最近、名取先輩が楽しそうだ。
昼休みやってきた先輩の笑顔がいつもより明るい。

「なんかいいことあったんすか?」
「ん? ……んふふ」

名取先輩相手に遠回しな聞き方は意味をなさない。捻りなく聞いてみると、先輩はさらに笑みを深めた。可愛い。

「ふふ、最近、テニス部のひとたちと交流できるようになったの! 前から思ってたけど、愉快な人たちで楽しいわ」
「ああ。『ヤヨイチャン』ですか」
「そう。テニス経験者だから専門知識もあるし、何より熱心!」
「おお……、……ん?」
名取先輩が言うんだから本当にいい子なんだろう。先輩の仕事が楽になったならよかったなあと思ったところで首を傾げた。
「先輩って確かヘルプっすよね? 正規の子入ったんだから、もうやめていいんじゃないすか?」
そう、名取先輩は正規のマネージャーでは、ない。男子テニス部は強豪で大所帯でととにかく雑事が多い。新入生や所謂『平部員』にそのへんの仕事を割りふったりするわけだが、いくら跡部景吾が王レベルのカリスマ性を持っていようと、中学生の部活動である。部員にはなるべく活動させなければならない。
そこで男子テニス部が警戒する必要のない名取先輩に白羽の矢が立ったのである。信頼があるというのも考え物だ。いや、この場合、生徒会副会長・ファンクラブ会長に加えてマネージャー職まで任せる跡部景吾が一番の問題なのかもしれない。遠慮なさすぎだろう。
まあつまり、名取先輩はあくまで『臨時』マネージャーであって、『ヤヨイチャン』が入った今、先輩がマネ業を続ける理由はないのではないだろうか。初めのうちは引継ぎとか様子見とかいろいろあるだろうけど、問題ないようだし……。
「……うーん、そうなんだけどね」
私の質問に、名取先輩は苦笑いした。
「一年以上、マネージャー業してるのよ? 情を移すなっていう方が無理でしょう?」
「ああ、そりゃそうっすねえ」
「跡部くんからは何も言われないし……、このまま続けちゃおうかなって!」
今度は悪戯っぽい笑みで言う名取先輩は本当に楽しそうで、まあ本人が望んでるのならいいかと私も笑った。
「あ。でも、彼氏さんは大丈夫なんすか?」
「ああ……」
ふと思い出したのは名取先輩の恋人だ。男子サッカー部の3年生で、名取先輩の惚気をざっくりまとめるとすごくいい男である。……彼の話をするときの先輩は同性の私でも見惚れるほど可愛らしいけれど、それ以上に話が長いのでできれば遠慮したい話題だが、気になったので聞いてみた。
そして後悔した。
「飛鳥ちゃんと同じように、辞めないのか、て聞かれたんだけど、やりたいって言ったら、やるからにはとことん頑張れよって――……」
困ったような照れたような、そっと手が当てられている頬は微かに色づいている。つらつらと話し始めた先輩を見て、目が死んでいくのを自覚した。

「そうそう! 最近、奈良坂といっぱい話せて、みんな喜んでんよ! 俺もうれC!」
「おお、なんすか、名取先輩の話だと女性嫌い揃いだと思ってましたけど、普通に仲良しっすねえ」
「A〜〜、女子が嫌いとか、ないない! ただ普通にしてほしいだけ〜〜」
芥川さんは顔の前で手を振りながら笑う。芥川さんと樺地くんに関しては、初対面の見知らぬ女子生徒に対して悪感情を向けないことは体験済みだけれど、それは単に二人が擦れていないだけだからだと思っていた。案外そうでもないのだろうか。もちろん名取先輩だからというのも、少なからずあろうだろうけど。
「特に、奈良坂にはずーっと支えられてきたし」
「そーっすねえ」
正直、名取先輩のテニス部への貢献度は計り知れない。これで邪険に思っているときいたなら、この天才的頭脳をもって制裁するレベルだ。
「俺は飛鳥にもマネージャーしてほしーんだけどなー」
「はあ? 無茶言わんでください」
「だよね〜」
まさか私があの過酷なテストに耐えられると思っているわけではないようで、言ってみただけ、と彼はゴロンと床に転がった。ぐい、と腕が引かれて、私も床に転がる。
「飛鳥、寂しくない?」
隔離された教室、クラスメイトはひとりもいない。訪れるのは四人だけ。
「ぜんぜん。中学に入って3人も友達ができたんすよ?」
「……そっかあ」
私は作り笑いではなく、心の底から笑った。それなのに、ウェーブするきらきらの金髪を床に広げながら、芥川さんは泣きそうな顔をした。口元は弧を描いているのに、顔中が強張っていた。
そんな顔が見たかったわけじゃないのに。寂しくないのは、本当なのに。
後悔の多い日だな、と目を閉じた彼を見ながら思った。

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