初めて、授業をさぼった。
アサヒは屋上で大の字で寝っ転がっている。黒いパーカーに黒いショートパンツ、黒の靴、黒いマスク。すべての衣類が熱を吸収して少し熱い。フードを取ってみたが髪も黒いので直射日光が当たる分、余計に熱くなった。
「……」
ごろごろと転がって、日陰に入る。地面がひんやりしていた。気持ちいい。
目を閉じると眠気が襲ってきて、アサヒは睡魔に身を任せた。

ぱちり。目を開けると、隣に人が座っていた。日が昇りきって、アサヒが居た場所は既に日陰ではなくなっている。それなのに日が当たっていないのは、隣の人が日の光を遮ってくれているからだ。
「……」
視線を上にあげると、ちょっとえっちなタイトルの本と、その奥に銀髪。
「よっ」
目に傷のあるその男は、アサヒが起きたことに気づくと片手をあげた。
「……おじさん」
「カカシさん、もしくはお父さんと呼びなさいっていつも言ってるでしょーが」
「……いつ?」
「スルーかあ……。ん、昨日ね。ほんとは入学式のときには戻ってるつもりだったんだけど、間に合わなかったねェ」
「いつものこと」
アサヒは身体を起こすと、カカシの持っていた本を覗き込んだ。
「あ、こら」
「うあ」
後ろに回り込もうとするが、動きを読まれ後ろから抱き込まれる形で動きを封じられた。読んでいた本は仕舞って一息ついたカカシはアサヒを解放した。
「おまえのお母さん怒ったら怖いんだからね……」
「……知ってる」
アサヒは母が背負った鬼を思い出して、身震いした。
「で?」
「……?」
「いい子のアサヒがこんなとこでさぼって、何もないわけないでしょ」
見透かすように目を細めてカカシが言った。アサヒはついっと顔を背ける。
「寝不足」
「気配消しもしないで?」
「!」
「おまえがやろうと思えば、誰にも見つからないなんて朝飯前でしょ」
「……」
「……」
「……いじわる」
アサヒはパーカーのフードを引っ張り下ろして顔を隠した。
「えっ、ちょっと、泣……。あー、ごめん、もう聞かないから、ネッ」
「……」
なんでわかったんだろう。少し涙の滲んだ目でカカシを見上げる。困った顔をした彼は、アサヒの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。すん、と鼻をすすって、アサヒはその手に頭を圧しつけた。フードが落ちたし、マスクもいつの間にか取られていたけれど、気にはならなかった。
「……泣き止んだ?」
「ん……。……お母さんがね」
「うん」
「トモダチ、だめだって」
「……うん」
「関わっちゃ、だめだって……」
また、涙がこみあげてきた。
「そうかあ。あのひとは、今も変わんないか」
でも今度は泣き止めとは言わずに、一層優しい手つきでアサヒ撫で始めた。アサヒにはそれが嬉しくて。カカシがどうしてここに居て、こんなに優しくしてくれるのか知っているのに、それでもどうしようもなく、心が温かくなるのだった。
そのとき、屋上のドアノブが捻られた。
ふたりはそれに気づかない。あるいは、気づいていても動けない。
「ありがと、カカシさん」「ったく、ボルトのやつ……」
同時に発せられたその言葉に、空気が固まった。
アサヒがハッとして声のした方を見ると、そこには呆けた表情の少年。見覚えのある顔だ。

何を隠そう、このとき最も焦ったのはカカシである。
気配に気づいては、いたのだ。しかしまあ元火影というしっかりした身分証明があると油断していたのだ。
だが、膝の上にアサヒを乗せたじゃれあったままの体勢、カカシの手はアサヒの頭の上にのっていて、アサヒが顔の下半分につけているマスクも同じく膝の上にのっている。さらにアサヒの目元は赤く、今も涙が一粒落ちていっている。つまるところ事案である。下手すれば一発で豚箱行き――。
見られてからそのこと気づき、大いに慌てた。
少年の方から顔は見えていない。なにせカカシも見えていないのだから。
「……、……はっ?」
少年が気の抜けた声を出した次の瞬間、カカシは姿を消した。
「うぐ」
急に地面に降ろされたアサヒは、身体を支えきれず、ころんと床に転がった。ご丁寧にマスクを巻いていくくらいなら、もっとそっと降ろしてくれればいいのに、と思ったが、よく考えなくても顔をこっちのほうが有難かった。なにせこのあと、アサヒは少年と対峙しなければいけないのだから。
短い黒髪をコンクリートに散らしたアサヒと手を首の後ろに置いたまま固まっている少年の目があった。
「……大丈夫か?」
少年は心底めんどくさそうな顔をしたが、非常事態であると割り切ってアサヒに駆け寄った。背中に手を滑り込ませ、起き上がらせる。この間、アサヒはなんで見つかったのかという疑問にそういえば絶してなかったと結論付けていた。
「ん……だいじょぶ」
「そうか。……さっきの男、アカデミーの先生じゃないよな。忍者なのか? 不審者か?」
「……ん……と」
アサヒはカカシの役職を思い出そうとして、そういえば今は何をしているのかわからないことに気づく。火影岩を指さして「アレ」と言ってしまえば簡単なんだろうけれど、逃げる瞬間にその子にはオレのこと言わないで、と囁かれたのでやめた方がいいのだろう。
「……怪しいひと、では……」
ない、と言い切れない。
アサヒが返答に窮していると、それを察した少年は、アサヒの背を支えながら質問を切り替えた。
「知り合いか?」
「! ……ん」
「どんな関係だ?」
「えと……『お母さんのことを好きな人』」
「……」
少年は開放感のある額に手を当てて、眉を顰めた。そのまま数秒。
「……とりあえず、何もされてないんだな?」
少年は気を取り直してそう尋ねた。
「ん!」
カカシの名誉のために頭を振るように頷くと、少年は背に置いていた手を引いた。
「先生には……あー、めんどくせー……」
「……言わなくても、ダイジョブ」
後ろに手をついて空を仰いだ少年にサムズアップしてみせると、横目でそれを見た少年は「じゃあいいか……」と呟いた。
「……お前さ、名前」
「アサヒ」
アサヒは人に名を呼ばれるのが好きだ。名を問う少年に食い気味で答えると、少年は違う違うと手を振った。
「それは知ってる。教室であんだけアサヒアサヒ呼ばれてっからな」
「きみは」
「奈良シカダイ。同じクラスな」
見覚えがあったのは、だからか。たしかチョウチョウがたまに話題に出す少年だ。幼馴染みなんだとか。
「知ってた!」
胸を張って返答したが、少年改めシカダイのリアクションは薄い。
「あっそ。……や、じゃなくて、名字」
「……? ヒノモト」
「ヒノモトな」
聞いてどうするんだろう。アサヒは首を傾げた。
「それでアサヒ、お前ここでなにやってたんだよ」
「……さぼり」
「なんだ、同じかよ」
名字で呼ぶわけでもないらしい。シカダイは意外そうな声で言った。
「こういうことはしないタイプだと思ってた」
確かに、普段アサヒは真面目に授業を受けているし、昨日あんなことがなければ、する予定もなかった(その点シカダイは常習犯だ)。だからシカダイのその評価は正しい。
でも意外といえば、アサヒにしたらシカダイの方が意外だった。チョウチョウの口から聞くシカダイは、こんなに多弁ではない。
アサヒが首をかしげているとシカダイがまた口を開いた。
「そういや、チョウチョウたちがお前のこと探してたぞ。朝から見つかんねーって」
「……そう。……」
「……行かねーの」
アサヒは三人の少女の姿を思い浮かべる。母に否定された、彼女らとの関係。本当は、シカダイと話していいかもわからない。
……友達じゃないから、いいのかな。
彼はただのクラスメイトだ。禁止されたのは、友達になること。クラスメイトと話すことではない。カカシによって一度開かれた口は、案外簡単に開いた。
「友達、つくるなって」
「はあ?」
「……どしたら、いいんだろ」
「全然わかんねーけど」
シカダイはアサヒに訝しげな目を向けた。アサヒはシカダイに起こされた身体を再び倒す。上半身だけ日陰に入って、下半身は日に当たっていた。肌を直接出しているところにかぎって日があったっている。オーラを薄く張れば日焼け防止は可能だが、今日はオーラのざわめきがうるさかったので、なおざりにしていた絶ですべてのオーラをしまった。
日向ぼっこでもすれば気が晴れるだろうか……。
そういえばずっと日陰に居たなと思い、日向までころころ転がった。転がること、数秒。
「――忍法、影縛りの術!」
「!」
声が聞こえたさらに数秒後、転がっていた身体がびたりと止まった。身体はちょうどシカダイの方を向いていて、彼が焦燥の色を浮かべた顔をしているのがわかった。けれど何故動きを封じられたのか。
「……なんで?」
純粋な疑問をぶつけると、シカダイはそれを無視した。
目を細めながら「居た」と呟くのが聞こえた。その声音がなんだか安心しているように聞こえて、アサヒは首を傾げようとしたが動かなかった。
「アサヒお前、急に消えんなよ。焦るだろ」
「……ごめん」
オーラを60%くらいまで緩めると、シカダイは影縛りを解いてアサヒの方に来た。
「はあ。めんどくせー」
シカダイはアサヒの隣に一人分の距離を取って、同じように寝っ転がった。
「……」
もしかして、さっきからずっと心配してくれていたのだろうか。
背中を支えてくれていたのも、やたら話しかけてきたのも、全部。
「……」
そう思うと、だんだん嬉しさが滲んできた。口元が緩みそうだ。
アサヒはシカダイの方に手を伸ばして、ぺしぺしと二人の間のコンクリートを叩いた。
「んだよ」
気だるそうにシカダイはアサヒの方に顔を向けた。すでに寝に入っていたので、片目は閉じられたままだ。
「……ありがと」
もう一方の手でフードを引っ張り下ろしながら、アサヒは目を細めた。
そのまま目を閉じて昼寝を再開すると、「なんもしてねーよ」という声が聞こえた気がした。

「あ――! 居た――!!」
「……!」
「んあ?」
少女数人の合わさった声で、シカダイとアサヒは目を覚ました。
アサヒがゆっくりと視線を動かし捉えたのは、膝に手をつき肩を震わせるスミレ、指をアサヒに向けて何事かサラダ、不機嫌顔でお菓子を開けたチョウチョウの姿だ。
「ちょっとアサヒ! 探したのよ!」
「教室……っ、いなかったから……」
「余計なカロリー消費しちゃったじゃーん、責任取ってよねー」
「スミレなんて心労で泣きそうになってたんだから」
「いや、泣いてんじゃねーか……」
「さっきまでは、我慢して……っ」
「ちょっとシカダイ、アサヒに変なコト教えないでよねェ」
「いやコイツのが先に……って聞いてねーな」
起き上がったまま動けないアサヒを他所に、四人はやいやい騒いでいて、三人はアサヒの傍にやってきた。
「昨日、卵焼食べちゃってごめんねェ。あちし、アンタがそんなに怒るなんて思わなかったの」
「私も、卵焼きくらい、とか言っちゃってごめ――」
「――っま……まって」
アサヒはサラダを遮って、掌を三人に向けた。ちょっと待ってほしかった。
「卵焼きは、もう、怒ってない」
アサヒが途切れ途切れにそういうと、三人は――特にチョウチョウは――目に見えてほっとした。
「なんだ、違ったの?」
「あわわ、私が変なこといったせいで……!」
「じゃあ、アンタ、なんで来なかったのよ」
「……それは……」
アサヒが何と答えるべきか考えあぐねていると、チョウチョウが何かに気づき、ドアの方を振り返った。三人が釣られてそちらを向くと、屋上を出て行こうとするシカダイの姿があった。
「アンタ……」
「は!? ちげーって!」
「! ちが、シカダイは、優しく、してくれて……!」
「優しくする……?」
「そういうえば何で隣で寝て……」
サラダが眼鏡をくいっと上げて、スミレは顔を赤くした。
「アサヒおまえ……っオレは何もしてねーよ!!」

「ほー、そんなことがねえ」
家に帰ると門の前にカカシが立っていた。母はまだいないらしい。母にカカシを家に上げることは禁じられていたので庭先でお茶を一緒に飲むことにした。今日会ったことを話すと、温かい眼差しをしたカカシに頭を撫でられた。カカシは頭を撫でるのが好きだ。
「……シカダイ、いいやつ」
「そうだな……女に優しいのは親父譲りだろうな……」
「親父……?」
「そう、一応オレの教え子と同期なんだけど、こっぴどく叱られる側になっちゃったのよ……」
叱られたのを思い出したのか、げっそりした様子だ。
「シカダイだったか。オレのことあっさり特定してくれちゃってまあ……しっかりした息子で奈良家は安泰ですよ」
恨みがましい目でカカシはそう言って、アサヒの髪を整え始めた。
アサヒはその手の先を追って、夕日に照らされたカカシを見上げた。その片眼に着いた傷は、争いの激しかった過去の証明だ。
「叱られたばっかでうちの娘に手を出すの、やめてくれる?」
「! おかーさん!」
いつの間にか帰っていたアサヒの母が、家の中から窓を開け縁側に出てきた。カカシを足蹴にしてから、アサヒの手を引く。
「もう、怪しい人は家に入れちゃだめよ」
「いてて、怪しい人って、ひどいな」
「奈良の坊ちゃんから連絡あったのよ。アカデミーでアサヒに手を出したんですって?」
「誤解ですって。抱きしめたし頭も撫でましたけど、手は出してないですよ」
「出してんでしょーが!」
攻撃を続ける母と、甘んじて受けながらへらへら笑うカカシを見て、アサヒはなんだか幸せになった。

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