Alienation
右も左も分からなかった先日と違って、今日はもう大凡の流れとか雑務が分かっている。
気を張らなくても滞りなく進んで行く業務に、マネージャー達は幾分余裕を持って作業に当たっていた。
「可憐ちゃん!」
「はいはいっ!なあに、茉奈花ちゃんっ!」
「これなんだけど、タオルの準備の後って事にするから、こっちを先にお願いできない?水道がちょっと混んでるらしくて。」
「あー・・・そっか、分かったっ!」
「ありがと、よろしくね?」
「うんっ!ところで、今試合ってどんな感じっ?」
今可憐と網代は、コートから程なく離れた学校毎の作業場スペースに居る。
今日はこの後も2試合やるし、相手は強くなってくる。
あまりコートの周りに張りついて応援ばかりも出来ない。休憩に入ったらすぐ水分やタオルが補給できるよう、準備するのもマネージャーの役目。
だから試合の様子はこうしてまめに聞いておかないと、今誰が試合しててどんな状況なのか分からなくなるのだ。
「今はD1よ。多分、ちょっと長引くわね。」
「そうなのっ?」
「うん。あっちのダブルスは強いのよ。幼馴染らしくて、息もピッタリ。こっちだって息は合ってるけど、向こうの得意なコースとこっちの苦手なコースが一緒だから相性が良くないの。しかも今日見た所あっちは、どうやら不得手だったボレーの処理を克服してきた、ぽいのよ。」
「そうなんだ・・・茉奈花ちゃん凄いねっ!流石だよっ!」
するするするっと相手の情報が出て来るだけではなく、今見た事を処理している。
データに振り回されず、データを元にしてちゃんと分析している。
「私、見ても何が何だかよく分かんないから、尊敬しちゃうっ!凄いなあ・・・」
「そう?ふふっ、有難う♪これでも、小学生の頃は自分でやってたからね。逆に、自分でやってたくせに分からないなんて言ったら、部長様に怒られちゃうわ。」
「あっ。そっか、そうだよねっ。茉奈花ちゃん、プレイヤーだったんだ!」
プレイヤーとしての網代を見た事が無いのが大きいのだろうが、可憐は度々、網代も元々選手側だったという事を忘れがちである。
可憐だって勿論テニスの勉強はしているけれど、百聞は一見に如かず、林檎の味を説明するより食べた方が早いと言う言葉があるように、実際やっていないと見えてこない事はやはり多い。
「でも可憐ちゃんだって入部したての頃からすると、大分色んな事が分かるようになったんじゃない?業務じゃなくて、テニス的な事、ね。」
「うーん・・・確かに多少は分かるようになったけどっ。でもやっぱり、分からない事の方が多いって言うか・・・多分、分からないって事に気づけてない事も多いんだよねっ!」
其処へ行くと、やはりプレイヤーだった、という過去はマネージャー業務の上で大きいと思う。
(・・・あれ?そういえば・・・)
ふと気が付いてみたら。
自分は。
網代がテニスを止めた理由を知らない。
初めて会った、あの入学式の日。
あの日も、ちょっと事情があって止めた、と言っていた。
止めた事は其処ではっきりしたけれど、止めた理由については今もって分からない。
跡部に知られていた位だから、きっと優秀なプレイヤーだったのだろうに。
何故、止めたのだろう。
「・・・茉奈花ちゃんっ。」
「ん?」
「あ!えっ、と・・・」
「?」
聞こうと思って話しかけたが、ちょっと待て。
これは聞いて良い事なのだろうか。
(も、もしかしたら、家庭環境が複雑でテニスどころじゃなくなっちゃったとかっ!怪我をして、もう元通りのプレイは無理ですね・・・なんてお医者さんに言われちゃったとかっ!もしくは親がテニス大嫌いな人で、テニスなんて許さーん!って感じだったりとかっ!?)
網代は、テニスが好きである。
プレイヤーでなくても、毎日楽しそうにマネージャーをやっているのを見るとそれは分かる。
故に、解せない。
何故止めたのだろうか。
何かとても複雑且つ言い難い様な止むに止まれぬ事情だったらどうしよう、聞いちゃいけないかも・・・と一度思ってしまうと、もう止まらない。そうとしか思えなくなってしまう。
「可憐ちゃん?どうかした?」
「ご、ごめんっ!なんでもないよ、なんでもっ!気にしないでっ!」
「?そう?」
「そうっ、そうなんだよっ!じゃあ私、次のエントリーの準備してくるねっ!」
「あ!可憐ちゃん、危ない!」
「えっ!?きゃあっ!」
この場にぐずぐずと止まって居ると、さらに突っ込まれそうで、早くこの場を後にしてしまおうとして。
慌てて方向転換したらいつの間にか何かが自分の直ぐ後ろに居て、それに思い切りぶつかり、可憐は尻餅をついた。
「あたたたた・・・」
「可憐ちゃん!」
「いたた・・・すまない!君、大丈夫かい?」
目を開けると、そこにあったのは大きくてごつごつした、大人の男性の手。
目線を上げると、クールビズ姿でカメラを提げた男が居た。
月刊プロテニス記者、中学テニス担当。
井上守である。
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