ボツ!!
一生に一度、こんな事があるのかとナマエは広がる部屋の景色に思わず「わぁ」と声を漏らしてしまう、その姿を見たオニは荷物を運び終えてくれた客室係を見届けては「気に入ったか?」と声をかけると振り向いた彼女は頬を緩めて「もちろん」と笑った
二人は今、日本の旅館にいた
それは偶然の産物で、ナマエが知り合いの夫婦がマタニティ旅行として日本を予定していたもののその夫婦の妻が早期出産に変わってしまい、当然時期もずらせぬ状況に泣く泣く無料で旅行券と宿泊権をゲットしたのだった
オニの母国ではあるものの、喜んで帰りたがる訳でもない彼を無理に誘うことはしてこなかったナマエはこれを機に二人で旅行にでも…と誘ってみたところ二つ返事の了承の末、二人は今日本の中でも老舗と呼ばれる趣のある旅館に宿泊していた
「こんなところで一週間も泊まれるなんて楽しみだね」
「食事の案内の方が気にしてそうだったけどな」
「そ、それは…」
「絶品らしい、俺も楽しみだ」
なんせ純粋な日本料理なんて何年ぶりのことかというオニにそっと胸を撫で下ろしてナマエは旅行を心から楽しんでいた
とはいえ宿泊先はオニも来たことの無い土地であり、二人は入念に下調べをしており、何処に行くか何をするかと計画していた、一人きりで楽しむかもしれないと思っていたナマエにとって彼が同じように考えてくれることだけでも幸せだった
「さっき仲居がいっていたんだが、この部屋からは花火も見れるらしい」
「花火って明日行く予定の?」
「そうだ、だから今日はゆっくりして明日の夜はここからゆっくり眺めよう」
部屋というよりも小さな家に近い広さにも感じるその部屋には縁側も、部屋用の露天風呂さえついていた、全てが新鮮でありどこかに行くという考えがありつつも、二人きり静かなこの場所で過ごせることは喜びであり彼の言葉にナマエは静かに頷いては彼の腕に自分の腕を搦めた
銃声も立ち込める煙も血の匂いもしない
そんな当たり前のことさえ、貴重に感じるほど二人はそうした当たり前の日常から遠ざかっていたのだった
移動と寄り道がメインであったその日、ようやく辿り着いた部屋でそう話している間に夕食といわれ流れるがまま二人は食事に風呂を済ませ、そして二枚敷かれた布団に入って互いの手を繋いで眠る、ひとときの夢と感じながら
知り合いの夫婦が日本に来る理由として花火を見に来たことも一つであり、宿泊二日目の夜、花火大会があるということに浮き足立ったナマエは朝食を終えて直ぐに旅館の一室で浴衣を身にまとっては子供のように浮かれていた、守銭奴といえるほどの彼女といえどそれなりに女性としておしゃへやかわいいものには憧れを感じる
白地に青紫の藤の花が描かれたその柄を気に入って身につけた彼女は着飾られる自分を見ては馬子にも衣装だと感じつつ、用意を終えてオニの元に行けば深い紺色の浴衣を身にまとったオニは「綺麗だ」というものだから、ナマエは照れくさく顔を伏せて「オニくんも」としか返事出来なかったのだった
転けないようにと手を繋ぎ日中から寄るにかけて街を探索して、適度に食べ歩きをしつつ夕方頃になれば足早に旅館に戻り頼んでいた日本酒とそれに合う料理を部屋に運んでもらっては、縁側で赤紫の空が黒く染っていくのを眺め談笑をするうちに時間になり、大きな音を立てて花火が打ち上がる
綺麗だ…と思いつつ言葉にしなかった
二人は静かにお猪口の日本酒を飲む手だけが進み、花火はずっと縁側の二人を照らしていた、オニが日本に帰らない理由を知っている彼女にとってこの旅行は成功なのかどうなのかとまだ二日目であるが考えてしまう
長い休暇だと思いつつも過ごせることは喜ばしくも、オニの過去を考えるナマエは強いアルコールに仄かに酔わされたまま花火の美しさに身を任せて隣のオニの肩に置いた
「綺麗だな」
「うん、向こうと違う綺麗さがある」
普段口数の多いナマエは静まってしまうことには美しさも心地良さもあるが、オニへの悩ましさも考えるからだ、過去の話を聞いたのも交際を初めてそれなりの時間を経過させて本名を知り合ってからのこと
それまでは知りもしなかった彼の過去を紐解くと、正反対の恵まれた自分に申し訳なさを無駄に感じた時期もある
「オニくんはここに来てよかっ……っん、ふ」
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