「え……ええっ?!」
泉田の質問に、伊東が応えるまでゆうに10秒はあったと思う。
よっぽど吃驚したのか、黒目がちな大きな目を皿のように丸くして、白い小さな手を口に当てて、慌てふためく。目の前にいるのは、泉田の知っているしっかり者の伊東先輩ではなく。ただただ、驚き、耳まで真っ赤になった可愛い一人の女の子だった。
(あーやっぱり聞くんじゃなかった)
つきあってるとか、ひと言も発していないにもかかわらず、そうだということは一目瞭然な伊東の様子を見て泉田が心の中でため息をついた。
ていうか、十中八九そうだとわかってて聞くとか、僕はマゾなのだろうか。確かにロードレースも筋トレも苦しみの中に喜びがあるわけだし。いや、待て塔一郎。苦しみとかいったら、アンディとフランクに失礼……
「な、なんで、泉田君が知ってるの?」
図らずも、泉田の脳内会話を遮るように、伊東が小声で尋ねる。
頬を上気させ、戸惑いながら少し上目遣いに泉田を見上げる伊東の表情に、泉田の心臓が高鳴る。

(ああ……そんな顔で見ないで。余計悲しくなります、先輩)
心の中で悲痛に叫びながら、次の瞬間、泉田はさらに自分を追い詰めるようなことを口にする。

「先輩は、荒北さんのどこが好きなんですか?」

言ったあとで、しまったと泉田は思った。
これでは、まるで荒北さんに思い当たるような良いところがないと言っているみたいじゃないか。自分の失言を後悔しながら、横目で恐る恐る伊東の様子をうかがうと、泉田の心配をよそに、伊東は気を悪くした素振りもなく、ものすごく真剣な顔で考え込んでいた。

「伊東先輩……?」
「あ、ごめん。急に黙ったらびっくりするよね」
真面目に考えちゃった、と伊東が苦笑する。
「荒北くんて、無愛想で近寄りがたいし、口も悪い上に声大きいし」
いわゆる、怖いひとだよね、と伊東がしごく真面目な顔で、荒北の特徴を羅列する。泉田は内心では深く頷いていたが、さすがにそれを表立ってするのは憚られて、黙って伊東の話を聞くことにした。
「でもね。本当はすごく優しくて真っ直ぐな人なんだと思うの。だから、一緒にいると自分でもびっくりするくらい幸せなんだよね」
「……!」
そう言ってはにかむように笑った伊東の顔に、心臓を撃ち抜かれ、泉田は息を飲んだ。
とどのつまりは、ただのノロケ話で。しかも、それを話しているのは、泉田の想い人で。
普通に考えれば、立ち直れない程のダメージを受けてもおかしくない場面のはずだが、不思議とショックはなかった。
もちろん、全くないと言えば嘘になる。
しかし、それ以上に、目の前で笑う伊東がとても幸せそうで、そんな顔他の男に見せたら荒北さんが怒っちゃいますよ、とでも言いたくなるほど可愛い顔されたら、もう認めるしかないじゃないか。


「……ましい」
「え?」
「羨ましいな。ラブラブじゃないですか」
嫌味とかではなく、本心から泉田が言う。
「うん……でも、あらためて言われると、なんかすごく恥ずかしいかも」
「職員室着きましたよ、先輩」
照れながら呟く伊東に、泉田が笑顔でさらりと伝える。
「あ、本当だ。資料ありがとう、泉田君」
「どういたしまして」
「それと……さっき私が言ったこと、荒北くんには内緒にしといてね」
お願い、と顔の前に人差し指を翳しながら、ヒソヒソ声で伊東が囁く。そんな何気ない仕草でも可愛いなんて、つくづく罪な人だと思う。
「もちろん。安心して下さい。僕、口堅いですから」
「ありがとう」
伊東に見送られながら、泉田は部室へ向けて歩き出した。


「伊東先輩!」
数歩歩き出すやいなや、不意に振り向いた泉田が伊東を呼び止めた。まだ職員室の前にいた伊東が、なに、と言う顔で泉田を見る。
さっきの言葉、僕じゃなくて荒北さんに直接言ってあげて下さい――といいかけて、泉田は言葉を飲み込む。よく考えれば、幸せな二人には余計なお世話以外の何者でもない。それに、荒北さんはこの可愛いひとをこれから先ずっと独り占めするわけなんだから、わざわざお膳立てしてあげる理由なんてない。
このくらいの意地悪してもバチは当たらないだろう。
「……やっぱり、なんでもないです」
すみません、と少し慌てて泉田が頭を振った。
「泉田くん、部活頑張ってね!」
そんな泉田の思惑など知る由もない伊東が屈託のない笑みを浮かべて手を振った。
泉田は返事の代わりに、軽く会釈すると、前を向いて再び歩きだす。
職員室からだいぶ離れたところで、人知れず、ふぅ、と小さく深呼吸をすれば、胸の奥が小さく痛んだ。
初恋と呼べるのかさえ微妙な想いだったが、やはり、はっきりと終わりを告げられるのは辛い。
しかし、今の自分はそんな甘い感傷に浸っている余裕はないのだ。今、僕がやるべきことは、常勝ハコガクの王者奪還、ただ一つだから。
(準備はいいね?アンディ、フランク)
鍛え上げた胸筋に心の中で呼びかけて、泉田は颯爽と部室へ向かった。
その顔つきは、吹っ切れたような、晴々したものに見えた。




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