木村が宮地から、初めて慈島の話を聞いたのは、ちょうど五年前の話だ。当時、中学一年生の木村は、つい最近チームメイトになった宮地と徐々に距離を詰め始めていた。ちょっと前までランドセルを背負っていたのだ。盛り上がるときは大いに盛り上がるが、話題と話題をつなぐのが下手で、その境界線に広がる、あの独特の雰囲気をどうしたらいいかわからなかった。そのときも、調度そんな雰囲気が漂い始めていたのだ。
部活のあと、家が同じ方向だということで、流れで宮地と変えることになった。最初はぼちぼち会話もあったのだが、想像以上にハードな中学校生活、とくに部活の疲れで頭がうまく回らず、次の話題に移り損ねた。日が落ちているせいか、たった一瞬の沈黙がやけに気にかかった。
「オレにクラスにさ」
それは宮地も同じだったのかもしれない。その場に充満しかけた空気を振り払うように、宮地が口を開いた。
「すっげえ変なやつがいてよ」
「変?」
「おー」
なんて名前だっけなぁ、宮地はうなりながら上に視線をさまよわせた。
「出席番号早いから、そこら辺の苗字だよなー」
「あー、あい、上田とか?」
「んにゃ、なんとか、ナントカヤマ? 違うか? ……まぁいいや、A子な」
女子だったのか。宮地が話し始めたので口に出さないが、宮地のクラスメイトその1、改めA子の人物像を修正する。
「いっつもふらふらそわそわしててよ、どこ見てんだかさっぱりわかんねえの。斜め前の積だから授業中も目に入るんだけど、ずっと窓の外とか、隣のやつガン見してたり、寝てたり」
「すごいな。小学校のときは結構寝てたり喋ったりしてたけど」――思春期特有のオレ悪いかったんだぜ自慢が今では恥ずかしい――「こんなしょっぱなから、すごい度胸だ」
「ほんとにな。で、先生にめっちゃ怒られてんの。たりめーだけど」
はっ、と宮地が鼻で笑った。色素の薄い髪色とか荒い口調とかで勘違いされがちだが、宮地は真面目だ。かくいう木村も部活初めの顔合わせのときには、少し敬遠してしまったけれど。
というところで、岐路に至った。
「じゃーな」
「おう、また明日」
ややぎこちなく、手を振りあう。このとき、この話題はここで終わったものだと思っていた。正確には終わったとすら認識していないほどに、印象のない話題だった。次から次に流れていく話題の濁流にのまれていくかと思われたそれは、それほど間をおかず戻ってきた。

「マジあり得ねえんだって!」
鼻息荒く、宮地は両手を広げた。帰る態勢に入るなり、声を荒げて話しかけてきたので、おそらくずっとため込んでいたのだろう。「何がだ?」と聞くと、さっそく話し始めた。
「慈島――ああ、A子のことな!――だよ、あいつ、やべえわ」
「なんだよ、何があったんだよ」
「前に、授業全然聞いてねえっていったじゃねえか。先生たちで話したのか知らねえけど、単に注意するだけじゃなくて問題を当てて指導する方針に変わったみたいなんだよ、慈島への対応」
「うわ……。自業自得だけど、ちょっとかわいそうだな」
宮地の口ぶりからして同じことが何回かあったのは明白だ。悪いのはどう考えても慈島なのだが、同情した。
「それが、答えたんだよ! 全部!」
興奮、というか怒りとすらとれるほどの雰囲気で、宮地は叫んだ。
「授業ぜってえ聞いてないのに、ちゃんと聞いてても答えられるか微妙なやつまで、さらっと」
ちょっとイラつくわー、と宮地は本音を隠すことなく吐露した。……こういうところが美点でもあり、遠巻きにされる原因なんだろう。いいやつなのにな、と木村はこっそりため息をついた。当時、宮地は若干クラスで浮いていた。外見も中身も雰囲気も、話しかけるのに戸惑う要素がそろい踏みなのだ。木村もバスケという共通点がなかったら、たとえ同じクラスだったとして、躊躇う。しかし宮地清志という人間を知った今では、それがもったいないと感じずにはいられなかった。
「ほんと、変なやつだ」
宮地は不満げに吐き捨てた。

「大丈夫か?」
ある日、宮地が擦り傷を負っていた。左の二の腕だ。部活中の小休憩のときに気づき、思わず声をかけた。大きい怪我ではなさそうだったが、むき出しのまま放置されていたのが引っかかった。宮地はセルフコントロールの小まめな男なので、付き合いが浅いなりに違和感を持ったのだ。当の本人は、きょとんとした顔をして気づいてすらいなかったようだが。
「うわ、なんでこんなとこに……」
不思議そうにした後、「……あ」と呟いた。心当たりがあるようだ。
宮地は何とも言えない表情で木村を見て、頭を掻いた。
「……慈島だ」
曰く、廊下を歩いていた宮地に教室から出てきた慈島がぶつかり、結構な勢いだったせいでそのまま廊下の壁に衝突したのだとか。
「つってもそこまで強くぶつかったわけじゃねえし、全然気づかなかったぜ……」
大したことがないことの証拠に、昼頃についたらしい傷にはもう瘡蓋がかかっていた。
「ふらふらしすぎなんだよあいつ……」ここにはいない慈島を思い浮かべたのだろう、眉間にしわが寄っていた。

それから、定期的に慈島の話題が上がるようになった。主に帰り道で、盛大に転んで机ごとひっくり返っていたとか、運動神経は普通みたいだとか、慈島についての情報は多岐にわたった。どうやら興味の対象としてうってつけの存在だったらしく、慈島の話をするときはやけに饒舌だった。木村も宮地づてに慈島の奇行を聞くのがだんだん楽しみになっていた。誰かの噂話は楽しい。それが少人数間であればあるほど、特別感と妙な気恥ずかしさが増していく。悪口同然のときもあったが、決してそこに悪意はなかった。……慈島のおかげで、とは言いたくないが、少なからず慈島が宮地と木村の関係性に関与しているのは確かだろう。

普段の話しぶりで薄々勘付いていたが、木村が初めて慈島と会った時には、宮地にとって慈島は『比較的気安く声をかけられる相手』になっていた。それを確信したのは、所用で部活の欠席を伝えるために、宮地のクラスを訪れた時だ。
もうすぐやってくる期末テストとその先に控える夏休みとで、張りつめた空気と浮ついた雰囲気がごっちゃになっている中を歩いて行った。木村が宮地のクラスを除くと、丁度慈島と話しているところだった。七月ともなるとになると足取りと視線のおぼつかない慈島の存在は一年の中ではささやかれ始めていた。木村も時々こけたり、職員室で先生に呼び出され怒られたりしている姿をみることがあった。
「だからさあ、宮地には無理だってー」
「いいじゃねえか。減るもんでもねえし、言うだけ言ってみろって」
「やだよー、ガリ勉なのがばれちゃうじゃん」
何の話をしているかと思ったら、どうやらふたりは期末テスト側の人間だったようだ。聞こえてきた単語をもとにそう判断した。中間テストで負けて以降(木村が外を歩いていたら成績の個票が風に乗って流されてきたときにはたいそう驚いた。そして当然本人に返した後に一部始終宮地に喋った)、学業面で対抗心を燃やしているのだ。
……というか、慈島、自分で言ってるぞ。
「もうそれバレしてるようなもんだろ。……お、木村」
同じことを思った宮地が容赦なく突っ込んだ。そのあと、教室の入り口に立っていた木村に気づいた。木村は片手を軽く上げてから、ふたりの方に寄って行った。
「よ。どうかしたか?」
「今日の部活休むわ。ばあちゃんが倒れて、大したことないっつってるらしいんだけど、今日病院行くことになってんだ。先生にはもう言ってあるけど、一応な」
「おう、了解」
用を済ませて一息ついたとき、木村は慈島が自分を見ていることに気づいた。存在を知っているとはいえ、それは一方的な話であって、実際に面と向かって話すとなると変な感じがした。
「宮地って野球部だったのかー、意外だあ」
「あ?」
「……ああ」
はー、と驚いたように息をつく慈島に宮地が首を傾げ、木村は慈島の視線の先が自分の頭であることに気づき慈島の思考を把握した。「紛らわしくて悪いな」と頭を掻くと、遅れて宮地が「ああ!」声をあげ眉をひそめた。
「坊主ってだけで野球部って、安直すぎんだろ!」
仕方なさげに慈島の頭頂部に手刀が落とされた。「なにするのさー」と慈島は嘘くさい涙目で宮地を睨んだ。その口元は緩やかに弧を描いていて、慈島と宮地の間に築かれた友好関係が見て取れた。こう見えて世話焼きな宮地と世話やかせな慈島の相性は、案外いいのかもしれなかった。



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