風車は飛ばない


「ご機嫌よう、名前さん。こちらの用件はわかっていますね?」
オモダカは普段の微笑みの中に微かな苛立ちを混ぜながら、アパートの玄関を開けて出てきた男へそう問いかける。
ピッシリとキマったスーツ姿のオモダカが、地面ポケモンの技ひとつで崩れそうなほど古いボロアパートにいるのは、彼女を知る人が見たら二度見するほど場違いだった。

「おはようさん、朝から元気だね」
「朝?もう11時ですが……。ああ、あなたには朝なのですね」
部屋から出てきた目の前の彼は寝起きなのか、着古したスウェットを纏ったまま、無精髭を生やした顎を軽く撫でた。困ったような、それでいて少しも困っていなさそうな顔が、オモダカの神経を少しばかり逆撫でする。

「それで、何の用だっけ?」
「…………以前から何度もお話しさせていただいたポケモンリーグへのスカウトの話です」
「あー、遠慮しとくよ」
前回と変わらずあっさりとそう答えて扉を閉めようとする名前に、オモダカは咄嗟にドアノブを掴んで止めた。少しばかり品の無い行動だったが、ここまで訪ねてきてこれでおしまい、では困る。オモダカが抵抗するようにドアノブを引けば、名前はあっさりと扉を閉じようとする力を緩めた。それを話を聞く意思だと受け取ってオモダカは口を開く。

「名前さん、私はあなたの実力を見込んで来ているのです」
「そりゃあ光栄だけどさあ、オモダカちゃん。なんで俺がリーグバトル激戦区の戦闘国家ガラルからパルデアに移住してきたと思う?」
「パルデアにポケモン勝負の魅力を広めるため、だと嬉しいのですが」
「悠々自適な隠居生活のためだよ」
男は気怠げに答えた。気怠いというより、単に眠いのだろう。一般的な昼職日勤の社会人が働く平日の昼11時。移住してからまったく働いている様子のない彼はあくびを噛み殺してからオモダカへ口を開いた。

「パルデアはいいね。目があっただけで勝負をしかけてくる乱暴な輩がいないからのんびり外を散歩できる。ゆったり暮らすには最高の地方だよ」
「……あなたにパルデアを褒めていただけるのは光栄なことなのですが」
そのやる気のない瞳をオモダカは真っ直ぐに見つめ返してからその薄い唇を開いた。

「それだけポケモン勝負の文化が根付いていないということでもあるのです」
「そりゃ、オモダカちゃんがリーグの委員長になったんだからこれから良くなってくさ。大丈夫だよ」
「私1人では成し遂げられません」
「君を支えてくれる良いトレーナーが増えるといいねえ」
「だからあなたにお声がけをしているのですよ」
「はいはい、俺みたいなおじさんじゃなくて、もっと若手のさあ、若い芽を集めて育てなよ。枯れ草みたいな俺じゃなくてね」
そう言った名前へ、オモダカは真っ直ぐな視線で捉えながら言葉を返す。

「だからこそです。経験豊富なあなたにこそ、未来ある若手の育成をお願いしたいのです」
そんな彼女の言葉に名前は頭を掻いて眉を下げる。今度こそ、困ったなあという顔だった。

「育成なんかしたことないよ。俺は俺が強くなれりゃあそれでよかったし。俺より、ほら、四天王のアオキくんとかの方が俺より若いし実力もあっていいんじゃない」
「……アオキにはすでにジムリーダーと四天王の役職があります。ただでさえ本人の希望で営業まで兼務しているのですから、これ以上の負荷は掛けられません」
「はええ、働き者だねえ、彼」
「それに実力という観点ならそれこそあなたです。……初回のスカウト時に私を負かした実力、並みのものではありませんもの」
「そんときはオモダカちゃんも手加減してたからねえ」
「……それはお互い様でしょう」

ダンデ台頭前のガラルリーグでジムリーダーとして、そしてトップクラスのトレーナーとして活躍していた名前。そんな実力と実績のあるトレーナーがパルデアに移住してきたと聞いた時、オモダカは素直に欲しいと思った。パルデアのより良い未来のために。
そう思って意気揚々とスカウトに向かったオモダカが出会ったのが、草臥れたこの名前という男なのだった。
実力を確かめるために仕掛けたポケモン勝負は、初めは手加減を前提としていた。あくまでの彼の実力を試すためのものなのだから、と。

けれど、その建前は勝負が進むに連れて崩れ落ちる。
ポケモンリーグのチャンピオン資格の時のような加減をすることは、最早その時のオモダカにはできなかった。
本気で目の前のトレーナーと戦いたい。そうでなければ一瞬で飲み込まれる。彼の本当の実力もわからないままに終わってしまう、と。

勝負後半は互いに本気だった。一進一退、削り合うような攻防の果てに、名前が勝利を掴んだ。
序盤の試験じみた手加減があったとはいえ、だからといって初めからオモダカが本気だったら確実に勝てていたかと言うとそう断言はできない。そんな戦いだった。
だからこそ、オモダカはより一層思った。

このトレーナーが欲しい!
パルデアのポケモンリーグには彼が必要だ!

「俺はのんびり過ごしたいだけなんだけどねえ」
それなのに彼はそんなぬるいスタンスのまま、いくらガラル時代の稼ぎがあるからとはいえ、働きもせずニートのような生活。共に住んでいるオスのイエッサン(彼はガラル時代の手持ちではなく、パルデアに来てから出会った子らしい)に世話を焼かれては、へらへらだらだら暮らしている。
才能ある者がそれを腐らせている様を見るのはオモダカには耐え難い。だからこうやって頻繁に会いにきているのに。

「……では、お互いに本気の勝負をするというのはいかがでしょう?」
「本気の?」
「ええ、私が負けたらあなたを諦めてもうスカウトには参りません。ですが、私が勝ったら、その時はリーグに来ていただきます」
本気で腹を括ったオモダカの力強い視線。
それを受けた名前は少しばかり真面目な顔をして彼女に答えた。

「やだ」
「…………はい?」
「やだよ、どっちにしても俺にメリットが無いんだもんねえ」
「え、ええと、あなたが勝てば私はもう無理にスカウトはしないのですよ」
「それ、それだよ」
名前はまたあくびを噛み殺してからうなづいて言った。

「負けたら働かないといけないし、勝ったらオモダカちゃんはもう俺に会いに来てくんないんだろ?」
ほら、俺にメリットがないね。
拗ねたように名前はそう言って、それからオモダカに小さく笑みを見せた。

「俺にメリットを提示できるようになったらまたおいで。いつでも待ってるからね」

固まるオモダカを前に、古びたアパートの玄関扉が彼女の目の前でぱたりと閉まった。



◇後日談

それから少しして、名前の元にまた来客があった。

「はいはーい。……あれ、アオキくん?」
「どうも、アオキです」
いつもなら玄関扉を開けた先にいるはずのオモダカはおらず、代わりに名前に似た気怠げな瞳をしたスーツ姿の男性が立っていた。

「今日はトップの代わりに自分がスカウトに来ました」
「忙しいのにどうも。しかし、ありゃりゃ、オモダカちゃんの機嫌を損ねちゃったかな」
「いえ、あの人は普通に多忙なので。今日も視察で一日外出です」
「大変だねえ」
ニート状態の名前は社会人の大変さをわかっているのかいないのか、のんびりとした口調でそう呟いた。

「で、自分が来たのですが、正直トップが捕まえられなかったあなたを自分が捕まえられるとは思ってないです」
「そうだねえ、俺も捕まる気はないねえ」
「でしょうね」
「まあ、立ってるのもなんだし、茶でも飲んでく?」
「では、お言葉に甘えて」
男2人はそんなゆるく無意味な会話をしながら、名前のザ・男一人暮らしの家でイエッサンが淹れてくれた茶をしばいた。

「ところで、名前さんは何故トップの誘いを断り続けてるんですか」
「働きたくないからって言ったらムカつく?」
「まあ、ムカつきますが働く働かないの選択も個人の自由ですから」
「優しいねえ」
単に名前の就労状態に興味が無いからなのだが、そのあたりもわかった上で名前はそう答える。二人、取り止めもない会話を重ねたあと、名前が口を開いた。

「とはいえ、何の成果もなく帰したらアオキくんが困るよねえ」
「まあ、トップの心象は良くないでしょうね」
「じゃあ俺とバトルしとく?負けたからダメでしたって言えば許してもらえるでしょ」
「許してくれると思いますよ。まあ、自分があなたに敗ければの話ですが」
逆に言えばここでアオキが名前に勝ってしまえばこの話は破綻する。ナマエがリーグに来ることになって、アオキの次のボーナスが上乗せされるくらいの成果にはなるだろう。
アオキがそう返せば、名前はけらけらと楽しそうに笑った。

「じゃあやろうよ、どうせ俺負けないし」
「…………そうですか」
名前のその自信たっぷりな発言に、アオキのトレーナーとしてのプライドが疼いた。戦ってもいないうちから舐められてへらへら笑っていられるなら、アオキとてジムリーダーにも四天王にもなってはいない。
ガラルで培ったらしい彼の実力など微塵も知らないが、その余裕ぶった笑顔に風穴を開けてやる。
瞳に好戦的な色を滲ませたアオキに名前も口角を上げる。名前とて、働くのが怠いだけでポケモン勝負が嫌いなわけではないからだ。
二人はボールを手に、家の前の空き地で向かい合った。



「……というわけで名前さんに負けたのでスカウトはダメでした」
「そう、ですか……」
「はい」
「……アオキ、彼と勝負をしたのですか?」
「はあ、そうですね。煽られたのでお互いに本気でやりましたが……」

部下からのそんな報告を受けたオモダカは(私とは本気の勝負をしてくださらないのに……!お茶だってしてくださらないのに……!)とちょっと拗ねた。


(2023.03.20)