朝、アカデミーの教室。アサヒはぺらぺらと教科書を捲っていた。
誤魔化す意味もない、白状しよう。
アサヒは座学が嫌いだ。
家の縁側で時間を忘れてぼーっとしているのが一番好きなアサヒとしては、決まった時間集中して知識を詰め込むという作業は苦行に等しい。さぼりこそしないものの、教師にばれないのをいいことに居眠りすることはよくある。寝ないように気を付けていても、いい天気だなあと思ったが最後、スミレの「起立」という声が聞こえるまで夢の世界だ。

念という特殊な力を使えるがゆえに忘れられがちだが、アサヒはどちらかといえば落第生の部類に入る。少なくとも普通の忍者としては、精神面の弱さだけで失格を食らうほどだ。百歩譲って臆病な性分を抜くにしても、体力のなさや忍具の扱いに不慣れなところなど(体術に関しては普段抑えているオーラが有るか無いかで全く違うため、何とも言えないが)、総合的に見ても適性があるとはとても言えない。

「んん」
今日は算術の問いで当たる予定なので、どうにか解こうとするが儘ならない。
机につっぷし教科書とキスをしていると、外から叫び声が聞こえてきた。
「?」
不思議に思って窓から外を覗くと、知り合いが四人、追いかけっこをしている。
鬼はメタルで、いのじん、シカダイ、ボルトの三人が逃げているようだった。
「……」
昨日といい、いのじんとボルトの関係は良好のようだった。言葉は厳しいけれど、言っていることは正論が多いし、やるべきことはきちんとやっている。
いのじんへの怯えメーターを下方修正してみた。イワベエ・ボルトも同様に低下したため、トップの座は変わっていないが、頑なに避ける必要はないかと思い始めた。
そんなことを考えているうちに四人はアサヒが見える範囲からあっという間に消えてしまった。元気だなあ。三人がメタルに襲われている状況に気づくことなく、アサヒは伸びをしてから再び教科書と向き合った。

ギリギリアウトの時間で四人は教室に戻ってきた。
授業の間の休み中、アサヒは一人で悠々と使っていた一番後ろの席から立ちあがった。オーラを40%くらいに調節し、てててと駆け下りた。目標は当然、シカダイだ。朝は時間がなかったので、今行こうと思ったのだ。近づくと、シカダイたちは次の授業をさぼるかどうか話しており、それなら猶更今行かなければと、さっそくシカダイの服を小さく引いこうとした。
すると急にシカダイが身体を反転させた。
そのせいで背面の裾を持っていたアサヒの身体が巻き込まれ、バランスを崩した。
「うぐ」
突然のことにシカダイの方に倒れこみ顔が埋もれた。自分くぐもって声が漏れ、咄嗟にパーセンテージを落とす。
「……」
「……」
周りから特に何も言われない。シカダイがどうかしたのかと問われているくらいだ。ほっと息を吐いたアサヒは、未だに体重を預けたままだったことに気づいた。
「……ごめん」
「……」
慌てて重心を取り戻して周りに聞こえない声量で謝ったが反応はない。今までなら何らかのリアクションをとっていたのに。
……気づいていはるはずだ。見上げてしまえばそのことに確信をもてるはずなのに、怖くて寧ろフードで視界をふさいだ。
「えと、おはよ、て言いたくて。……それだけ」
早口になっていることを自覚した。したところで改善しようもなく、そのことがただ羞恥心を煽った。すぐに踵を返して自分の席に戻った。
机に突っ伏して、そのまま数分。
振り返ったのは偶然か? 違うのならどうして気づかれた? なんで上を向けなかった? 
疑問で溢れかえる頭の中に母の言葉が響く。『シカダイクンニチャントオレイイウノヨ』そうだ、言わなければいけないことがあったのだ。そういえば昨日のお礼だってしていない。
なんでそれだけだなんて。
混濁する頭を、すべての疑問を保留にすることでどうにかこうにか落ち着かせた。深呼吸してシカダイの後ろ姿を窺った。友達の輪の中で、いつも通り笑っていた。

「もー、アサヒどこにいんのよ……!」
悔しそうなサラダの声を聴きながら、アサヒは教卓の上で膝を抱えた。恒例のお昼前の索敵訓練中である。前ほど頻繁にはやらなくなったが、二三日に一度こうしてアサヒ探しは行われている。
イワベエを警戒しなくてよくなったので、今日は教室でやっているのだが、アサヒは朝の衝撃が抜けきらず、気配を消したままぼーっと天井を見上げ彼是3分が経過している。乾燥麺が食べれるようになる時間だ。
アサヒはサラダたちと前ほどは一緒にいなくなった。
サラダたちと友達になってはいけない。どこからどこまでを友達と呼ぶのか定かではない以上、その基準は主観的なものだけれど、これはあくまで訓練の体なのでセーフとしている。
せめて母の持つ事情さえわかれば対応のしようもあるのだが、話したがらない母の口を無理に開くことはアサヒにはできない。
アサヒは未だ、クラスメイト達との適正距離を測りかねている。
さて、現在の気配指数(サラダ命名。%よりも適当な表現らしい)は40である。
そろそろ45にあげようかと思った時、不思議そうな顔をしたボルトがデンキに聞いた。
「あいつらなにやってんだ?」
「ああ、ボルトくんは見るの初めてだっけ? 気配を消したアサヒさんを見つける訓練みたいなものだよ。ああやって時々やってるんだ」
「アサヒ? どっかにいるのか?」
「うん。三人がここで探してるってことは、今日は教室にいるんだろうね。ぼくにはさっぱりわからないけど……ボルトくんは?」
「うーん」
ボルトはきょろきょろと見回したり、目を瞑ったりしている。目の前で会話を聞きいていたアサヒはオーラをそのままにして様子をうかがってみた。釣られてイワベエも目を瞑っている。イワベエは女子が訓練の真似事のようなことをしていることは知っていたが、詳細は知らない。ただアサヒの名が呼ばれ続けるので、アサヒが参加していることは察せられた。
「全然わかんねーってばさ」
「本当にこの教室にいんのか?」
「聞いたわけじゃないからわからないけど……」
「揃って唸って、何やってるの?」
「いのじんくん」
アサヒは降りてきたいのじんの姿に反射的に身を引いてしまった教卓から落ちそうになったが辛うじて耐えた。
「ああ、索敵訓練ね。シカダイもやってみたら?」
「なんでオレが。めんどくせー」
いのじんが揶揄うような声音で言うと、シカダイは心底面倒そうに答えた。逸らされた視線が一度アサヒを掠めたが、それだけだった。
「いのじんはどうなんだよ?」
「僕? 55%って言ってたくらいで見つけたことならあるけど」
「段階があるのかよ!?」
「なあに? アンタたちもやってんの?」
チョウチョウがイワベエの声に反応して降りてきた。
アサヒはチョウチョウを見て、そういえば気配指数をあげていなかったことを思い出す。アサヒは固まっている一団を見ながら一気に45まであげた。50過ぎたあたりからはもっと細かく上げているが、この辺はまだ一気づかれないのでガンガン上げていく。
「あ、こっちのほう……かな?」
「教室でやると人が多くてやりにくい……」
変動した気配に気づいたスミレとサラダも降りてきた。サラダはイワベエが更生してから人が増えた教室を睨みつけている。
「ねえ、これって勝てたらなんか貰えるの?」
いのじんが俗っぽいことを尋ねる。下心を隠さない辺り、素直と言えば素直なのかもしれない。
「ん〜、一応記録はつけてるケド。今はあちしが一番!」
「気配指数50以下で見つけられたら奢るって、アサヒがこの前言ってたっけ」
「55の壁が厚いんだよね」
イワベエとボルトの決闘で有耶無耶になった謝罪として出した条件がそれである。張り合いがあった方が面白いかと思って言ってみたは良いものの、もうちょっとハードルをさげるべきだったと後悔している。今更55にしようというと、プライドの高いサラダが拒否することは目に見えているのでそのままにしているけれど。
話している間も三人の視線は教室中を巡っており、何度かアサヒを通り過ぎている。アサヒはじわじわとオーラを出していて、今、50に到達したところだ。ここからが本当の勝負である。51……52……。
「ここら辺じゃねえのか?」
イワベエが褐色の腕をアサヒのいるあたり向かって伸ばす。確信があるわけではないようで、アサヒはまだ距離のある腕からさらに身体を遠ざけた。落ちないように気を付けて。
イワベエが彷徨わせていた腕を、チョウチョウが叩き落した。
「何すんだよ!」
「触って見つけるのは反則だし」
苦情を叫んだイワベエに、サラダが冷静な声で注意する。
「やるのはいいけど、邪魔しないでくれる?」
サラダがそう言い放つのを聞きながら、55の数値を刻んだときだ。
「いたっ、アサヒちゃん!」
スミレが跳ねるように宣言した。ぱちり。確かに視線は合っている。それを確認してアサヒは気配指数を100まで釣り上げた。教卓から飛び降りて、スミレとハイタッチする。
「55.……やったね、委員長」
「新記録じゃん。おめでと〜」
「えへへ、ありがとう」
「アンタたちに構ってたお陰で先越されたじゃない」
「あっ……ごめん、話してるときに探しちゃって」
サラダが男子へ向けた言葉にスミレが目を潤ませる。ぎょっとしたサラダがスミレをフォローする。アサヒは小さいノートに今日の記録をつけながら、チョウチョウから労いと共に渡されたスナック菓子を食べた。
「終わったか」
「すげー近くにいたな。つーかあの女遠慮なく叩きやがったな……」
「うーん、なんとなくそこら辺かなって感じはしてたけど。触れないのは痛いな」
「ぼくなんかさっぱりだよ。委員長もアサヒさんもすごいなあ」
「オレも全然だったぜ」
「結構『慣れ』の要素が大きいから……初めてなら仕方ないと思う」
普段要領がよく困ることのないボルトが先を越され唇をゆがめる。今度はそれをスミレがフォローした。
実際、アサヒ探しに慣れは大きく関わる。一番は、アサヒが気配を動かしたタイミングでその変化を察知できればそれが重要な手掛かりとなるので、その感覚をつかむことだろう。当然察知できない範囲で動かされても何も起こらないので実力も大切だ。
ノートに記録を書き終えて顔をあげると、シカダイと目があった。そのまま数秒おいて近寄ってくる。
「なあ、チョウチョウがこっち来たときの気配指数いくらだ?」
ノートを覗き込みながらの質問に、アサヒはそのときのことを思い出す。シカダイはペンを手に取って回し始めた。
くるくるくるくる。あ、二回転。
アサヒは視線をシカダイの手元に置いたまま答えた。
「40と、ちょっと」
ここら辺はどんぶり勘定なので正確な数値ではないけれど、シカダイはその答えで満足したのか、「そうか」と言ってノートにさらさら文字を書く。一度手が止まったが、すぐに書き終えた。そのままノートを閉じて、ペンと一緒にアサヒに渡した。
「……見たら消せよ」
「?」
「アサヒ、先食べるよー」
「あ、うん」
アサヒがチョウチョウに返事をして再び視線を戻すと、シカダイは既にいなかった。
アサヒはノートをポケットに入れてから、三人の下へ向かった。

その日は特に何もなかったので、日が暮れる前には家に着いた。アサヒは冷蔵庫に入っていたプリンを食べながら縁側で庭にやってきた三毛猫と見つめあっている。
「なー」
「にゃあ」
「んなぁ」
「みい」
アサヒが猫と会話している……のではない。アサヒが一方的に三毛猫に向かって言っているだけだ。猫っぽい鳴き方ってどんなんだ、と思いながら。
「にー?」
五つ目の候補を出したとき、三毛猫はゴロゴロと喉を鳴らして颯爽と去って行った。
「……ごろごろ」
言いつつ、ごろんと横になった。
「?」
強張ったものが肌に当たって、何だろうと思いポケットを漁るとメモ代わりにしているノートが入っていた。そういえば、と思い出し、ページを繰った。今日のスミレの新記録、【委員長 55】という記述の下は空白だ。何か書いてあるはずだが、と首をかしげる。
どこに書いたんだとページをめくると、次の次のページに自分の字ではない文字。
【シカダイ 40 今度なんか奢れよ】
「……」
最後のところはひと際小さな文字で書かれていて、一瞬手を止めたのはここだとわかった。
アサヒは外していたマスクを手に取ると、顔の上に載せた。
「……ごろごろ……、……いっ、んん」
言葉通りに縁側を転がっているうちに、柱に衝突した。身体を捩るとマスクが顔から落ちた。はっとして口元を手で隠す。誰に見られているわけでもないけれど、何故か緩んでいるだらしない口元を晒したくなかった。
アサヒは元の場所まで転がり直し、もう一度ノートを手に取った。うつ伏せになって、慎重にページを切り取った。「消せよ」そう言ったシカダイの顔が浮かんだけれど、こうすれば消したようなものだ。
切れ端をまだ明るい陽射しに透かして考える。
母が定期的に掃除に入る部屋にはおけない。学校にも置いておけない。万一見つかったら、シカダイはきっと怒るだろう。
「……そうだ」
考えた末に、忍具をしまうポーチの中に入れてあった、母から貰った無病息災を願うお守りを取り出して、丁寧に畳んで中に入れた。ちょっと厚みが増したけれど、許容範囲だ。
うん、と満足げに頷いて、お守りをポーチにしまった。

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