猫の膝枕
体がぼうっと熱い。霧が立ち込めたような脳内は、朝から一度も晴れていない。ぼんやりとした頭では、今見ているものが夢か現かすら区別がつかない。風邪かと思い熱を測ってみたけれど、熱もなければ特に体調に問題があるわけでもない。
それじゃあ、この倦怠感は閉め切った窓のせい?
鉛を沈めたかのように重い体をなんとか引きずり、窓を開ける。途端、パラパラと雨粒が葉を打つ音が飛び込んでくる。雨だった。とうの昔に日の落ちた暗闇の中で、静かに雨が降っていた。
「雨が降っていたんだね」
ソファで本を読んでいたリドル先輩がふと顔を上げた。その表情は相変わらず柔らかい。朝から全く集中できず、何も手につかなかった原因が天気にあることを、先輩は何となく気づいていたのかもしれない。ぼうっと教科書を眺める私に怒るでもなく、無理しなくてもいいと私のペースに合わせてくれていた。
本をテーブルに置いた先輩が、窓の外を眺める私の方へと近づいてくる。しばらく私と同じように外の世界の音に耳を傾けた後、変わらず柔らかい笑みを湛えたまま、その右手を私の頬へと伸ばした。
私の内側でくすぶる熱のせいか、それとも少しだけ低い先輩の体温のせいか。私の頬をするすると撫でるその手は、ひんやりとその存在を主張する。もっとその手を感じたい。自ら頬を擦り寄せるように少し体を動かせば、リドル先輩はおかしそうにクスクスと笑った。
「猫みたいだ」
「……にゃー」
「ふふ。おいで」
促されるまま、先ほどまで座っていたソファに腰を下ろす。隣に座った先輩は、ぽんぽんと自分の膝のあたりを叩いていた。
「おいで」
「え?」
「座ったまま眠るのは辛いだろう。ボクの膝を貸してあげるから、少し眠ったらどうだい?」
相変わらずそこには穏やかな笑みがあったけれど、先ほどまでとは違い、少しだけ、頬が赤く染まっているのに気づいた。
心臓が少しずつ、少しずつその存在を主張する。ぼんやりと霧の中に隠されていた感覚が、少しずつその姿を現し始める。まだぼうっとする頭に対して、心拍数がどんどん上がることだけが、はっきりと感じられる。
「……なんとか言ったらどうだい」
少しムッとした声に、私は慌てて体を傾けた。
「失礼します……」
リドル先輩の太ももに触れたところから、ぶわっと感覚が蘇っていく。太ももの弾力、スラックスの生地の感触、内を流れる血液の音……霧の中から次々と顔を出すその感覚に、私は緊張で体を強張らせた。
その様子に、また先輩がクスクスと笑う。
「そんなに緊張していては眠れないよ」
そう、私の髪に手を伸ばす。幾度か指で髪を梳いた後、掬った一房に、その唇を寄せたらしい。髪の持ち上げられる感覚と、ちゅ、と小さなリップ音。やけに耳の奥でこだまするその音に、頭の中の霧はどんどん晴れていく。
「リドルせんぱ、」
私の言葉を遮るように、リドル先輩の手が私の頭を撫で始めた。
一定のリズムで行ったり来たりするその手の感覚に、再び霧が広がり始めたのがわかった。力の抜けた頭が、先輩の太ももに深く沈んでいく。うるさいほどに存在を主張していた心臓は、落ち着きを取り戻していく。
少しずつ、まぶたが重くなっていくのを感じる。
「ゆっくりおやすみ」
まぶたが落ちるのと、その声が耳に届いたのは、きっと同時だった。瞬間、私の意識は夢の世界へと飛ばされる。
パラパラと葉を打つ雨粒の音と、青年がページをめくる際に生まれる紙の擦れる音だけが響く部屋。ソファに腰掛ける青年の膝元には、穏やかな表情で眠る娘がいる。
時折、青年がその娘の髪を梳く。その度に、娘はくすぐったそうな、幸せな音を上げた。