没現パロ仁さん
『貴方とでしたら地獄迄お供いたします、私達は夫婦なのですから』
そう告げて彼女はトリカブトを拾った、不器用だというのに僅かに口角を上げて微笑みを見せては胸の痛みが増していく。
この世界で何よりも慕う者を切り離してでも自分の信念を貫かねばこの戦には勝てぬと知っていた、獣に成ろうと鬼に成ろうと全ての罪を背負いて島の民を守らねばならぬと駆けるうちに次第に自分が何者か分からなくなり手が止まる。
けれども隣に立つ夫婦となった女は凛とした姿で手を取った。
『貴方の罪を私も背負いたいのです、だって貴方は』
侍でも、冥人でもない、私の唯一の人
境井仁なのですから。
◇◆◇
「ナマエ」
見慣れた天井に仁は深い溜息をこぼした、何度も繰り返し見る夢は自分の隣に立つ女が自分と共に地獄までも⋯という言葉だった。
目を覚ましてはカーテンを開けた彼はその眩い光に目を凝らすものの何処か心はまだ夢から醒めぬようであり、顔を洗い着替えてリビングに行けば丁度朝食の支度をしていた家政婦である百合が仁をみて挨拶を交わした。
テレビを付けては新聞を片手に朝食を済ます彼は慣れたようにネクタイを閉める度に未だにこの感覚にはなれないと感じた、何処か世界は夢のようでいていつも第三者の如く考える彼はふとテレビに映った女性に目を奪われる。
「違う、か」
「坊っちゃまもうすぐ出社のお時間では?」
「あぁそうだな、すまない百合片付けを頼む」
静かに考え込む間に彼はいつの間にか出社時間に近付いていたことを思い出し慌てて彼は玄関先の鏡で自身を見返して身嗜みに問題のないことを確認しては家を出た。
境井仁には前世の記憶があった。
それは夢幻ではなく真実だと感じたのは手の感触だった、幼少期、父の死を目の前にした彼はまるで紐解かれるようにその記憶を思い出したのだった。
目の前で燃える車の中で足を挟まれた父に手を伸ばされ名を呼ばれた時、彼の記憶は全て鮮明に浮かび上がった、そうすると不思議なことに自身の周りには以前居た人間ばかりが別の土地でも尚いるのだと知り、その摩訶不思議な縁の中に一人だけいない人物を彼は求めていた。
#2#ナマエという女はかつて境井仁の妻であった。
彼は何年何億光年経とうとも彼女だけを自分の妻として探し求めるだろう、それ程までに彼女は特別な存在であった、例え彼女が獣でも植物でも風でも空でも良かった、ただ彼女だけを永遠に探し求める仁は出会えぬ彼女との運命がいっその事前世の罪のせいなのだと感じざるを得なかった。
八百年程の刻が流れた、日ノ本は随分と代わりそれこそ仁の願うような平和を今は保っており、そんな世界に生きる事を彼は心地良さを感じつつも彼女のいない世界はやはり胸に穴が空いているようだった。
慣れた手つきで電車の改札を潜り仕事の確認をスマホですることも慣れていた仁はその日運命を見つけた。
五分毎にやってくる電車だというのに人はいつも満員で幼少期からだというのにこの人混みには慣れないものであり仁は人混みの足並みに合わせて電車に乗り込もうとした時、ふと感じた香りに視線を奪われた。
隣の車両に乗り込もうとする一人の女、黒い艶烏のような髪色をした女だった、一目見て仁はそれがかつての自分の妻であるナマエだと理解した。
「ナマエ!!」
思わず人目も気にせずに声を荒らげたものの彼女は気付かずに電車の中に乗り込んでしまい、足を止めた仁は人にぶつかられ舌打ちをされた事により意識を戻す、隣の車両であれば彼女を見つけられると乗り込むものの人混みに阻まれた仁の願いは届くことは無かったのだった。
「それで?ナマエに会えたって?」
「ああ確かにアレはナマエだ」
あれから約十時間後、仁は居酒屋"小茂田"に来ていた。
彼の行き付けの店であり、割烹料理が主としたその小さな店の中は平日の早い時間である為に仁のみであり、店主である女は彼の隣に腰かけては酒を共に飲んでいた。
それはかつての友である、ゆなであった。
記憶を持っていたゆなは仁の話を毎度聞いては呆れて笑う、しかしながら過去の仁は変わらずに彼女を深く愛していることを理解しており、彼女はまた近いうちに会えるかもしれないと告げれば仁は静かに日本酒を煽りつつも返事をした。
「アレは今世も誠綺麗な女だった」
「惚気るつもりかい?やめとくれよ」
「惚気ではない、事実だ」
深いため息をこぼしてしまうのは仕方の無いことで仁は心の底から思っている言葉をただ素直に告げているだけなことだった、昔から彼はそうして自身では違うというものの周りからしてみれば相当な惚気を吐き出すのだ。
丁度その言葉を聞いたカウンター越しのタオルを巻いた青年が手が空いた為か乗り上げては仁にキラキラとした瞳で声を掛けた。
「もしかして探し人が見つかったんですか?」
「ちょっとたか、今の仁に話しかけるんじゃないよ」
ゆなの弟でありこの店の料理人である、たかの言葉に仁は柔らかく笑みを浮かべてあれは彼女であったと告げた、実際のところは確実ではなくともそうであればいいとも思えた、しかしあの横顔や髪はあの頃のままであり見違えることなど無いだろうにと思えたのだ。
「そろそろ帰るか」
「はいよ、なぁ仁」
「なんだ?」
「事実は分からないけどよかったね」
会計を済ませた仁は混雑してきた店内を後に店の暖簾をくぐった頃、背後のゆなにそう声を掛けられると彼はゆなのその言葉に柔らかく微笑んだ、彼女の言葉はいつも現実的で厳しいことも多いもののそれでも心強いものであった。
「あぁそうだな」
金木犀の強く香る秋の夜の帰路、時折散った足元のイチョウや紅葉に想いが馳せる、あの頃互いに島を走り尽くした、生きること守ることに精一杯ではあったが彼女が隣にいるならばどんな困難をも退けられると感じたのだ。
顔を上げ月を眺めては彼女を思う、会いたい触れたいと願う気持ちばかりが強くなり、恋しさに少しだけ溜息をこぼす。
「俺はいつまでもお前を慕っているのだなナマエ」
冷たい風は彼の頬を撫で付けた、まるで同意するように。
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