罰なのだと、スミレは言った。
「なんで、委員長も?」
アサヒが眉を寄せながらスミレを見上げると、苦笑いする委員長の代わりにツンとした声でサラダが答える。
「あいつらの馬鹿に委員長が巻き込まれちゃったってことでしょ」
「ほんと、男子ってバカよねェ。委員長頑張って〜」
「ありがとう。任されたからにはしっかりやってくるよ」
スミレは両手をぐっと握って意気込んだ。既に苦笑いから打って変わって頬を染め、本当にやる気を出しているようで、アサヒはほっと胸をなでおろした。
「じゃあ、行ってくるね」
スミレが三人に向かって小さく手を振り、既に集まっているだろう男子たちの方へ走っていく。
筧スミレ。アサヒがアカデミーに来て初めて話した女の子。クラスの委員長をやっていて、いつもみんなを取りまとめようと頑張っている。今だって責任のある立場ゆえに課された仕事でさえ、笑顔で臨もうとしている。いい子だと思う。
「サラダ、チョウチョウ」
その『いい子』な姿に、どこか自分の姿を重ねながら。
「いってくる」
走り出し、首だけ振り返って後ろに言った。サラダは教科書、チョウチョウはスナック菓子を片手に、反対側の手を挙げて答えた。
「アサヒも物好きよねェ」
「人見知りして後悔するのは目に見えてるのに、向こう見ずなんだから」
呆れながら。もう見えなくなった真っ黒背中を見ながら、ふたりは顔を見合わせ肩を竦めた。
「いーんちょ」
オーラを通常状態にしてから先に行っていたスミレの背に触れると、「アサヒちゃん?」と鈴のような音がする。アサヒは委員長の驚いたような、どことなく嬉しそうなその声に、抱えていた一抹の不安を捨てる。
いらないお世話だと言われることを恐れることは失礼にあたるだろうか。だとしたらどこまでも関わり合いに対して臆病なアサヒは失礼で全身ができている。何より、良くしてくれている三人に友達という関係を返せないのは、失礼極まりない話だ。
分かっていても、ただのクラスメイトでもいいから誰かと一緒に居たいと思うのだった。
話を戻そう。
「どうしたの?」
僅かに期待を孕んだ紫色の瞳をじっと見つめる。
「手伝う」
と袖を引きながら言えば、スミレは花のように笑った。スミレという名は彼女にぴったりだと思う。どんな花かと言われれば、植物に詳しくないアサヒでは答えることが出来ないのだけど。
さて、と改めて意気込んで男子との集合地点に行ったものの、集まる男子四人の姿を捉えて、アサヒはオーラをすべて絶った。
「えっ」
突然アサヒの存在感が消え、スミレはぎょっとしてアサヒがいるはずの場所を見下ろした。服を引かれる感触がして、アサヒが今自分の後ろにいることを察知する。
「アサヒちゃん?」
スミレが小声で名を呼ぶ。呼ばれたアサヒはスミレの背に縋った。
「いのじんが、いる……!」
そう、集まっていた面子の中には苦手なクラスメイトぶっちぎりトップの山中いのじんの姿があったのだ。さらには二位のイワベエ、三位のボルトとスリートップそろい踏みだ。たとえ三人がいると先に知っていたとしてもスミレの後を追ったけれど、心の準備の有無は大きい。
「えーと、アサヒちゃんがいることは話さない方がいいのかな?」
「! そうする……!」
笑いを押し殺したスミレの画期的な提案に、アサヒは何度も頷いた。
そうだ。この状態なら言われなければほぼ気づかれないはずだ。
「いいんちょ、さすが!」
完璧な打開策に歓喜で震えるアサヒをスミレはクスクスと笑う。
「じゃあ、行こうか」
「ん」
そういうわけで、スミレにはちゃんといることが分かるよう裾を掴んだまま、スミレの後ろを歩く。一応スミレにわかりやすいようにオーラは30%くらい(居ると確信していれば居る気がしてくるレベル)に調節している。
「あー、さっさと終わらせてゲームしてーっ!」
「ほんとだったら今もできてるはずなんだけどね?」
「まったくだ。めんどくせー」
「勝手に人のモノ使っといて文句言ってんじゃねーよ」
「あわわ、喧嘩はだめだよ〜」
「そうですよみなさん! そもそもこの作業は――……」
教室での様子からしてボルトといのじんは殺伐しているのかと思いきや、言葉面はともかく案外和気藹々としていた。どちらかといえば巻き込まれた側のひとたちも、文句は言っているものの嫌悪のような悪感情は感じなかった。
悪い人ではないんだろうけど……。
六人の後ろを追従しながらアサヒはそう思う。こういう姿を見ていると、勝手に苦手意識を抱いているのが心苦しくなってくる。うむむ。とマスクの下で唇を尖らせてみた。
「あれ? 委員長、なんで二個も持ってるの?」
いのじんの言葉に、スミレとアサヒは揃って肩を跳ねさせた。いのじんはアサヒに気づいていないので、純粋にふたつの工具を持った委員長を疑問に感じているようだった。
「……、よ、予備で持って行っておこうと思って」
「確かに、取りに降りるのは手間ですからね。ボクももうひとつ持っていきましょう!」
取り繕った笑顔のスミレが吐いた嘘は中々のものだった。十分な説得力をもっていたのだろう、メタルはスミレと同じように二本目を持ち、いのじんもなるほどね、と頷いていた。それから「何かあった時は僕にも貸して?」とメタルに言っている。メタルがそれに快諾するころには、注意は完全言逸れていた。
「ナイス、委員長」
アサヒが背伸びして耳元で言うと、スミレは男子たちには見えないように小さくはにかんだ。
担当者からいくつかの注意を受け、火影岩のところまで上る。
見下ろすと木の葉隠れの里が一望できた。アサヒの家も見えた。周囲の街からは離れている上に小さく、見つけにくい。けれど、確かにここから見える。
アサヒの家。アサヒの母。それが里の中にあるのが嬉しかった。
「……」
『血系限界』――シノは念をそう称した。おそらく、『そういうこと』になっているのだ。どこまでが母の真実を知っているのか。子供のアサヒにはとても推し量れない。
ただひとつ。カカシが知っているのか。それだけが気にかかった。
カツ、カツ。
岩を叩く音で我に返ったアサヒは、スミレに「あっちやってくる」とだけ伝え、他から音が聞こえない程度の距離を取って作業を始めた。
「じゃあ次はこっちか」
いのじんの声が自分の方に向いているのに気づき、作業に熱中していたアサヒはハッとした。
アサヒが作業していた場所は崩壊した場所と繋がっていて途中だけ直っている、というような可笑しなことにはなっていない。
幸いだ。とにかくここから離れよう。
いのじんが既に同じ段を歩いていたため、アサヒは音を立てないよう注意を払いながら下の段に移った。無音で着地し、「よし、次はここだ」と修復箇所に手を添えた。
「?」
ふと視線を感じ、そんなわけないと思いつつ右を向いた。
シカダイが、アサヒを見ていた。
「――……っ」
ゴクリ。黒い瞳に、アサヒは息を呑んだ。
どうして、気付かれた?
30パーセント。アサヒの潜伏能力がどの程度のレベルか、アサヒは正確に認識しているわけではない。もっと言うなら、どういうわけで気配が調節できているのかも、正確に理解しているわけではない。ただの経験則だった。その経験則でさえ人数が限られているからあまり当てにできないのだけど……。少なくとも普段シカダイに声をかけたときの反応から考えても、とてもこれで気づくとは思えなかった。
なのにどうして?
動かないシカダイに、いっそのことこちらから声を掛けようか、などとぐるぐると混乱していた頭は、シカダイの視線がアサヒに定まっていないのに気づいてから徐々に落ち着いていった。マスクの下、薄く開いていた口からか細く息が漏れる。
気付かれていたわけでは、なかった。
何かがいる、程度の感覚なのかもしれない。だとしたら、下手に0%にするとかえって危険(危険という表現が適切かどうかはともかく)だ。なぜならシカマルは『アサヒの気配が消える』という体験を一度している。類似の感覚がすれば気づかれるかもしれない。
とすれば、ひたすら溶け込むしかない。この空気に、岩に、空間に。
アサヒは自身に焦点の合わないシカダイの目をじっと見返した。時折目があって動揺する心臓を押さえつける。――私は空気だ。そう言い聞かせた。
そうすること、どれくらいだろう。時間を図るという概念はアサヒの中にはすでになかった。
「……気のせいか?」
ぽつり。独り言のように(シカダイにとっては実際独り言だ)言って、シカダイは自分の作業に戻って行った。
アサヒは左へ一歩、シカダイから距離を取った。反応がないのを確認してから、もう一段下がった。誰も作業していない段まで降りて横移動する。人の少ない、右側へ。
そこまで来て、漸く息をついた。今更心臓が煩く鳴り始める。押さえつけていたものに解放され、ここぞとばかりにどっくんばっくん。
それにしても、びっくりした。
アサヒは左胸をぎゅっと抑えた。
触れたわけでも見つけてもらおうとしたわけでもない。寧ろ見つからないようにと潜んでいたのに、危うく見つかるところだった。いや、見つかったようなものだ。手でも伸ばそうものなら一発だ。もしくはいつかのように影でとらえることだってできる。
あのとき感じたのは、恐怖に近い何かだった。
見つかってはいけないとアサヒの本能が警鐘を鳴らした。
……何故なのかは、わからなかった。
岩を削る音が少なくなっていることに気づいたのは、アサヒが『ここは崩壊を免れていた』ということにして右下から攻めて行こう、と作業を再開して1時間弱経った頃だった。作業が終わり、スミレを手伝うと申し出たものの自分の割り振りだからと断られた。やることもないので元の場所で風景を眺めていた。体感、15分ほどだろうか。アサヒの耳がとめどない機械音と興奮した声を拾った。足を角にひっかけ、身体を逆さまに吊るして出処に目を向ければ、委員長二人以外が集まってゲームをやっていた。
四人とも、楽しそうに遊んでいる。どうやら強敵と戦っているようで、誰かしらヤベーヤベーと口にしている。強すぎだろと文句言いつつ、口には笑みが浮かんでいるところが少年らしくて良いなあと思う。
「……」
アサヒは自分のことながら予想外の感情の機微を自覚した。もしかしたらアサヒは、まさに友人、という関係の彼らに勝手に羨望を向けていたのかもしれない。恥ずかしさに襲われマスクを上に(この体勢の場合下だろうか)上げる。真っ暗になった状態のまま、彼らの会話をぼんやり聞き流していた。スミレが休憩はほどほどにと喚起している。
頑張れ、委員長。ヤマトは音を立てず唇だけそう動かした。
逆さまになっているせいで頭に血が上ってきた。そろそろ体を起こそうとしたとき。
パキ。
ひび割れた音。
ピキピキピキ。
亀裂が大きくなっていく音。
自分の近くまで音が忍び寄ってきて、咄嗟に体勢を戻そうとしたが時すでに遅し。目の前には大きな岩。
「――――」
避けきれない。アサヒは息を止めた。
「委員長! 大丈夫か!?」
スミレは下から聞こえた問いかけに、慌てて肯定を返す。――そして自分と共に来た真っ黒な少女のことが思い浮かんだ。確か、作業の手伝いを申し出てくれたのを断って、それから。どこにいるのかは分からない。けれどスミレの服はあれ以降引かれていない。存在を主張するために癖になったらしい動作。それがないということは?
「――アサヒちゃん!」
堪らずスミレは叫んだ。叫ばれた名前に混乱したのは、スミレ以外の全員だ。
「はっ? アサヒ!?」
真っ先に反応したのはシカダイ。
「アサヒくんが何故ここに?」
「だ、誰だ?」
「黒いちっせえやつか」
「影薄くって体力のない」
内容は様々だが、皆一様に焦っている。今この状況で委員長が叫んだということは、あの土砂に巻き込まれたという可能性が高いのだから。
各々がそれぞれの第二声を叫ぼうと、あるいは急いで下へ降りようとした。そのとき、すぐ下から唸るようなか細い声がした。
「……余計な、おせわ」
驚きながら見下ろせば、自分たちの立つ足場に手がかかっていた。
「んん」
マスク越しのくぐもったそれは、間違いなくアサヒのものだ。身体を持ち上げようと試みているようだがうまくいかない。
「アサヒ!」
屋上でのときより早く我に返ったシカダイがアサヒの手を掴み引き上げる。近くにいた他の三人も手伝おうとしたが、シカダイひとりで事足りた。
「お前……ちゃんと食ってんのか?」
いくらなんでも軽すぎる。シカダイの眉間にしわを刻まれた。
先日の『お母さんを好きな人』発言からなんらかの家庭事情がことを察していたシカダイが問うと、足場に腰を落ち着けたアサヒはぐったりした様子で答えた。
「いま、カロリー、消費した」
「チョウチョウの真似して誤魔化そうとしてない?」
「秋道一族の消費量と同等ってそれはそれで異常だろ」
鋭い指摘がいのじんとシカダイから飛んだ。両方とも正解だが、アサヒが気力を消費したのも事実だった。降りてきてアサヒの近くに膝をついたスミレに抱き付き回復を図った。
「びっくりした……」
「いやそれはこっちのセリフだろ」
イワベエがいまだ混乱したような表情で言った。
「アサヒくん、僕のせいで危険な目に合わせてすまなかった……!」
「もごもご」
「宙づりになってた私も悪いから大丈夫、だって」
「何やってたんだてめえ」
「ていうか今も何してるのって感じだけど」
スミレの腹部に顔をうずめているアサヒの首根っこを掴んで引きはがし、いのじんが言った。
「ちゃんと説明してもらおうか。……全くわかってないのもそこにいるからね」
ていうか本当に軽いな。人間? と最後に添えつつ、いのじんはアサヒをボルトに向かって突き出した。
ボルトとアサヒの目があった。
「おまえ、誰なんだ?」
「……」
この中で一番戸惑っているのは、当然、突然現れた初対面のクラスメイトと邂逅したうずまきボルトである。