※泉田→主人公描写あり。
「では、各クラス次回の委員会まで学祭の企画書を提出して下さい」
以上です、と壇上の司会が言い終えると同時に、皆一斉に立ち上がり、帰りの支度を始める。よく見慣れた委員会終了の光景である。
その例に漏れず、泉田も素早く帰り支度を始めると、足早に廊下に出た。
「伊東先輩」
急ぎ足で部活に向かおうとしたが、前方に見知った後ろ姿を見つけて、思わず声をかけた。
「あ、泉田君。お疲れさま」
振り返った相手――伊東真緒は、泉田の一つ上で、泉田が1年生のときから委員会で馴染みのある先輩だった。
「それ提出用の資料ですか?」
そう言って、泉田は真緒の隣に並んで歩き出す。
「うん。全学年分だから集めると意外とあるよね」
腕いっぱいに資料の束を抱えながら、真緒はふわっとした笑顔を浮かべた。
「先輩、持ちます」
そう言って、泉田は伊東の手に持った資料に手をかけた。
「大丈夫。そんなに重くないし。ていうか、泉田君これから部活でしょ?」
「はい。でも、職員室行く途中ですから」
泉田はひょいと、真緒の荷物を取り上げると、そのまま歩き始めた。真緒は一瞬、あっ、と小さく言ったが、すぐに笑顔で続く言葉を泉田に返す。
「ありがとう。じゃあ、職員室までおしゃべりしようか」
泉田の心が、小さく踊った。
「そう言えば、泉田君、自転車部の新キャプテンになったんだって?」
調子はどう、と真緒楽しそうに聞く。
それ誰から聞いたんですか、と聞こうとして泉田は止める。
と同時に、泉田の脳裏に口が悪くて無愛想な自転車部3年のある先輩の顔が浮かんだ。
「あ、ええ。まぁ……」
笑顔で適当な返事を返すも、さっきまで舞い上がっていた心が急降下していくのがわかった。
「おい、塔一郎!聞いたかァ?荒北サン、最近彼女できたらしいぜ!」
泉田がその話を親友の黒田雪成から聞いたのは、ほんの数日前のことだった。
「しかも、相手誰だと思うよ?」
聞いて驚くな、と言わんばかりの顔で、黒田がニヤリと笑う。
(ユキ、やめろ……)
それは、虫の知らせ(胸筋の知らせともいう)だったのかもしれない。なぜだかわからないが、何となくその先を聞きたくなくて、泉田は無意識に身構えた。いつの間にか喉の奥がカラカラに乾いていた。
「ほら、3年の伊東真緒先輩。お前も知ってんだろ?」
黒田の口から出た名前に、衝撃が走る。
「ずりーよなぁ、荒北サン。俺は自転車しかねェって顔しときながら、あんな可愛い人とつきあってるなんてさ」
あー俺も彼女ほしーぜ、なんて喚いている黒田を後目に、泉田は内心の動揺を隠せないでいた。
3年の伊東真緒先輩は、可憐で優しくて明るくて、なのに誰にでも気さくで、とその美点を挙げれば枚挙にいとまがない。言ってみれば、泉田が心密かに想いを寄せていた憧れの存在だった。否、そう思っているのは泉田だけではない。実際、伊東先輩はモテる。
しかし、泉田の知る限り、彼女が誰か特定の相手とおつきあいをした話は聞いたことがなかった。それを“箱根学園のローレライ”とか、面白おかしく揶揄する人たちもいたようだが、泉田は伊東がそんなひとだとは微塵も思っていなかった。
(なんで……荒北さんなんだろう)
失礼を承知で言えば、泉田の本心はこれにつきる。
確かに伊東は泉田 の想い人だが、一方であんなに素敵な先輩に自分は分不相応だと感じていた。だから、彼女に告白しようとかは考えたこともなく。
ただ、委員会のときに言葉を交わしたりするだけで満足だった。そう思っていたはずだった。彼女が荒北とつき合っているという噂を聞くまでは。
(確かに、荒北さんは尊敬する自転車部の先輩だ。だけど……)
荒北が尊敬する先輩ということに、偽りはない。現に、今年のインターハイでは泉田は荒北の走りに色々なことを教わったと感じている。
しかし。憧れの伊東先輩の彼氏、つまり、男としてどうかと聞かれると、正直首を傾げざるをえない。確かに、見た目ほど悪い人ではないが、到底女性に優しく振る舞うとかは想像できない。
もし、これが自転車部イチのモテ男である東堂さんや、泉田が男として憧れてやまない新開さんだったら、きっとこんなモヤモヤした気持ちにならなかったと思う。
特に、新開さんとか新開さんとか新開さんだったら、なんてお似合いのカップルなんだ、と手放しで祝福していたとすら思える。
つまり、何が言いたいのかと言えば、伊東先輩の彼氏に荒北では釣り合わないと泉田は思っている。
(いや、待て。そもそも本当に伊東先輩は荒北さんとつきあっているのか?)
多少の現実逃避も相まって、 泉田の頭の中にそんな考えが首をもたげる。
(いやいや。それを知ったところでどうなる塔一郎)
本人に直接聞いて事実だったらそれこそ立ち直れない。
でも、そうじゃなかったら……?
「伊東先輩……あの、荒北さんとつきあってるって本当ですか?」
一縷の希望が、無意識にそうさせてしまったのか、気がつけば泉田は伊東にそう呼びかけていた。
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