空白


 

土埃が舞い上がり視線を遮る――
数多の銃声と薬莢の落ちる音、通信機から聞こえる声に銃の反動、砂利を踏むブーツの感触と握った通信機、仲間達の声を背に受けながら彼は通信機に向けて発射命令を告げた。
正確な位置に落ちるミサイル、跡形もなく消え去る建物、ものの数分間でそれまで消えなかった音は簡単に失われ静寂が漂う。

耳に付けていたイヤホンから―任務達成直ちに帰還せよ―という声と共に彼らは厚さ数十センチ程度の壁からようやく背中を離して手を取り命が残ったことに安堵しつつ立ち上がり帰路についた。

「お疲れさん、今日は助かった」
「いや、こちらこそ141の任務に加えてもらえて感謝する」
「相変わらず硬いな、帰るんだろ?なら一杯どうだ?奢るぜ?」

長い車移動を終えて降りた頃、肩を叩いたモヒカンヘアの男の言葉に彼は苦笑いをして予定があるのだと告げた、残念だと肩をわざとらしく竦めるもののシャワールームまでは全員同じだからと告げる彼の言葉に断る理由もなくチーム全員が任務の疲れを口にしつつ砂埃に塗れた身体を基地で清めては着替えをした。

「それで予定って?家族?恋人か?」
「恋人だ」
「本当に?お前がか⋯どんな相手だよ」

全くもって141という伝説のチームにいるはずの彼はとびきり声が大きい、二十人近く居たロッカールームにおいて聞こえたその声に全員がジモをみては、あのジモに恋人?!という声を上げて群がった。
PMCに所属を初めて数年の彼は未だに末っ子のごとく若者として可愛がられもので、軍特有のその空気感は嫌いではないと思いつつ時計を見ては荷物をまとめた。

「すごく素敵な女性だ、それじゃあな」

そう言って出ていった彼に全員が目を丸くしてこりゃあ相当惚れ込んでいる様子だと笑っては彼の恋人を予想するゲームを始めつつ、それをつまみに今日彼らはパブに行くことが確定するのだった。

『しばらく休みが取れたから、今週はゆっくり過ごせそう』

そうメッセージを送信してはふぅ⋯⋯と一息を着く間もなく返信の知らせを教えるようにスマホの画面が点灯し「分かりました」という返事が帰ってきたことに思わず頬を緩めては荷物をまとめていると入口にいた相手が何かをいいたげに眺めてきたことに、なにか?とナマエは何気なく返事をした。
二十代中頃の今年入社の新人女性はソワソワとした後に報告書をナマエの机の上に置いては「恋人ですか?」と小さな声で問いかけたことに、あぁ恋バナがしたいのかと納得をしつつ席を立つと相手も荷物をまとめていたようで慌てて自分のデスクから取ってきては彼女の背後をついてまわった。

「教えてくださいよ、隠すことじゃありませんよね?」
「別に隠してない、あなたの言うとおり恋人」
「ナマエさんがすごく柔らかい顔するからビックリしちゃいましたよ、というか恋人いたんですね」

まぁね。とナマエは相手の質問に流すような返事をするのは特段自分から開けっぴろげに話すことがないからだった、彼女を追いかける相手はナマエの恋人の話という貴重な話を逃してはならないというように食らいついた。
出入口にIDカードをタッチして警備員にお疲れ様といいつつ隣から聞こえてくる女性らしい鈴のような高い声を聞くナマエは苦笑いをして会社を出てすぐの自販機にてコーヒーとカフェオレを購入し、片方を相手に手渡した。

「そんなに私の話なんて気になるもの?」
「そりゃあナマエさんですから⋯」

ナマエさんですから。といわれたことに彼女は一体どんな幻想を抱いているのやらと苦笑いをする、私も普通の女だけどねと笑うナマエに対して首をブンブンと振る相手はナマエが元ロケット軍出身のエリートであり、退役後に今のこのロケット開発や政府関係の強いこの会社にやってきて以降仕事の出来る威厳ある女性であり、同じ会社の女性からしてみれば憧れの存在であり男性から見ても高嶺の花だと告げた。

「言い過ぎでしょ、別に普通に仕事して普通にみんなと過ごしてるじゃない、私ってまだ固い?」
「以前よりは柔らかいかと思いますけど」

以前より⋯という言葉に彼女は思わず言葉を詰まらせてしまいつつも、そうして素直に伝えてくれる相手には感謝を覚えつつ缶コーヒーを飲んでいたものの、それで恋人さんは?という質問に対してそんなに目を輝かせなくてもと苦笑いをしながらもふと自分がそうした話し相手がいないことを思い出しては気恥しくも「⋯こういうの話したことないからなぁ」と短い返事をしながら寒空を歩いた。

新しい職場に変わったものの以前とすることはさほど変わらないとさえ思う彼女は普段よりも三時間遅れた帰宅に随分と話し込んでしまったと苦笑した。
結局あの後根掘り葉掘り聞かれたことに素面では無理だと考えて近くのワインバーに駆け込んで二人で軽く飲んでからの帰宅であったため身体は暖かかった。
慣れたようにオートロックマンションの入口にICカードをタッチしてエレベーターで階数を押す、今日は下手なことを話しすぎただろうか?いや女性同士ならあんなものではないのか?と相手の話と自分の話を聞き比べながら考えている間にエレベーターが止まり、数十の部屋がある中の一つの前で立ち止まってはパスワードを入力し、簡単に開いたドアに手をかけた。

「おかえりナマエさん」
「ズーチャン、ウソ⋯来てたの?」
「あぁついさっき来たばっかりで」

帰宅して早々にキッチンに立つ相手を見ては目を丸くした彼女とは正反対にズーチャンと呼ばれた彼は両腕を広げて彼女を強く抱き締めた、トクトクと心地よく鳴る、彼の心臓の音や心地よい彼の香りに包まれつつも大きな深呼吸をする音が聞こえてまるで吸い込むように匂いを堪能する姿におもわず気恥しさを感じて胸を押しては彼女は部屋の惨状を思い出しては慌てるものの、朝出ていく前とは全く違う整った部屋にナマエは背後に立っていたズーチャンに恐る恐る振り返った。

「洗濯物は回しておきました、ゴミもちゃんと片付けてます、掃除機もしましたし夕飯は?」
「⋯⋯飲んで、来ちゃった」
「だと思った、軽めになにか食べますよね?どうせ飲んでる時は食べないんですから」

なにか胃に入れる方がいいといって芳ばしい香りを漂わせながらコンロに火をつける彼は夕飯の支度をしてくれていたようであり、ナマエは申し訳なさも相まってその背中に抱き着いた。
筋肉質で広く大きな背中は知り合った頃よりもずっと大きく広く感じられて恋しくて堪らなかった「敬語⋯抜いてよ」と小さくつぶやけばズーチャンは火を止めて身体ごと向き直り、彼女の身体を包み込んで抱き締めた。

「ごめん、だって⋯久しぶりに会うとやっぱり難しい」
「敬語を使う関係だったのはもう何年も前でしょ」
「わかってる悪かったよナマエさん、拗ねないでくれって、それより今日は誰と飲んでた?」
「拗ねてないし部下の女の子とちょっと飲んでただけ」

付けたばかりのコンロの火を止めてとっくに完成してあるエビチリを箸で摘んではズーチャンは彼女の口の中に放り込んだ、今の仕事での彼女のことは知らないものの女性の部下を指導する姿も珍しいとズーチャンが口にすれば、一応は民間企業だからと返事をする彼女に納得をしてマナーが悪いが抱き上げた彼女をキッチンの縁に座らせてはワイングラスを取り注いでやった。

「自白させる気?」
「あぁ当然、どんなことを話したのか全部吐いてもらわなきゃな」
「どんなことを話したかな⋯あなたの話を良くしたのは覚えてる」

彼女を見上げてその目を真っ直ぐと見つめるズーチャンはまるで犬のようだった、いつだってナマエに忠実で真っ直ぐな彼はナマエの足に腰を巻かれて身を寄せられては着ていたパーカーの襟首の紐を撫でられた。
鋭く冷たいと称されてきた彼女の瞳が赤い葡萄色のワインが混ざるように柔らかく溶けてズーチャンを眺めながら部下との在り来りな恋バナをしたと報告をする。

「部下と上官の恋愛だなんてロマンチックですね。っていわれたけど今じゃ帰っても来てくれないって愚痴ってた」
「すみません、忙しい時期が続いて」
「あんなに好きって言ってたのに薄情だなって」
「そ、それはまた違うじゃありませんか」

ウォン・ズーチャン
厳しい声が聞こえては思わず背中や足に力が入り目の前の相手をじっくりと眺めてしまう、軍服ではなく仕事終わりのシャツとスカートに薄いストッキングが確認でき、銃を握ることももうないその指先がズーチャンの唇を撫でた。
酔っている。と彼は判断していたが元来彼女は素面でほんの少しだけ酒の心地良さに身を委ねてしまうのは、彼に対して未だにどこか過去の関係から離れられなかったからだろう。

「キスして⋯」

ずるい人だとズーチャンは感じた。
どうして過去の姿を見せながらそんなにも愛おしく愛らしく強請るのだと聞いてやりたかった。それを言われた自分が拒絶どころか反対に余計な愛を募らせてどうしようも無くなることを分かっていてくれているのかと思いつつも、その赤い雫が付着した唇に乾燥した唇を重ねると先程のチリソースとワインの味を僅かに感じられる頃、彼女がズーチャンの額に自分の額を重ねて顔を覗き込んだ。

「来るなら先に行ってよ走って帰ってきたのに」
「転けるかもしれないだろ、それに仕事終わりだから労わってあげたかった」

それはあなたもでしょ⋯と思いつつそれ以上に普段、人を滅多に招かない部屋の中は荒れていた為、彼に見られたくなかったというのが素直な乙女心であるが、ズーチャンは彼女が完璧では無い姿を見る度に自分が許された存在なのだと感じられて幸福だった。
掃除機を掛けてゴミを捨てて洗濯機をかけてシャツのアイロンを掛けて夕飯の支度をすること、それは彼にとって心地よいものであるというのは変わりないものだ、目の前で物言いたげにするが何も言い返せない恋人に対して彼は「それでも完璧に全部はしてない」と楽しそうにいうものだから、何が後できてないのだとナマエは問いかけた。

「風呂掃除をしてない、シャワーがいいなら要らないけどどうする?」

俺は一緒がいい。と素直に告げる彼に答えが決まっているのに問いかけるのは意味が無いと一蹴すると、笑った彼は早速彼女を置いて風呂場の用意に向かってしまう。
キッチンに腰かけたまま放置された彼女は空になったワイングラスの中に新しく注いでは真っ直ぐでかわいいその年下の彼に今日の女子会はずっとあなたの話をしていたといえばどんな反応を示すのかと考えた。
数年前には考えられなかった関係だが今はずっと幸せだと感じつつ彼女は満足そうにワインを飲みながら、あと数分で慌てて戻ってきた彼が下ろしてくれることを予測しつつ、まだまだ青い青年だと内心注意するのだった。


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