自習中、
周囲は外ということもあって誰に憚ることなくおしゃべりに興じていて騒がしい。その中でもサラダやスミレ、メタル、デンキなどは真面目に自習していて、シカダイ、ボルト、いのじんは堂々とゲームで遊んでいる。
「オレもゲームしてえ……」
「その問題が終わったらな」
「くそっ」
イワベエは昨日の授業で分からなかったところをやっているようで、愚痴をボルトに一蹴されている。ほっぽりだして遊ばない辺り、性根が真面目なのだ。
チョウチョウは当然のようにお菓子を食べながら月刊誌を捲っている。
アサヒは何をするでもなく、気配を消しひとりで膝を抱えていた。空はアサヒの感情を写したように曇っていて、ふて寝をする気にもならない。
アサヒは自分が小心である自覚がある。人見知りの一因であり、それだけで済めば良いのだけれどそういうわけにもいかない。極端に言えば、誰かに立ち向かうことができないのだ。訓練の場や冗談であればいいのだけれど、真剣な場面では思わず逃げてしまうのだ。例えばイワベエから、作業員のひとから、シノから。そしてなにより、母から。
誰かと関わりたい。――誰とも関わってはいけない。相反する思いがアサヒの中にはずっとある。解決するには母と対峙しなければいけない。それはできない。できるようになりたい。なれはしない。
混濁する感情がアサヒの中を回るだけ回って、結局するともしないとも結論づかず、願望のままアサヒの中に居座っている。
「……きもちわるい」
胃のあたりが重いような、スース―するような、感覚まで矛盾してきて唸った。額を膝に押し付ける。
「おい、大丈夫か?」
肩に触れながら、誰かがアサヒに声をかける。聞き覚えのある声だ。
「……ん」
呻くようにアサヒが答えると、ため息交じりの声がした。
「どっちだよ……」
「だいじょーぶ」
「……」
放って置いてほしい。アサヒが投げやりに答えると今度は本当にため息をつかれた。長い長いため息と一緒に、めんどくせーといつもの口癖。
アサヒの身体が宙に浮いた。本日二度目の地に足がつかない感覚に驚いて、思わず顔を上げた。
「シカダイ?」
「……ちょっと黙ってろよ」
アサヒが名を呼ぶと、顔を正面に向けたままそれだけ言ってアサヒを立たせたあと、腕を引いた。
「シカダイくん、ひとりでどこ行くんですか!? サボっちゃだめですよ!」
「あー……、便所」
「絶対嘘じゃないですかっ!」
メタルが引き留めようとするのを雑に躱して、シカダイはどこかへ向かっていく。歩いていて違和感のないようにその両手はアサヒの手ごとポケットに突っ込まれている。
シカダイはメタルにトイレと言い訳したからか、一度校舎に入り、反対側から外へ出た森へ入って行く。
どこへ行くのだろう。
黙るよう言われていたため口を開けず、アサヒはポケットに引きずり込まれている方の手を小さく引いてみるが、気付かれない。うっかり強くひいて振り払ったと思われたくなかったので、今度はシカダイの手を握り返してみた。シカダイがピタリと動きを止めた。当然距離を置かずに追従していたアサヒはその背に衝突した。
「うっ」
「あ、わり」
今の今までアサヒのことを忘れていたとでも言わんばかりの『あ』だった。
「……もう、喋っていい?」
「あ? おー。ふたりで行くとあいつら面倒だからな。誰も気づいてねえみたいだし、上々だろ」
そういえばメタルが「一人で」と言っていたのを思い出した。なるほどそういう意味があったのか。アサヒが納得していると、再び手が引かれた。
「どこいくの?」
「どこって決めてるわけじゃねえけど……まあ見つからないようなとこだな」
シカダイが引いた方の手を見ながら答え、一拍間をおいて歩き出した。アサヒは一歩遅れてさっきと同様についていった。
しばらく歩いてから「ここ登れるか」と聞かれたので頷いた。寧ろ木登りが出来ない生徒はクラス中一人もいないだろう。
「……」
「……?」
てっきりシカダイが先に登ると思っていたのだが、一向に動かない。訝し気に見ていると、シカダイが言いずらそうな顔で言った。
「アサヒ、手」
「ああ」
忘れていた。アサヒがぱっと手を離すと、シカダイは颯爽と木を登った。アサヒもすぐその後を追う。シカダイが木の幹に背を預け座ったので、アサヒはそれとは違う、すぐ近くの枝に腰を下ろした。
「で?」
と、いつかのカカシように言う。
「……で、って?」
「あんな状況で大丈夫っつっても、説得力の欠片もねーよ」
じゃあ、なんで聞いたんだ。アサヒがじと目でシカダイを見る。視線に気づいたシカダイが両目を閉じた。「いきなり連れてけってのか」連れて行かないという選択肢はないらしい。
「何があった? 昼、いのじんたちと何か話してたよな。なんか言われたか?」
「言われた、けど、それはいい」
あれはいのじんなりに考えてのことだった。もっとやりようがあったのではと思わないでもないが、そういうまどろっこしいことができる性格ではないのだろう。良くも悪くも率直だから。
するとシカダイは安堵したように息を吐いた。幼馴染みだと言っていたし、気にかけていたのかもしれない。
「何の話してたんだよ」
「お弁当。おいしくない、って」
「は!? それあいつが言ったのか?」
「ん」
「マジかよ」
一転して頭を抱えてしまったので、アサヒは慌てて朝助けられてから母と話せと言わるまでの顛末を話した。
「なるほどな……」
シカダイは眉間を揉みながら言った。
「悪気がないのは、わかってる」
「悪気な……ま、とにかく、お前、どうすんだよ、かーちゃんに言うのか?」
「……」
シカダイはアサヒとその母親に何らかの事情があることは察していた。尋ねられ、アサヒは沈黙する。
「他に誰か相談できるひとは……、あんときの男とか」
「今は、いない」
カカシは一時羽を休めただけで、既に里を出ていた。そうでなくとも母の料理が下手なので何とかしてくださいとは癒えないだろう。母とカカシは付き合いが長いと聞いている。きっと正攻法にしろそうでないにしろ、その手料理を食べたことがないとは考えにくい。それで母が料理下手を自覚していないということは、カカシにはどうにもできないということだ。
だからシノに相談しようとしたのだが……。
アサヒは自分の不甲斐なさを思い出し、また気持ちが悪くなっていった。胃がぐるぐるする感覚。
「……う」
「アサヒ?」
「きもちわるい……」
「はっ? おい、しっかりしろ」
アサヒがいる枝に移ったシカダイが背に触れる。
ぐるぐるぐるぐる。
アサヒの中で渦巻く感情が、ついに音になった。
「……」
「……」
「飯、食い行くか」
シカダイが今日で一番大きなため息と共にそう言った。

アサヒはシカダイに連れられるが儘、アカデミーの外へ出た。居眠りはするがサボるのは苦手なアサヒが躊躇っていると、
「もうすぐ授業終わるし、チョウチョウ辺りに気づかれてるかもしれねーからな。頓珍漢な想像が今回ばかりは当たりそうだ。あー、めんどくせー」
心底げんなりした顔でシカダイがそう言ったので、そういうことならとアサヒも頷いたのだ。恩を仇で返すのは忍びない。そう思ってそうしたのだが、外へ出ても結果的にそうすることとなった。
「……ごめん」
「お前が金持ってないのは予想してたし、気にすんな」
ファストフード店の席に座り、シカダイから奢ってもらったハンバーガーを受け取りながら深々と頭を下げると嫌そうな顔で頭を上げさせられた。
「ハンバーガー、はじめて」
「マジかよ。この時代にそんなやついるんだな」
シカダイが自分の分のハンバーガーの包みを開けながら目を瞬いた。アサヒは基本的に母の料理以外食べたことがない。購買を使ったのだってあの日が初めてだった。
ドキドキしながら一口食べる。
「!!」
美味しい。母がご飯派なのでパン自体あまり食べないのでパンというだけで新鮮だが、それとは比べ物にならない衝撃がアサヒを襲った。じわりと涙が浮かぶ。
「おいひい」
「大げさだな」
マスクを下げ露わになった頬を膨らませるアサヒにシカダイが小さく噴出した。
「でも、なんでハンバーガー?」
「安いからな。ボルトが好きでよく来んだよ」
「安い?」
「まあ、ファストフードってそんなもんだろ。……もしかして相場分からねえのか?」
「ん」
「……なるほど、箱入りってことか。どっちかっていうと籠か? ……あ」
ガラスの向こうを見ていたシカダイが、やべえと顔を青くした。
「アサヒ、お前今気配は――」
「? ふつうだよ」
店員に分かるように気配指数を上げておけとアドバイスしてくれたのはシカダイだ。そう返すと「だよな」と途端に悲壮感に暮れた。
どうしたんだろう。
アサヒはシカダイが見ていた方を見るが、特段変わったものはない。
「いらっしゃいませー」
「中に連れがいる」
後ろでそんな会話がなされるのを聞きながら本人に聞こうとシカダイを見ると、青い顔で冷や汗を流しながら頭を抱えていた。いのじんの行いを聞いた時とは比べ物にならない絶望っぷりだ。
「ど、どうし――」
「アカデミーサボってこんなところで、良いご身分だな?」
アサヒが顔を覗き込みながら尋ねるより先に、後ろからドスのきいた声がかかった。
「説明してもらおうか、シカダイ」
かーちゃん。
金髪を二つに結った美人なひとを、シカダイはそう呼んだ。

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