大人の責任


「では、うちで暮らしますか?」
がやがやと騒がしい食堂の中、よく耳を傾けないと聞こえないような声量で真顔のままそう言ったアオキくん。

彼は言うだけ言うとすぐに視線を皿に向けて、大皿のゴーヤチャンプルを箸でごっそりと掴んで大口で食べる。ホシガリスみたいに膨らんだ頬がもぐもぐと動くのを眺めながら、私はぼんやりと(アオキくんはゴーヤを食べれる大人になったんだなあ……)と思った。


独身恋人無し一人暮らしの私が無職になったのは2ヶ月ほど前のこと。
職場で色々あって離職した私は早めに再就職をしなくては思いながらも、いやまた働くの普通にだるいなちょっと休もうかなーみたいな気持ちを抱えたまま、使われないまま貯める一方だった貯金で毎日のんびりと昼間から酒を飲む生活をしていた。無職最高。

暇すぎて久々に地元であるパルデアに戻った私は、無職で狂った時間感覚のまま、平日の朝10時に地元の友人であるアオキくんに「久しぶり〜無職になった〜!ってか私パルデア帰ってきたんだけど今日の夜ひま?飲まん?」とゴミカスみたいな連絡をした。もし私が働いている立場で急に無職からこんな連絡来たら縊り殺す。なのに返信は3分で帰ってきた。

『チャンプルに宝食堂という旨い飯屋があるんでそこに19時で』
もしかしてアオキくんも無職なのかもしれない。そう思うくらいの返信の速さだった。
兎にも角にも爆速で会う約束が締結され、久々に昔馴染みと会うことになったのだった。

「名前、こっちです」
やってきた宝食堂は思っていたよりもずっと広いところだった。物静かな小料理屋を想像していた私はそれよりずっと席数が多くて繁盛している様に驚いて、この中から目的の友人を1人探し出すのは大変だと思いながら辺りを見回した。そうすればすぐにカウンター席の方から声をかけられる。声の方へ視線を向けてみれば、そこには少し疲れた顔つきの昔馴染みの姿があった。

「おお、アオキくんだ」
「久しぶりですね」
「ね。元気にしてた?」
「まあ、健康診断に引っかからない程度には」
彼はそう言って微かに口元に笑みを浮かべる。疲労が無いとは言えないその顔にむしろまともな社会人らしさを見出してつい笑みが溢れる。
私はアオキくんの隣の席に腰掛けてから「急な誘いだったのにまさか来てくれるとは思ってなかったよ」と独り言のように言った。そう言えば彼は「気にしないでください」と返してから続ける。

「自分もちょうど無職になった人間の顔が見たいと思っていたので」
「こんな顔だよ」
「可愛い顔してますね」
「ありがとう。酔っ払いの妄言でも嬉しいよ」
「まだ飲んでないです。待ち人が来る前に飲むような人間だと思われてる、と……?」
「アオキくんも私に劣らず可愛い顔してるね」
「ありがとうございます。もう飲んでます?」
「これからだよ」
「なに飲みますか。ここ大抵のものはあります」
「じゃあとりあえずグラッパ頼もうかな」
「とりあえずで食後酒を頼む人間を初めて見ました。どんな顔をしてるんですか」
「こんな顔だよ」
「可愛い顔してますね……」
そんな茶番をしつつ、私はグラッパを、アオキくんは普通にビールを手に乾杯をした。

彼と最後に会ったのは私が帰省した昨年末だ。つまり、3ヶ月ほど前。……そう思うと割と最近だ。
私たちはアカデミーの頃からの友人なのだが、卒業後に私はパルデアを出て働き、アオキくんはパルデアで働き、互いの道は別たれた…………はずが割と頻繁に連絡を取り合っていて、最低でも年4のペースで会っていた。
年末年始と春の連休と夏季休暇と秋の連休。
アオキくんがたまに私のいる地方に出張で来ることもあったので、そういうのも含めると社会人の友人にしては割と会っているほうなのかもしれない。腐れ縁、そういう言葉もある。

「適当に頼んでいいですよ」
と、アオキくんに言われたので渡されたメニューを手に取り、目を瞑ったままページをペラペラ開いて、適当に指を指した。目を開くと指を指した先には「ゴーヤチャンプル」と書かれていた。

「……適当に頼んでいいですよって言われて本当に適当に頼む人を初めて見ました」
「こんな可愛い顔だよ」
「可愛いですね」
「ねえ私ゴーヤ食べれないんだけどアオキくんは?」
「食べれます」
「じゃあ頼もう」
「次は自分が適当に選びます」
「やってやって」
アオキくんも同じように目を瞑ってメニューを選ぶ。

「…………長芋の梅肉あわせです」
「わ!私これ好き!」
「では頼みましょう」
それからいくつか摘めるものを含めて注文を終えた後、アオキくんは私に何故無職になったのかという理由は聞かずに、これからについて尋ねてきた。

「仕事を辞めて、パルデアに戻るんですか」
「んー、どうしようかな。あまり先のことは考えずにノリで来ちゃったよ」
「実家に戻るとか」
「実家はねえ、姉夫婦が親と住んでるから流石にねえ。私の部屋なんかもう子供部屋になっちゃってるらしいし」
そう返すとアオキくんも流石に同情したような顔で「それは帰りづらいですね」と同意してくれた。繁盛しているわりにかなり早く運ばれてきた料理をお互い手の取りやすい位置に置いてから息を吐く。

「まあ、とりあえずは適当に家探して少しのんびりしようかな」
毎日ちゃんと勤労している人に対してこの社会を舐めたような発言をしてしまったが、アオキくんは気にすることなく酒を煽った。それから2人「いただきます」と言って、箸を手に取る。アオキくんはゴーヤチャンプルを箸でごっそり取ると唐突に口を開いて言った。

「では、うちで暮らしますか?」

彼はさらりとそう言った。まるでなんでもないみたいにそう言うから私は一瞬その発言を流しかける。しかしこの言葉の意味を理解した瞬間に固まって、隣にいるアオキくんの顔をまじまじと眺めてしまった。
アオキくんはゴーヤチャンプルを咀嚼し嚥下すると、私の視線に応えるようにこちらを向いて見つめ返してきた。

「うちってアオキくんち?」
「はい」
「アオキくん」
「はい」
「休んだ方がいいよ」
「そうですね、あなたの引っ越しの手伝いのために有給を取った方がいいかもしれません」
「や、そうじゃなくて」
「なんですか」
「アオキくん、疲れてて頭動いてないでしょ」
「そう見えますか」
「やばいよ、疲れてるなら休みなよ」
「大丈夫です。明日は休日ですので」
「そっか」
「はい」
「……え?本当に私、アオキくんちに住んでいいの?」
「構いませんよ」
「なんで?」
小首を傾げながらアオキくんを見つめた。座っていても彼は背が高いから私は自然と見上げることになる。微かに灰色がかった黒い瞳をじっと見つめれば、彼は静かに見つめ返してそれからその唇を開いた。

「新しく家を探すのは大変だと思ったので……」
「ええ……私は助かるけど、君に迷惑じゃない?」
「そう思うのなら初めから誘ってません。人を当日の昼間に急に飲みに誘うくせにそういうところ気を遣うんですか」
「飲みと居候は規模が違くない?」
「大した差はありませんよ」
「そうかなあ……」
アオキくんは「手が止まってますよ」と私に長芋の皿を寄せてから酒を煽る。

「仮に、自分が職と家を無くしていたらあなたは助けてくれるでしょう?」
「まあ、確かにそうすると思うよ」
「それと同じです」
「そうかも……」
そう言われたらそうかもしれない。長芋を齧りながら、彼の世話になることを考えてみる。個人的には悪くない。というか地元とはいえパルデアを長く離れていたので土地勘もあまりない現状、彼の提案は普通にありがたい。
私たちは竹馬の友であり、腐れ縁であり、マブである。
けれど、男女でもある。一般的に異性の2人が同居することは……まあ少し意味合いが異なって見られることも考えられる。
私がそう考えていたことに気がついてか、アオキくんはゆっくりと話を続けた。

「あなたのご両親からしたら、娘が職を無くして地元に戻ってきたというのは少なからず不安なことだと思いますよ」
「う……」
「その点自分はあなたのご両親とも顔馴染みです。あなたが社会的な安定を持たないまま1人で暮らし始めるより、自分が一緒にいた方が安心されるんじゃないですか」
「アオキくん」
「はい」
「親とか社会とか安定とか現実的な話しないで。もっと酒飲んで」
「はい」
そう言えば素直にビールを口にするアオキくんに私は管を巻くみたいに絡んだ。腕を伸ばして彼の肩を抱き、自分の方へ引き寄せる。そうすればアオキくんの肩が下げてこちらに高さを合わせてくれる。からみ酒にも優しい。

「アオキくん、いいかい。これから君に説教するよ!」
「はい、よろしくお願いします」
「君は危機感が足りてない!」
「はあ」
「捨てポケモンじゃないんだからそうやってあれこれ拾って他人の面倒まで抱え込むものじゃないよ!」
「はあ」
「アオキくんもいい歳なんだから将来のこととか考えて行動しないとダメだよ!この発言かなりブーメランだけど!」
「これでも考えているつもりですが」
「全然そうは見えないよ!ちゃんと前を見据えて生きないと!ねえこの発言かなりブーメランだよ助けて!」
「……相変わらず愉快な人ですね……」
「どんな時も明るく生きていきたいよね」
「ところで昔あなたとした約束事を覚えてますか?」
「む、どのことかな?金貸してとかそういう系?」
「まあ昔あなたに三百円くらい貸しましたが、それはどうでも良くてですね」
「え、ごめん後で返すね」
「随分前にですが、あなたが言ったんですよ。『お互い30過ぎても独身だったら結婚しようね』と」
なんとなく強気になって振り上げていた拳がすとんと落ちる。落ちた拳を膝の上に置いて大人しくする。うーん?

「…………全然記憶に無いけど、私なら言いかねないよ」
「お互い30越えましたね。結婚、しましたか?」
「し、してないです」
恋人もいない。いるわけがない。いたらそっちを先に頼ってるに決まってる。それはアオキくんもわかっていたらしくさ、じっと私を見つめてそれから苦笑するように微かに口角を上げた。

「発言には責任が伴いますよね」
「……まあ、そうだね」
「さあ、どうしましょうか」
「……え?け、結婚、する?」
「よろしくお願いします」
私はポカンと彼の瞳を見つめた。数秒固まって、それから口を開く。

「……アオキくんって私のこと好きなの?」
「好きじゃない人からの誘いに乗って結婚しようとするほど博愛主義じゃないですよ」
あっけらかんと彼は言った。それからむしろ私に問い返してくる。

「あなたこそいいんですか。このままだと自分と結婚することになりますよ」
「うん、うーん?うん……まあ、いいんじゃない?」
どこの誰とも知らない相手ならともかく、アオキくんは昔から知ってる人だし私も彼のことは好きだしなあと思ってうなづくと、呆れた顔で見つめられた。

「……ええっと、なんでしたっけ?『いい歳なんだから将来のこととか考えて行動しないとダメ』でしたか?」
「将来とか年齢とか現実的な話しないで。もっと酒飲んで」
「はい」
アオキくんは素直に酒を飲んだ。ごくごくと液体を嚥下するその喉を眺めながら肘をカウンターにつけて私は口を開く。

「考えたことなかったから今考えてみたんだけど、私アオキくんのこと好きだわ。結婚しよう」
「…………」
「なにその釈然としない顔」
「本当によく考えましたか……?あなたの手にある酒のアルコール度数は何パーセントですか……?」
「これくらいで酔わないし、ちゃんと考えたよ。無職という恥を躊躇いなく伝えられたのは君だけだし、困った時に頼りたいのは君だし、君に好きだと言ってもらえて満更でもない気持ちになったし、アオキくん可愛いし。指ハートしてあげる。チュ、可愛くてごめんね」
「それもう古いらしいですよ」
「なんでそんなこと言うの?君への好感度下がった」
「でも自分はあなたが好きです」
「はい、好感度カンスト。結婚しようか」
「本当にちゃんと考えてますか……?」
「ちゃんと考えたよ!大丈夫だよ!結婚しようよ!私は君のこと幸せにするし、ちゃんと就職するし、借りてた金も返すよ!いやちょっと待って私のこの発言最悪すぎない?」
「名前、一旦冷静になりましょうか……勢いやノリで下手を打つと後悔します……歳をとるほど失敗のダメージは大きくなるんで……」
「なんで急に結婚してくんなくなったの!?いやてかなんで立場逆転してんの!?」
「……こんな大衆食堂でする話でもないですし、飲み終わったら二軒目代わりに自分の家に来ますか。静かなところでゆっくりと話をしましょう」
「望むところだ!かかってこい!絶対私と結婚させてやるからな!」

……後から知ったことなのだが、時に恋愛の駆け引きとは『押した後に引く』らしい。

まんまと、いやもう本当にまんまとアオキくんの家という相手のテリトリーど真ん中にノコノコと向かった私を彼はその時どう思っていたのだろう。聞いてみた。

「あまりにもチョロ過ぎて一周回って何かの罠かと思いました」
「不安がらせてごめんね……ただ単に私がチョロい生き物なだけだよ……」
「チョロい生き物がどんな顔してるのか気になります」
「こんな顔だよ」
「可愛い顔してますね」

じゃれるように目元に唇を落とされながら、ふとまだ彼に三百円を返してないことに気がついた。
そのうち共用口座にでも入れておこう。端金すぎるが。




(2023.03.29)