幸福が目に見えていた



 月に一度のお楽しみ。それは、この世界屈指の魔法士養成学校・ナイトレイブンカレッジでの出張営業である。
 毎月、焼きたてのパンを山盛り荷台に乗せて山を登り、全てのパンを売り切った状態で山を下る。この街で大人気のベーカリーとはいえ、昼休みという短時間でこれほどの量のパンが完売することなんて滅多にない。育ち盛りの男の子たちであるナイトレイブンカレッジ生の食いっぷりは、それはそれは気持ちがいい。
 飛ぶように売れるパンを眺めながら会計や商品の受け渡しの手伝いをするのが、街の店でのどんな仕事よりも好きだった。
 でも本当は、もう一つある。
 誰にも教えていない、私だけの、月に一度のお楽しみ。

 パンを買いに来るナイトレイブンカレッジ生は大きく分けて3つのタイプに分類することができる。
 まず1タイプ目は初めてのお客さんタイプ。予想以上の品揃えに、目をキラキラさせながらどのパンにしようかを悩む人が多い。私はそのお客さんたちのキラキラした瞳が好きで、ついつい聞かれてもいないのにそれぞれのパンの紹介をしてしまう。
 そして2タイプ目は常連さんかつ毎度違うパンを買うタイプ。街の店でもそうだが、ナイトレイブンカレッジで販売するパンはその季節ごとに少しずつ異なる。その日の天候によってもラインナップを変えることもあれば、リクエストにより新しいパンを加えることもある。そんな豊富な種類のパンを全制覇しようとするのがこのタイプのお客さん。「ここのパン、どれ食べてもうまいからこれもきっとうまいんだろうな〜」そう呟きながら新登場のパンを手に取るお客さんを見ると、いつだってこの店のパンは愛されてるなあと幸せな気持ちになる。
 そして3タイプ目。

「あっちゃ〜」

 この金髪に近い茶髪で癖毛で、何かの獣の耳を生やした男の子に代表される、常連さんかつ毎度同じパンを買うタイプ。

「デラックスメンチカツサンド、もう売り切れちゃったッスよね?」

 毎月毎月飽きもせずデラックスメンチカツサンドばかり買う、なんだかちょっと気になる人。月に一度、会計の時にだけ言葉をかわすことができる、茶髪で癖毛の獣人の男の子。
 そんな彼がトレードマークである何かの耳を垂らしながら、困ったような表情で私を見ていた。

「そ、そうなんですよ! おかげさまで当店一の大人気商品でして〜!」
「そうッスよね……レオナさんに頼まれてたのに困ったッスねえ……」

 誰かに交換してもらおうにもみんなもう食っちまってるし……。そうしぶしぶローストビーフとレタスの窯焼きサンドに手を伸ばす男の子。その様子はひどく落胆しているように見えて、私はついうっかり、そうついうっかり声をかけてしまったのだ。

「あの、よかったら……」

 クーラーボックスから取り出したのは、販売後の昼食用に取っておいたデラックスメンチカツサンド。ただし、非売品だ。これは、今朝私が人生初めて作ったものだから。でもオーナー夫婦が作る売り物と味はそこまで変わらないと思う、ただちょっと見た目が悪いだけで。
 おずおずとその見た目の悪いデラックスメンチカツサンドを男の子に差し出す。毎月毎月デラックスメンチカツサンドを買いに来る彼にとって、見た目の悪いこれでは物足りないかもしれないけれど……だって本当に困ってそうだったから。

「これは……デラックスメンチカツサンドじゃないスか!」

 しかしそんな不安でいっぱいの私とは対照的に、彼は獣の耳をピンと立てて瞳をキラキラ輝かせて、私の手のひらの上にあるサンドを見つめていた。

「私が初めて作ったもので見た目も悪いし売り物にならなかった分ですけど……レシピは同じだから、味はそこまで変わらないと思います。あ、もちろんお代は大丈夫です」
「ってことは、もらっちゃっていいってことッスね!」
「はい、いつも買ってくださってるお客さんですから」

 不恰好な私作のデラックスメンチカツサンドが、私の手から彼の手へと渡る。その際にほんの少し私の手のひらに触れた彼の手に、ドキリと心臓が跳ねた。そんな私の様子になど気付かない彼が「うまそうッスねえ」と呟いて、その言葉にまた心臓が大きく跳ねた。

「君、また来月も来るッスか?」

 サンドを見つめていた水色の瞳が、私に向けられる。少し垂れ目な、大きな瞳。その瞳に吸い込まれそうになりながら、無意識に大声で返事をしていた。

「は、はい!」
「いい返事ッスねえ。じゃあその時に今日の礼、させてもらうッス!」

 それじゃ!と彼が去っていく。
 彼に自分が作ったデラックスメンチカツサンドを渡してしまった。彼と言葉を交わしてしまった。彼と、また来月会う約束をしてしまった。
 その事実に気づいた時、全身がブワッと熱くなった。
 ああ、なんて恥ずかしいことを……!
 その日を境に次の出張営業の日までの日数を毎日数えることになるなんて、きっと言うまでもないことだろう。


* * *


 翌月。ついにやってきた、出張営業の日。
 太陽もまだ顔を出していないような早朝に目覚めたけれど工房に向かうにはまだ早すぎたため、いつもより気合を入れて身支度を行った。まあそうしたところで仕事をしているうちにボロボロになってしまうわけだけど、それでもそうしなければ平静を保ってられないくらいに私は緊張していた。

「デラックスメンチカツサンドひとつ」

 でもそんな風に落ち着きがないのは私だけだったわけで。食堂に現れた彼はまっすぐこちらに向かってきたかと思えば、いつも通りの口調でいつもと同じ商品名を口にする。
 先月のことなどもう忘れてしまったのだろうか。あまりにも以前と変わらない態度に、少しだけ気持ちが落ち込む。いや、少しだけというか……かなり。でも同じような日々をただこなすだけの私と日々変化に富んだ学生生活を送る彼とでは時間の流れが違っていて、先月の出来事が遠い昔の出来事でもう忘れてしまっていたとしてもしょうがない、しょうがないんだ。私も悪くないし、そして彼も悪くない。
 そんなことを考えながら、商品の代金を受け取る。

「いつもありがとうございます……っ!?」

 彼が持っていたマドルが私の手の中に落ちた時、その手首を掴まれ急に身体を引かれた。

「中庭で待ってるッス」

 そう耳元で囁いた彼は、パッと私の手を離すと何事もなかったかのようにデラックスサンド片手に食堂の出入り口の方へと向かっていく。一方で私はというと、突然の出来事に頭も体もついていけず、ただただ耳の奥に自分の心音だけが響いていた。

 その後の私の役立たずっぷりといったら恥ずかしいくらいで、呆れたオーナー夫婦に「今日はもういい。店にも出なくていいから帰って休みなさい」と食堂を追い出される結果となってしまった。
 初めてこの学園を訪れた際にもらった学園の地図を片手に中庭を探して廊下を歩く。キョロキョロと辺りを見回しながら歩いていれば突然視界が開け、柱の向こうに緑が広がっているのが見えた。その向こうで木陰に座る彼がひらひらと手を振っていた。それがきっと自分に対してであることに、また耳元で響く心音が大きくなり始める。それに気づかないふりして、もう先ほどまでの食堂でのようにヘマをしないように深呼吸をひとつ。

「お待たせしました!」

 何やら大きなバスケットを抱えた彼の元に駆け寄る。

「思ったより早かったッスねえ」
「ちょっと色々ヘマしちゃって……今日はもういいって言われちゃいました……」
「ふうん。アンタも色々大変ッスねえ」

 そう言いながら、彼はバスケットの中をゴソゴソと漁り始めた。
 バスケットを挟んで彼と反対側に座る。彼が漁っているバスケットからは何だか嗅いだことのある甘い香りがふわりと漂っていた。私は知ってる。この香りは……

「ドーナッツ!?」

 私がそう叫んだのと、彼がバスケットから箱にいっぱいに詰められたドーナッツを取り出したのはほぼ同時だった。

「よくわかったッスね!」

 そう私を見つめる彼の笑顔が眩しくて、つい目をそらしてしまう。

「……麓の店ではたまに作ってるので」
「へえ。ま、それには遠く及ばないかもしれないッスけど」

 先月のお礼ってことで、そう箱を差し出された。
 ドーナッツでいっぱいの箱を受け取れば、まだそこにはほんのり熱が残っていて、出来たての甘くふわふわした香りが鼻を擽る。いただきますと手を合わせてから箱からドーナッツをひとつ取り出す。そのドーナッツもやっぱりまだ熱を持っていて、一口齧ればその暖かさとともにほんのりミルクのような甘さが口いっぱいに広がる。

「ん〜! 美味しい!」

 それは、自然と口から出た言葉だった。

「このドーナッツ、すごくすごく美味しいです!」

 店で作っているドーナッツとはまた違った味だけれど、程よい甘さとミルクの香りが私の好みにぴったりで。たまらず美味しいと伝えれば、少し照れたように彼が笑った。

「それ、オレが作ったんスよ」
「え!? 本当に!?』
「ま、レシピ教えてはもらったッスけどね〜」

 ひょいと私の手元の箱からドーナッツをひとつ摘んだ彼は、一口食べて「これは……確かに上出来ッスねえ」と目を丸くしている。ペロリとドーナッツを食べきった彼が、また箱に手を伸ばす。何だかその様子が可愛らしくて、つい、ぴしゃりとその手を叩いてしまった。

「いってえ! 何するんスかー」

 そんなに痛くしたつもりはなかったのに、ひょいと手を引っ込めた彼に少し驚きつつも「これは私がもらったものなんですー」と箱を抱えてみせる。それを見た彼はニヤリと笑いながら「オレが作ったもんッスよ〜。だからオレのもんでもある!」と私が抱える箱に手を伸ばした。
 私が抱えていたにも関わらず、彼はいとも簡単にその箱を取り上げてしまった。そしてそこからドーナッツをひとつ取り出し、私の口に押し付ける。

「自分が作ったもんをこんな風にうまそーに食ってくれるって、なかなか嬉しいもんッスね」

 私がそのドーナッツにかじりついたのを確認した彼は、また箱からドーナッツをひとつ取り出し、自分の口に放り込んだ。

 ドーナッツを頬張りながらベーカリーでの仕事や学園での生活といった他愛もない話をしばらく続けていると、突然どこからともなくカンカンと鐘の音が響き始めた。中庭に散らばっていた生徒たちがいそいそと建物内に戻っていく様子に、その鐘が昼休みの終わりを意味していることを理解する。

「それじゃあ、私はこの辺で……」

 私も山を下り始めないと、と立ち上がった時、またも彼に手首を掴まれた。

「そういやオレ、アンタの名前知らねえんスよね」

 よっ、と立ち上がった彼は想像していたよりも随分と大きい。彼のその水色の瞳に見下ろされた私は、またもうるさく響く心音を無視するので精一杯だった。

「オレはラギー。ラギー・ブッチ。アンタは?」

 心臓は胸にあるはずなのに、脳がドクドクと脈打っているような感覚に陥る。掴まれている左手首に熱が集中しているような、でも顔にも脳みそにも血が集まってきているような……突然の出来事に爆発してしまいそうになる中で必死に声を絞り出した。

「……ユウ……」
「ユウ、か。いい名前ッスね。」

 花のように笑う彼が、世界から切り取られた存在であるような気がした。それはまるで、私の幸せが具現化した幻のようで。
 固まる私をよそに、カンカンともう一度鳴った鐘を耳にした彼は「じゃ、また来月ッスね」と去っていく。

「あ、そうだ、ユウ!」

 まだ木の下で立ち尽くしている私に、廊下から彼が声をかける。

「残りのドーナッツは牛乳に浸して食べるのがオススメッスよー!」

 答える代わりに首を縦にブンブンと振る私の様子を見た彼が、小さく笑う。そして彼は廊下の向こうに消えていった。