「歓迎会……、お菓子……!」
「分かりやすく喜んじゃって」
「アサヒも大概子供よねェ」
「む」
チョウチョウだって子供だ。特に味覚。
アサヒがマスクの下で唇を尖らせると、口角を上げたチョウチョウが上から頭を押さえつけた。ぐりぐりと圧力を掛けられる。
「そんで顔隠してるくせに、チョーわかりやすいんですケド、それ意味あるのォ?」
「そういえばそれ、何でつけてんの」
「……もらったの」
アサヒは以前母を諫めてくれたひとを脳裏に描いた。
『アサヒちゃんこれ、前欲しいって言ってたでしょ。アゲル』
『! わ、やった』
『……まさかお下がりじゃないでしょうね』
『チョット、いくらオレでも怒りますよ?』
そう言って渡されたのはラッピングされた黒いマスクだった。カカシのものとは違って独立していて後ろを結うタイプらしかった。バンダナみたいなものだ。
『最初はこっちがいいと思ってね』
『ありがと』
本当はお揃いがよかったんだけど。
アサヒは心のどこかでそう思ってしまう自分を戒めた。なんて我儘なんだ。それに知っているのに、カカシが母のことを好きだということくらい、否というほど。
「アサヒ?」
「……!」
「え、聞いちゃいけなかった……?」
「……んーん、だいじょぶ。くれた人のこと、思い出してただけ」
そういえばカカシも表情は分かりやすいかもしれない。照れているとすぐにわかる。わざとそうしているときもそうだが、隠そうとしているときも案外わかりやすい。おそらく、カカシは母に隠し事をするのが苦手だ。隠そうとして、躊躇って、結果的にアサヒに分かるくらいに露呈してしまっている。
「ホレタヨワミ、ってやつだ」
アサヒはマスクの鼻の部分に触れて苦笑いした。その視線は青い空を見つめているようで、心ここにあらずと言った様子だった。
その独り言は、アサヒとしてはカカシのことを指して言っていたのだけれど、アサヒの考えていることを読めないサラダとチョウチョウには当然、全く違うように聞こえるのである。
「えっ、誰? 誰だし!?」
「知り合いはいないって言ってたから、アカデミーの生徒じゃないことは間違いないね……」
うっかり聞こえてしまった二人はアサヒから聞こえないようにこそこそと話し出す。忍者の卵といっても、少女たちは恋バナに弱い。思わぬところから沸いた甘い雰囲気に度肝を抜かれた。
「……?」
二人が何を話しているか聞こえないアサヒは、何を話しているんだろうと不思議に思いながらクッキーをひとつ摘まんだ。
最初に悲鳴を上げたのは誰だっただろう。
虫。
アサヒは自分のところに飛んできた大量の虫を見ながら、反射的に身を固めた。しかし周囲を飛び回るだけで特に何をするわけでもないことに気付きすぐに警戒を解いた。
森の近くに住んでいるアサヒにとっては、害のない虫は特に苦手ではない。
以前、蜂の巣を不用意に刺激して多数の蜂から追われたことがある。あの日ほど身軽でよかったと思った日はない。逃げている途中体力のないアサヒは当然途中で力尽きかけたが、どうにか家まで戻って籠城後、母に追い払ってもらった。恐怖は去ったと思いきや母からしこたま怒られ蜂の怖さが飛んでしまった。
泣きっ面にハチ。ハチッ面に母。
さて、この虫たちはやはりシノの操る虫だからなのだろうか、一所にとどまらず次から次へ行ったり来たりしている。騒いでいるところへ集まる習性でもあるのか、いつのまにかアサヒの周りの虫は少なくなっていた。といっても、通常では有り得ないくらいにはいるのだけれど。
「虫どっかいってー!」
なみだが震える声で叫んだ。直接話したことはないものの、スミレと仲の良い彼女のことはなんとなく知っている。可愛いものが好きで、虫や爬虫類を苦手としている。アサヒがなみだのもとへ助けに行くか迷った直後、一体に風が吹きつけた。
「!」
飛ばされないように姿勢を低くしていた努力もむなしく、アサヒの足が地面から離れる。飛んでいく虫や歓迎会の品々、校舎を立て直すための資材と共に、アサヒも風に浮かされた。
「アサヒ!」
「っせんせ」
どうにか虫を統制しようと奮闘していたシノが叫び、アサヒに向かって手を伸ばす。アサヒは風に巻き込まれながら同様に手を伸ばすが、一歩届かず、更に強くなった風によって高く空へと吸い込まれていく。
「いのじん!」
「え、何!?」
シノがアサヒを捕まえ損ねたのを見たシカダイが咄嗟にいのじんの肩を掴んだ。
「アサヒが飛ばされた。あそこらへんだ、見えるか?」
「……いた!」
シカダイが指さすあたりをいのじんがじっと見つめる。黒い虫と白い布。森の方へ飛んでいくその間に、身体の上下が逆になったアサヒがいた。即座に携帯していた巻物を広げ筆で鳥を描いた。
ふわりと浮かび上がった色鮮やかな鳥は一直線にアサヒの下へ向かい、その足でアサヒの肩を掴んだ。風になるべく逆らわないようにしながら旋回し、風遁の範囲から抜け出たあと、地上へと降り立つ。
「……ありがと……」
放心しながらアサヒが妙な手触りの鳥を撫でると、役目を終えた鳥は姿を消した。
座り込むアサヒにふと影が差した。
「その礼は僕にも言ってもらえるかな」
いのじんだ。アサヒは反射的に隠れる場所を探したが、助けられたという事実がそうさせなかった。
「……えーと、助かった。ありがと」
先ほどよりもぎこちなかったが、いのじんはそれだけで満足したようで、鼻をひとつならした。
「チビだけどそんなに細く見えないのに、これじゃあイワベエの武器のがよっぽど重かったよ。デブもよくないけど、軽すぎるのも考えものだね」
「……」
いのじんの鋭い指摘にアサヒは沈黙した。そうなのだ。アサヒの体重はあまりにも軽すぎる。身長が低いせいもあるだろうが、それにしたって内臓だけで20キロはあるはずなのだから、異常と言ってもいい。
「ちゃんと食べてる?」
「……と、おもう」
「ホントに? いくらなんでもオカシイと思うけど」
「う……」
いのじんはアサヒの頬を引っ張りながら「肉はついてるんだね」と呟いた。デリカシーの欠片もないが、心配してくれているらしかった。
アサヒはいのじんが苦手だが、邪険にするわけにもいかない。最近苦手意識が薄れてきたこともあってされるが儘にしていた。
「あ、呼ばれてるや」
ぱっと手を放し、いのじんが去っていく。アサヒは摘ままれて熱を持った頬を労わりながらほっと息を吐いた。
「アサヒ」
「……!」
胸をなでおろした直後、いのじんの声がしてアサヒは驚いて見上げた。
「キミって昼は弁当だっけ?」
色素の薄い目で見下ろされていることに内心怯えつつ、アサヒは頷いた。
「ふうん、じゃ。また昼にね」
「え」
にこりと薄い笑みを浮かべていのじんは今度こそ去って行った。
「……え……?」
残されたアサヒはひとり、茫然とその背を見ていた。
「不味いね」
他人の弁当をつまみ食いしての第一声がこれである。
「あ、でも卵焼きはなかなか……」
もごもごと口を動かすいのじんが持っているのはアサヒの弁当だ。母の手製の料理を不味いと言い切ったいのじんに怒りを沸々とさせつつ、涙目のスミレに抑えられたが、代わりにと貰ったいのじんの昼ご飯に手を付けたくなくなった。
アサヒが明らかに不機嫌なことに気付いたいのじんは本当にそう思っているか分からない態度でごめんと謝った。
「だけど率直に言ってさ、料理上手じゃないんじゃない、キミの母親」
「そんなこと、ない」
母はアサヒのために三食きっちり作ってくれている。仕事でいない日の分だって、作り置きしてまで準備してくれるのだ。アサヒは母の料理を毎日食べているが、家でも学校でも残したことはない。
「ちょっと、それはないんじゃない?」
眉間にしわを寄せたサラダがいのじんを注意する。チョウチョウは購買で不在だ。
「じゃあ、ほら。……あ、卵焼きとご飯以外にしてね」
いのじんはサラダの前にアサヒの弁当を差し出す。サラダは一瞬躊躇ったが、話が進まないと思ったのか、自分の端でおかずを一品摘まんだ。一度置いて一口大に切ってから口に運んだ。
「うっ」
「でしょ?」
「……これは……、確かに、ちょっと」
サラダは顔を青くして口元を覆った。サラダにまで言われ、アサヒの不機嫌は絶頂だ。
「……だから、なんなの」
いのじんを睨みつけながら言ったアサヒに向かって、いのじんは見つめ返して口を開く。思わぬ真剣な眼差しに、アサヒは少したじろいだ。
「キミ、発育不良なんじゃないの」
「……え?」
「ちゃんと食べてるって言ってたけど、無意識に食べる量制限しちゃってるんじゃないかって思ってさ。この弁当箱だってかなり小さいし。これ、本当は二段弁当のやつじゃん」
いのじんはアサヒの弁当箱を持ち上げながら言う。確かにアサヒは二段弁当の上段だけを使っている。母からは足りるのと聞かれたが、それだけでお腹いっぱいなのだ。
「少ないとは思ってたけど……。アサヒ、もしかしてアンタって三食こんな感じなの?」
「ん、そうだよ。……少ない?」
いのじんにもサラダにも少量だと言われ、残ったスミレを見ながら問うと、スミレも頷いた。そして顔色を変えて続けた。
「アサヒちゃんが体力ないのもこのせいなんじゃ……」
「そこはわかんないけど、普通にヤバいね」
サラダが厳しい顔つきで眼鏡の位置を直した。
アサヒは周囲の緊張に戸惑いながらいのじんに視線を戻す。いのじんはおかずを口に運んで唸った。飲み込んでからアサヒに向き直る。
「一回、ちゃんと相談した方がいいんじゃない」
空になった弁当箱を片付けている涙目のいのじんに、とうとう怒りは霧散した。
アサヒはそれからずっと沈んでいた。
肩を落としながら、どうしようかと悩む。いのじんだけでなく他のふたりにもそうした方がいいと言われてしまった。いのじんも嫌がらせでなく、アサヒを心配に思ってくれていたようだった。でなければこんなことわざわざしたりしないだろう。
母の手料理。美味しくないと思ったことはない。けれど言われてから思い出してみると、卵焼き以外に美味しいと思ったこともなかった。以前購買で食べたアンパンをこんなものが購買にあっていいのかと感動して食べていたけれど、母の料理に慣れていたアサヒが過剰に思っていたのかもしれない。
ともあれ、いきなり母に相談するのはハードルが高い。
他に頼れる人と言えば……。
考えてから、とりあえずシノに相談してみようと思いアサヒは校舎に入った。
「あ、せんせ」
職員室に行くとすぐにシノを見つけた。声を掛けようとして、シノが落ち込んでいるのに気づいた。
アサヒは先ほどの事件を回想した。
まき散らされた資材が原因で補修作業をしていた作業員の堪忍袋が切れ、生徒に危害を加えそうになった授業中のことだ。その時シノは体調不良で休んでいて、結局ボルトたちが事件を解決した。シノは自分が居なかったために起こってしまったと後悔しているようで、他の先生に慰めの言葉を掛けられていたがシノには響いていないようだった。
先生のせいじゃないのに。
シノのせいだと思っている人は誰一人いないだろう。朝の件だって、誰が悪いというわけではない。少しずつ、タイミングや好き嫌いや色々なものが重なり合って怒ってしまっただけなのだ。
「……」
きっとアサヒのことを助けられなかったことも、シノが凹んでいる一因になっている。口下手なアサヒが慰めたって、かえって逆効果になるかもしれない。――朝の事件が起こった時、動けもしなかったことが頭をよぎった。
「……へたれ」
一言、自分を詰った。アサヒは踵を返し、職員室から立ち去った。
わかっていて猶どうにかしようとしない自分が、たぶん一番どうしようもない。