迎えにきてね



『ヒール折れちゃったから迎えに来て』

スマホからそんな言葉とくすくすと上機嫌に笑う声がやってきてアオキの鼓膜を優しく揺らす。あと数分で深夜0時になる頃。
彼女が酔っている、というのは聞かなくてもわかった。ある程度酔うと気分が明るくなって笑う人だ。それを越えると今度は泣き出す人だけれど。

「今どこにいるんですか」
『んふふ、どこだと思う?』
「…………」

今そういうのはいい。アオキはスピーカーモードのまま宙に浮いたスマホに耳を傾けながら、寝巻き代わりのスウェットの上にコートを羽織って玄関に向かう。

「ひとりですか」
『疑ってるの?』
「違う。女性が1人夜出歩いているのは危ないと言っているんです」
『1人じゃないよ』
「それはそれで問題です」
そう返せば彼女は喉を鳴らして笑った。

『野生かな。フワンテが隣にいてくれてるの。だから大丈夫だよ』
「すぐに追い払ってください。そっちの方が問題です」
『冷たい。アオキくん、飛行タイプは好きでしょ?』
「それは業務の都合で……いえ、とにかくフワンテの手を掴まないように」
『もう繋いでるよ』
「最悪だ」
アオキは玄関の戸を閉めながら歩き出した。それからもう一度問いかける。

「今、どちらにいるんですか。チャンプルですよね?」
『そう、座ってるの。ヒールが折れちゃって。右足の方がね、歩けないから座ってるの』
「広場のベンチにですか?」
『ううん、階段のところだよ』
「……あそこか」

ジムテストにも利用したことのある円形階段の広場のことだろう。ここから最短でいけるルートを頭の中に描きつつ早足で進む。日を跨ぐ頃になっても繁華街のあたりは明るく人通りがあるが、それを離れた円形階段の広場付近はひと気が少なくなる。元はパルデア帝国時代の何らかの遺跡か建物だったのか、不自然に残っている鉄格子の奥は昼でも暗い。夜に女性が1人で行くようなところではない。まして、酔っ払い。危機感が足りていないにもほどがある。

そうして早足でやってきた広場。果たして彼女はそこにいた。
階段の中間あたりにポツンとフワンテと手を握りあったまま座っている。彼女の名前を呼んだ。そうすれば、彼女は確かにこちらを振り返る。

「アオキくん」
「……はあ」

溜息をつきながら彼女へ近づく。彼女が座っている階段の数段下には、脱ぎ散らかしたのだろうハイヒールが転がっていた。その片方、確かにヒールが折れている。
タイトスカートに薄いタイツのまま足をパタパタ揺らした彼女はやってきたアオキを見て微笑む。
ここに来るまでの間、アオキはどう叱ってやろうかと考えていたのだが、彼女がアオキを見てそれはもう嬉しそうに笑うものだから何から叱ればいいのかよくわからなくなってしまった。

「……知らない人に絡まれたりしてないですか」
「大丈夫だよ、さっき男の人が来たけど、私たちを見て転がるみたいに走ってどっか行っちゃった」
「ぷわ〜」
「…………」

確かに、深夜に薄暗い広場で女性がフワンテと一緒にいたらこの世のものではないと勘違いしてもおかしくない。
そう思うとある意味ではフワンテがいてくれて良かったのかもしれない。いや、全然よくないが。

「さあ、帰りますよ。フワンテとはお別れしてください」
「ばいばーい、フワンテ」
「ぷわ?」
「じゃあ帰りましょう」
「アオキくん、靴は?」
「……はい?」
彼女はフワンテから手を離し、しかし座ったままこてんと首を傾げてアオキを見上げるだけだ。

「だって、ヒール折れちゃったから履けなくて帰れないんだよ。だからアオキくんが替えの靴持ってきてくれるかなって思ってたのに」
「…………」

持ってきていない。というか、そこまで頭が回らなかった。
……仕方ないだろう、恋人が深夜に酔っ払ったまま1人で外にいるのだ(しかもゴーストポケモンと一緒に!)。とにかく急いで迎えに行かなくてはと思うのが当たり前だろう。

「……靴は忘れました」
「ありゃりゃ、じゃあ抱っこして」

彼女はアオキに向かって両手を広げてみせる。その様子は可愛らしいが、しかし困った。
ここから家まで、小柄な女性とはいえ大人を1人抱えて帰れるかという話だ。正直、別段体を鍛えているわけでもないアオキには難しいのだが、そう答えるのもなんだか癪で返答に困ったアオキが固まっていると、彼女の手にフワンテの紐が絡まる。慌ててその紐を解いて彼女の手を取った。

「抱っこは、……すみません、無理です」
「む」
「おんぶなら……いや、タイトスカートか……」
「脱ぐ?」
「やめてください絶対にやめてください」

アオキは仕方なく自身の靴を脱いだ。それからその靴を彼女の足元に置いてやる。

「自分のを貸すので履いてください。今度こそ帰りましょう」
「アオキくんの靴は?」
「大丈夫です」
「足痛いよ?」
「……靴下で歩きたい気分なんです」
「えー、いいなあ。私もそうしよっかな」
「タイツなんて何も守れてないもので地べたを歩くのはダメです」
「破けちゃうもんねえ」
「そうですね。ほら、いいから靴を履いて」

酔っ払いのふわふわの言動を適当に返しつつ、靴を履かせる。それから彼女のヒールも回収した。
彼女の後ろから離れないフワンテが気になりつつも、アオキの靴を履いた彼女を支えて立ち上がらせる。

「わ!アオキくんの靴おっきいねえ!ブカブカ!」
「そうですね。歩けますか」
「靴ポーンってしていい?」
「やったら怒ります」
「怒ってるアオキくん見たいなあ!」
「じゃあ怒りません」
「んええ」

急にぐずり出した恋人を支えながら自宅へ向かう。フワンテが当然のようについてくるので、アオキは靴下のままだがあえて人通りがあって明るい繁華街を通って帰ることにした。
そうすれば、騒がしい繁華街の入り口あたりでフワンテは困ったように立ち止まり、体を揺らして、それからすううっと消えていった。それを確認して、アオキは安堵する。彼女を気にいる気持ちはわかるが、くれてやるわけにはいかない。

自宅玄関に着いた途端、彼女はアオキの靴を脱いでから廊下に寝転がった。思わず溜息をつく。

「そんなところに寝ないでください」
「楽しかったねえ」
「楽しくありません。今後は飲み会が終わったら絶対に自分を呼んでください。迎えに行きますから。あとゴーストポケモンが寄ってきても仲良くしない。……聞いてますか」
「んー」
「ここで寝ないでください……」

アオキは玄関で靴下を脱ぐと裸足で家に上がり、一旦洗面所へ向かって脱いだ靴下を洗濯機へ放る。それから玄関に戻り、転がったままの彼女をなんとか、非常に努力して抱き上げる。玄関から寝室くらいまでなら頑張れそうだったからだ。

「アオキくん力持ちだねえ……」
「……そう思ってもらえるように頑張ります」
「わたしもダイエットがんばります……」
「いいえ、あなたはそのままで大丈夫です」
「あい……」

ベッドに横たわらせると、彼女は「ううん」と唸って体を捻らせた。そして寝転がったまま着ていたジャケットやスカートやらを脱ごうとするので、脱いだものを受け取ったり寝巻きを渡したりして手伝う。

「今日はもう休みましょう」
「アオキくんもねる?」
「はい、寝ます」
「うん……」

それきり、寝息を立ててしまった彼女を抱きしめて眠る。彼女の髪からは外の匂いがした。



翌朝、酔っていた割にアオキより早くに起きた彼女はシャワーを浴び、朝食まで作ってくれていた。

「おはよう、アオキくん。昨日はありがとうね」
「おはようございます。お気になさらず……。それより、これはなんですか?」
「サンドウィッチだよ、私はトロピカルサンドにしちゃったけどアオキくんは違うのがいい?」
「同じで大丈夫です……。いえ、それではなくて……」

当然のように彼女の隣でアボカドをつまみ食いしているフワンテを見て、アオキは頭を抱えたくなった。そんなアオキに彼女は喉を鳴らして笑う。

「大丈夫だよ、アオキくん」
「……なにがですか」
「だって、もし連れてかれちゃっても昨日みたいにアオキくんが迎えにきてくれるでしょう?」

そう言って彼女が柔らかく相好を崩すから、アオキはもうため息ひとつ、何もいえなくなってしまった。


(2023.03.05)