のスマホには彼女の連絡先。
思わずまじまじと見つめる。喉から手が出るほど欲しかったものが、ごく当たり前のように手に入っていた。

「……いいんですか?」
「へ?なにがですか?あ、社内ネットワーク入れました?」
「え、あ、はい。ログインできました」
「よかったー!じゃあもう大丈夫ですよ」
「……ありがとうございました」
「いえいえ〜。あ、アオキさん、チョコあげますね」
「え、ありがとうございます」

チョコをもらった。お仕事頑張ってくださいね〜というゆるい応援を受けて、部屋を出る。背中で扉が閉じる。……え?
スマホをつける。彼女の連絡先がある。……彼女の連絡先がある。

思わず、扉の前でガッツポーズをした。その勢いでうっかりノートパソコンを落としかける。慌ててキャッチする。……という一連の流れを上司に見られていた。全能力値1段階ダウン。


(2023.02.19)