ポセイドン
とある海神の居城にて──その者はそれは大層賑やかだった、鼻歌を歌ってスキップをしそうなくらいに上機嫌に城の中を歩く。
その城はとても静かでいつもまるで海底にあるようだというのに、その者は城の中を照らす太陽のように明るい。
広間のドアを開けるなり、玉座に一人佇む男が一人──女はさらに足取りを軽やかにしては声を大きく響かせるようにあげた。
「ねぇみてポセイドン!ネイル新しくしちゃったの!」
「……」
「超かわいくな〜い?新しいサロンに行ったんだけど、そこのネイリストさんがとっても上手くてね、インド系の神様だからかな?多腕の人で左右同時にこなしてくへて、メチャクチャ早くってね、時間余ったりまつぱ行って、ついでにね……」
黙って本を読む男に対して女はマシンガントークを始めた。
何処までその舌が回るのかと思うほど話す女は長い凶器のようになった華やかな爪を見せてはニコニコと嬉しそうにしている。
相手の返事がなくとも気にせずに話し続ける女に入口にいた兵は内心(よくあんな風にあのお方に接することができる)と自分では無いのに冷や汗をかいてしまう。
女は長い髪を綺麗に巻いて、派手な格好をして、海神・ポセイドンとは正反対の身なりをしている──というよりも些か同じような神には見えないような見た目をしていた。
「それで……」
「うるさい」
話を続ける彼女についに返事をしたポセイドンは本を読み続け彼女に対して視線を向けることは一つもない。
しかし玉座に腰掛ける彼の膝に頭を置いて、飼い主にかまって欲しそうな犬のような態度をしていた彼女は彼の一言に黙り込んでしまう。
兵たちは流石に黙ったか……と思ったのもつかの間、彼女は本当に少しだけ黙ったあと「……でね!」というため、あの女に恐ろしいものはないのだろうかと兵たちは思うが、女は今日の話を一通りして、ポセイドンはやはり本から目を離さずに読み進めた。
「って話してたらこんな時間だね、ご飯作んなきゃ!今日は美味しいパン買ってきたから、ポセイドンの好きなシーフードシチューにするし待っててね」
じゃあね!と広間から出ていった女に入口に立っていた新兵はどっと疲れてしまう。
そもそも誰も止めなかったがあの女は何者で、ポセイドンにどんな態度で話しかけているんだかと思ったが、そのポセイドン本人も何も気にした様子がないため、本当に不思議でたまらなかった。
しばらくすると城の中にシチューの香りが広がり、あの女が言っていたように夕飯の仕込み中なのかと思えば静かに本が閉じる音が広間に響いた。
それはオリュンポス十二神の一人であり、様々な異名を持つ恐ろしい海の神、ポセイドンが本を閉じた音であり。彼は玉座から立ち上がっては鼻歌を歌いながら広間を後にしてしまう。
「はぁーーーったく、なんなんですかあの女、ポセイドン様にあの態度って、殺されれるかと思いましたよ!」
主人のいなくなった広間で声を上げた新兵に対して、隣にいた先輩の兵士は苦笑いを浮かべて「ナマエ様はいつもあのような方だ」というため、聞き覚えのない名前だと思い聞き返せば「ん?あぁポセイドン様の奥様だよ、知らねぇのか?」といわれた新兵はそれはもう顎が外れそうな程に驚いて声を上げたのだった。
「それでね、新しくできたカフェがすごく美味しいらしくって今度友達と行こうって話してね?あっ友達といえばね、この間話したあの子、例の彼氏と結婚するかも〜って、もうめっちゃヤバイよね、結婚式とかちょー楽しみ」
「……」
「結婚式っていえば私たちの結婚式が一番だよね、ゼウスが二次会で喧嘩始めちゃったせいで二次会の会場潰れちゃったのまじショック、本当あの人ってあぁいうとこあるよね……って弟さんの悪口みたいに感じちゃうか、ごめんごめん、あれはあれで楽しかったよ?」
広々とした大食堂にてポセイドンにシチューをよそっては自分も席に着く彼女は「いただきまーす」という間にもポセイドンは静かに食事をした。いつもこの城では彼女の声がよく響く。
まるで実はここはポセイドンの居城ではなく、ナマエの居城なのではないかと思うほど。
食堂には執事やメイドなどの従者達がいるものの、ポセイドンのグラスが開けば彼女が注ぎ、皿が空になれば何も言わずに次を入れる。その姿は手馴れたものでポセイドンも何も気にせずにそれを受け入れた。
「ごちそうさまでした」
そういって皿を片付けるナマエにメイドたちも手伝いをするかと彼女は「ありがとうみんな、まじ助かる」といいつつ話しかけながら食事の片付けをする間にポセイドンは静かに大浴槽で身を清め、時間になると寝室でまた本を読んでいた。
職務以外の時間はほとんど読書に費やす彼に対して、寝室にやってきたのは髪を乾かしている途中のナマエだった。彼女は「お風呂一緒に入りたかったのに」と文句をいいながらドライヤーで髪を乾かして、入念にボディクリームを塗ったりパックをしたりヘアオイルを塗ったりと一通りのケアを終えると広いベッドの中に入り込んでは横になり。本を読むポセイドンを見つめた。
「……ねぇ、今日ね、ネイル変えたの」
つんつんと指先で隣で座って本を読むポセイドンにかまって欲しそうにそう告げる彼女に彼は何も言わなかった。
ナマエは長い爪はキラキラとした水色のラメをベースに白いパールなどを付けてもらい、かわいいと思っていたのだが、彼は見向きもしないことに唇を尖らせつつも、いつもの事だと思う。
「ネイルしてる時に旦那さんの話になったからさ、ポセイドンのこと話したらね、ネイリストさんに大好きなんですねっていわれて、まじ恥ずかしいんだけどその通りすぎて"当然じゃん"って言っちゃってさぁ」
「……」
「だからネイルもポセイドンが好きそうなカラーにしてみたりしたの、あたし的にはピンクがいいんだけど、水色ラメもまぁかわいいしオッケーかもって思ったりなんかして……
「……」
「やばい、眠くなってきたかも、起きてたら寝る時電気消してね」
ふぁっ……と大きな欠伸をしてベッドに入り直す彼女がまぶたを閉じてしばらくすると本を読み終えたポセイドンは本を閉じてベッドのそばに置くと電気を消してベッドに潜り込んで彼女を抱きしめた。
「悪くなかった」
「……んぅ、ほんと?」
「ああ」
「……よかったぁ、あたしずっとポセイドンのかわいいお嫁さんとして、がんばるからね」
「そうか」
「……明日は、朝ご飯……マフィン焼こっか」
「ああ、わかったからもう寝ろ」
「……うん、おやすみ」
まだ薄らと意識があったらしい彼女が寝ぼけながら話をするのを聞きつつ優しく頭を撫でてやると静かな寝息が聞こえ、ようやく静まったかと思いつつもポセイドンはその寝顔をじっくりと眺める。
薄い明かりの中でみる彼女の健気な姿をポセイドンは胸の内でいつも愛おしいと感じた。ちょうど寝室に現れたメイドは部屋の明かりをそっと消しては部屋をすぐにあとにした。
「今日もポセイドン様、奥様に夢中ね」
「ええ、幸せそうだったわ」
「本当に素敵なご夫婦よね」
「お似合いの夫婦だわ」
メイドたちは夜のキッチンで話をした。
彼女たちの囲んだテーブルの上にはお茶とクッキーがあり、そこには紙に"お疲れ様です、よかったら食べてください"という遅くまでキッチンを使っていたナマエからの差し入れであった。
ポセイドンの配下の者たちはみんな我らが王が、あの元気な娘と結ばれたことを密かに喜んでいた。彼の心の氷を溶かすにはあれくらいがちょうどいいのだろうと言いながらクッキーを堪能しては口々にポセイドンとナマエの話を始めるのだった。
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