カンニム没


 


物心がついた頃にはもう"ナニカ"はみえていた、それがなにか何者かというのは分からなかったがいいものも悪いものもいた。
祖父にそのことを告げた時、祖父は信心深いところもあったからだろうか「ナマエは神に愛されてるからだよ」といった、話でも出来れば先に亡くなった祖母と話をさせてあげられたのかもしれない、そう思ってしまうほど祖父は祖母を深く愛していた、まるで広く深い大海のような愛を持つ祖父をみてしまうと永遠の愛なんてものを考えてしまうことで、なんて美しいのだろうかと思った。
私もきっといつかそんな恋をするのだろうか、そう思いながら21年目の人生を味わっていた頃、祖父は亡くなった、祖母が亡くなってから16年が経過して祖父は毎日祖母の写真に向けて花を添えて話をしていたと介護士がいった、祖父はそれなりに有名な人であり様々な人達が来賓に来た、はじめましての人ばかりでみんな祖父の死よりも仕事の話をするようなそんな世界では自分だけ浮いてるようで少しだけ寂しかった。

「ここのユッケジャンはまぁまぁ美味いな」

ふと聞こえた声に思わず顔を上げた、こんな人さっきいたかな?わからない、人が多すぎる上に知らない人ばかりだから年齢的にお父さんの知り合いなのかもしれない、知り合いの知り合いのそのまた知り合いの可能性もなくはないけど他の人と違って黙々と食事するその人は何処か他の人よりも違って見えた。
仕事の話をするわけでも、祖父のことを知ったように話すわけでも、下心を持った様子の無い態度、全てが何処となく安心感があってじっくりと眺めていると流石に視線に気付いたらしいその人が視線をこちらに向けた。
なんともいえない無のような表情を浮かべるその人に私は堪らずに視線を逸らして、みていませんよ?というフリをすればその人は気にした様子もなくバクバクと食べるからなんだかちょっとだけ面白く感じた。
食欲もなくてもうここ数日は何も食べられないと思っていたのに、その力強い姿を見ていると少しだけお腹が空いてきてスプーンを手にユッケジャンに手を付けた。

「本当だ、美味しい⋯」

きっといいお店のユッケジャンなんだろうなと思った、周りは騒がしかったが次第に人が減って前にいる人と私だけになってしまう、その人はユッケジャンだけではなくチヂミやキンパにも手を伸ばすからこの人はお腹が空いてるのかと思いつつパクパクと食べながら、ふと祖父が食事を食べる私をニコニコと眺めていた姿を思い出した。
なんだかとても寂しくなって辛くなって思わず涙が溢れてしまう、鼻の奥がツンとして目の前が見えなくなって、大好きだった祖父がもう本当にこの世にいないんだとユッケジャンを眺めながら思った、この家は冷たいからこんな盛大なお葬式をしてもどうせ終わったら直ぐに何も無かったようにみんな興味もなくどこかに行ってしまう。
実際に喪主を務めるはずだった両親は仕事だからと兄弟に押し付けて一応は顔を出したものの直ぐに仕事関係の人間たちに囲まれている姿が薄らとみえていたのだ、酷い人たち⋯だけど私が死んだ時だって同じきっと同じだ、なんて重たいことを考えているとふと視線を感じた。
重たくてじっとりとしたその瞳は向かいの人からの視線で、私たちの視線はバチンと点と点を繋ぐように交わった。

「あ⋯ごめんなさい、その⋯あぁっと、ユッケジャンが美味しくて」

なんで嘘ついちゃったんだろう?別に自分の家族が亡くなったんだから泣いてもいいはずなのに、何故か隠してしまったことをすごく後悔した、だって祖父にすごく申し訳ない気持ちを感じたから。
けど私以外みんな泣いてないその場所で、私だけが泣いてるだなんて変に思えた、祖父のことなんてみんな父の会社の前の会長だというくらいで祖父自体をみてもくれてないんだろうというのがよく分かる。
親戚だってみんなおじいちゃん亡くなったね、まぁ歳だもんね。くらいのことだった、会社を建てて他の家よりもずっと裕福だったハズの祖父は祖母との残り時間をゆっくりと過したいからと全て父に委ねたのをよく覚えていて涙が止まらないと思っているとその人は私にハンカチを差し出した。

「泣いていい」

たったの一言だった、その人の声はとても優しくて暖かくて私はその真っ白なハンカチを受け取って眺めた、あまりにも綺麗なハンカチだから他人である私が汚すのは申し訳ないような気がするのは当然だった。
けれども涙はぽろぽろぽろぽろと落ちてしまうからハンカチの上に落ちてしまうから意味なんてない、白いハンカチが色を変えるのを眺めていると手が伸びてハンカチを取って涙を拭ってくれた。

「それは貴方がおじいさんを愛した証拠だ、そして愛されたから涙が出ることだから、我慢しなくていい」

少しだけこの人の見た目は怖いなと思っていた、だけどとても優しくて柔らかい声をしているから意外に感じつつハンカチ越しに触れる手の優しさを感じているとなんだかとても懐かしく思えてその人の手を握ってしまう。

「ほんの少しだけでいいんです、隣にいてくれませんか」

そういうとその人は少しだけ驚いた、当たり前だろうに、特に見ず知らずの女から慰めて欲しいと頼まれたのだからおかしいと思われるかもしれないがその人は立ち上がり、そして隣に座っては何も言わずに向かい側の壁を見つめた、誰も私たちのことなんて気付きもしないからその人に少しだけ寄り添ってみた。
暖かくて大きな体をしていて安心感があるように感じられた、おかしい話だけれどこの人と何処かで出会ったことがあるような気がして、もっとおかしな事に抱き締められたいとさえ感じられた。

「お名前は?」
「カンニムです」
「カンニム⋯さん」

やっぱり聞いたことなんてないがきっと父の会社の関係者なのだろうなと察する、他の人と違い静かに優しい情を持つその人の手を眺めては大きい手だとか本当は繋いでみたいと思う私は相当疲れているんだろうな⋯なんて少しだけ他人事のように感じた。
人が減ってきて、気付けば二人だけになったその場所は、本当は私たちだって死んでいてその世界に気づいていないだけでなのかもしれないと思えた、真っ黒なスーツを着たカンニムさんと真っ黒なワンピースに真珠のネックレスをつけた顔を腫らせた私、遠くから見ると私たちの背中は夫婦にさえみえたのかもしれない。

「カンニムさんがいて下さって、すごく良かったです」
「そういって貰えたのならよかった」
「危うく美味しいユッケジャンを食べ損ねる所でした」

それでもまだ私の心は強くありたくて冗談を言ってみたらカンニムさんは私に視線を向けた、どうしてそんなに優しい顔をするの?どうしてそんなに優しい目をするの?と聞きたいくらいに優しい顔をしていれば彼は「勿体無いことをしなくてよかった」と小さく微笑んだが何処か悲しそうな顔だった。
あなたは何処から来た誰ですかと掘り返して聞きたかった気持ちを抑え込んで何も知らないふりをした私はハンカチはまた後日返しますというと彼はあげますといった為わかりましたというしかなかった、正直異性とこんなに近い距離感で話すのは初めてに等しくてドキドキしていた、また会いたいという気持ちに私は恋でもしたのだろうかと思うのに何故かそれ以上に惹かれるものがあるように感じて戸惑っていた。

「そろそろ行きます」
「ご迷惑おかけしてすみませんでした」
「構いませんよ、泣きたければ泣けばいい、感情を押し殺してもいい事なんて何も無いんですから」

まるで昔から私のことを知ってるとでもいうような言い方だった、たしかに私は昔から他人の顔色を見がちだから少しくらい感情を出してもいいと言われることは祖父からあった、あぁ祖父に似てるからこの人に安心感を覚えるのかな?と思いつつそれなら少しだけ素直になる練習をしてみたくて「じゃあ⋯また会いたいです」といった。
言ってから酷く後悔した、そういう意味じゃないでしょって、当然カンニムさんも黙っちゃってやらかしたと思うと、カンニムさんは私を見つめて少し嬉しそうな優しい表情を見せていった。

「ああもちろん」

少し砕けたその言い方に私は酷くときめいた、けれどなんだかそれって初めての気持ちではない気もした、カンニムさんに対しては⋯
そうして不思議に思っている間にカンニムさんは立ち上がってその場を後にする、手の中に残されたハンカチをみつめて一度鼻先に近付けてスっと息を吸ってみるとあの人の香りがした、どこか懐かしくて安心感のある香り、また会いたいなんて図々しく思いながら私は小さく笑っては帰りに花を買おうと思った、亡くなった祖母に向けて祖父がずっと花を贈っていたから、私も同じことがしたくなったのだ。


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