ふたつの建物と木々に囲まれ、人通りのないそこは、いわゆる告白スポットだった。
そこに、名も知らぬ二つ上の先輩と一色くんが向かい合って立っている。今まさに告白がなされんとする、青春の情景だ。―その主人公のひとりである一色くんに寄り添うように別の女子が立っていなければ。
そしてその女子が、私でさえ、なければ。
中学生ともなると、誰が誰を好きだとか、誰と誰が付き合っただとか、そういう色恋沙汰が欠かなくなる。それがたとえこの遠月学園中等部だろうとも。
生憎私には縁がないが、私の隣の席の男子、一色慧くんは違う。彼は頻繁に昼休みや放課後に呼び出されては告白を受けていて、今も二つ上の先輩。つまり三年生の女子の呼び出しに出向いているところだった。
クラスの情報通なひとびとが話すところには、そのひとはとても美人で、そして同時にたいへん優秀らしい。才色兼備というやつだ。
教室内の会話に耳をそばだてながら、私は英語のテキストをシャーペンの先で突いた。
私が最後の問いに唸っていると、教室がざわめいた。
一色くんが帰ってきたのだ。いつもの表情のままの彼に野次馬が集る。
「えっ、振っちゃったのかよ! もったいねー」
彼の発した声は、教室中に広がると同時にクラスメイト達の話題を塗り替えっていた。何人かが安堵の声を漏らしたのが私でもわかった。モテるな、一色くん。
一色くんが野次馬をあしらいながら私の方へ歩いてくる。彼は私の隣の席なのだ。
「あ、ねえ、一色くん」
「ん? なんだい?」
「英語の予習ってやってる? 次の授業のやつ」
「ああ、やってるよ」
「記号のとこの、最後の問題って何になった?」
「最後か。aかなとは思うけど……自信ないな」
「そうかー、私もaにはなったんだよね。じゃあまあこれでいっか」
私は一色くんの方に寄せていた身体を起こして、改めて英文に目を滑らせた。
遠月学園もあくまで中学校だから、こういうふつうの授業がふつうにある。特に外国語に関しては、通常校よりもレベルが高いと思う。まあ、留学したり、将来使う可能性が高いからだろう。学年が上がると中国語とかフランス語とかも選択できるようになるらしい。まあ、地元に居続ける予定の私には関係のない話だけど。
「……ねえ、みょうじさん」
「んー?」
一色くんの呼びかけに、私は長ったらしい英単語を脳で空回りさせながら、彼を振り向いた。相変わらず目も口も緩やかに弧を描いているのに、雰囲気が妙に真剣みを帯びていて、すこしどきりとする。
「みょうじさんは恋愛に興味ある?」
「えっ」――と、私が反応を返す寸前で、本日最後の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
恋愛。
誰が誰を好きだとか、誰と誰が付き合っただとか、そういう色恋沙汰に、興味がないわけではない。
私の周りにいるひと。つまり一色くんや新堂くん、ついでに叡山、矢切はそういう話題を一切しないから、必然的に中学に入ってから恋バナの類をすることはなくなった。小学校の時に好きなひとランキングみたいな遊びをやっていたのが遥か昔のことのようだ。
「えー、では次。ここの問いは……みょうじ」
「はい。aです」
「正解」
先生が本場の英語を駆使しながら解説をし始めた。
私がなんとはなしに一色くんの方を見ると、それに気づいて彼が私を見た。にこりと微笑まれたので、小さくサムズアップしておく。あってたね、の意味を込めて。
というか、あの唐突な質問は、何をおもってのことだったんだろう。一色くんは何を考えているのかよくわからないところがあるからな。まあ理由はさておき、結局私の彼の質問に答えられなかったわけだけど、また訊いてくるだろうか。なんて答えよう……。
そんなことを考えながら上の空で授業を受けてうちに、本日の学業は終わりを迎えた。
チャイムの音と、一気にざわつく教室。
んー、と私が背伸びをしていると、一色くんが「みょうじさん」と言った。
「今日の放課後って、時間あるかな」
そういって連れてこられたのは、学外のカフェテリアだった。私が駅まで歩くので、その途中にある店なのだけど、高そうだなーと思いながら見てた店だ。一色くんは何度か来たことがあるのか、店長らしきひとと見知った風だった。
簡易的な仕切りに囲まれ半ば個室と化しているが、正直ふつうの中学生が来るような雰囲気ではない。まあ一色くんはふつうじゃないんだけど。つまりここにふさわしくないのは私だけですね。
「今日は、聞きたいことと相談があるんだ」
「ふうん、あんまり人に聞かれたくないことなの?」
「まあ、そうだね。付き合わせてしまってすまないね」
「いーよ。たまにはこういうのもさ。友達と買い食いとか、初めてだからどきどきするや」
お金が足りるかどうかでもどきどきしてるけど。店員さんが持ってきてくれたメニューを受け取りながら思った。
「付き合わせたお礼に、ここは奢らせてほしいな」
「えっ。い、いいの?」
私の不安を見透かしたように、一色くんが言う。ここであんまり断る気がないのが私が私たる所以である。
「もちろんだよ」とそう微笑む一色くんは神だ。
なるべく安いのにするね。と声に出さずに思ってから、私はメニューを一通り読んだ。全体的に高かった。プリンタルトおいしそうだな……、でもケーキは高いな。ミルクティーにしよう。いやでもプリン……、……。
「決まったかい?」
「うん。ミルクティーにするよ」
私がそう答えると、一色くんは店員さんを呼んだ。
「ケーキセットを2つ。ケーキは季節のフルーツケーキとプリンタルト。飲み物はミルクティーを2つでお願いします」
私が口をはさむ間もなく、丁寧にお辞儀をした店員さんはメニューを回収して帰って行った。
「えっ、なんでわかったの?」
「プリンタルトの写真、ずっと見つめてたから。余計なお世話だったかな」
「ううん! 食べたかったよ。ありがとう」
一色くんはすごいな。モテるわけだよ。
「あ、それで、相談ってのは?」
奢ってもらう分、ちゃんと仕事しないとね、と私は気合を入れて尋ねた。
「ああ、そうだね。それより先に、さっきの質問をもう一回していいかな。みょうじさんは、恋愛に興味はある?」
「今はないかなー、まだ私には早いや」
ちょっとだけ嘘を吐いた。いやだって、ありますって答えるの恥ずかしいし。
「そういう一色くんはどうなの? 今日も告白されたんでしょ?」
少しだけの嘘が気まずくって、私は何か言われるより先に一色くんに訊いた。
「うん。相談っていうのは、そのことなんだ」
「え、そうなの? 振ったって言ってたから、終わったもんだと……」
「それが少し困ったことになってね」
眉尻を下げながら、一色くんが事情を話し始めた。
今日告白してきた二つ上の先輩。つまり現三年生の先輩は、美人で、優秀で、そしてちょっと、ちょっとだけ根性のありあまったひとだった。交際の提案に対して、一色くんは毎度あとくされないよう、結構ばっさり断っているらしいのだが、その先輩は圧倒的な情熱をもって喰い下がってきたそうだ。
「勉強の邪魔はしないわ」「むしろ、教えられることも多いはずよ」「好きなひとや付き合ってる人がいないなら」「いえもしいたとしても」「お試しでも二番目でもなんでもいいから」「お願い」
一色くんは困った、とはっきり言っているけれど、私からすれば、うらやましいと思う。そんな熱烈に思われていることが。そして、それだけの熱意をもって誰かを好きになれることが。
さっきは一色くんの問いに嘘をついたと思ったけど恋が私に早いというのは、まったくただしいことのように思えてきた。
まあそれは置いておくとして。
「でも、私を恋人として紹介して諦めてもらうってのは、ベッタベタだと思うよ」
「そうかな」
「うん。さすがにバレそう」
まだ新堂くんをつれていった方がインパクトも説得力もありそうなものである。
私がそう言うと、一色くんはうーん、と顎に手を添えてから「幸太郎くんに変な噂が立つのは良くないから」と首を振った。確かに、それもそうか。
「こういうことを頼めるのがみょうじさんしかいないんだ。頼めないかな……」
少し身を乗り出した一色くんは、髪をふんわりと揺らしながら、上目遣いに私を見つめた。まるで仔犬だ。ずるいぞ一色くん!
「うぐぅ」
「みょうじさん……」
「ま、まあいつもお世話になってるし……今日も奢って貰っちゃうわけだし……? い、一日くらいなら……」
いいよ、と私が小さく言うと、一色くんは普段通りの顔でにっこりと笑った。
「ありがとうみょうじさん!」
「……」
ずるいぞ一色くん!!
「助かるよ。本当に。……あ、来たね。おいしそうだ」
計ったかのようにタイミングよく運ばれてきたケーキは、一色くんの言う通り本当においしそうだった。
丁寧に並べられたスプーンを手に取って、さっそくプリンタルトを頬張った。おいしい。合間にミルクティーを挟む。おいしい!
もぐもぐと食べ進めていると、ふと一色くんのフルーツケーキが目に入った。様々な果物が贅沢に使われていて、色鮮やかだ。
「一口食べるかい?」
「いいんですか!」
私が迷いなく提案に食いつくと、一色くんは愉快そうに目じりを緩めた。
「もちろん。はい、あーん」
器用にフルーツとスポンジ、クリームをバランス良く取り分けた一色くんは、そのケーキ部分を私に向けながらそう言った。
「え。……あ、あーん」
差し出されたそれに、顔を寄せて口に含む。一色くんは気にしていないようだけど、だからか余計に気恥ずかしい。そんな私に追い打ちをかけるように一色くんが続けた。
「僕もそれ、一口欲しいな」
「あ、うん、いいよ」
「ありがとう」
そう言って微笑んだ一色くんは、身体を少しこちらに寄せながら、軽く口を開けた。
「え」
「くれないの?
「あ、はい。ど、どうぞ」
手元が定まらなくってほとんどプリンしか掬えなかったスプーンを、一色くんの口元にまで運ぶ。彼の唇が、スプーンをなぞってケーキを取り去った後に、弧を描いた。
「ごちそうさま」
店の外に先に出ていると、お会計を済ませた一色くんも出てきた。
「ごちそうさまです、一色くん」
「ううん、こちらこそ、色々ありがとう。じゃあ、帰ろうか」
「うん。って、一色くんは寮だからこっちじゃないじゃん」
自然に同じ方を向くのでびっくりしたが、完全に逆方向である。
「駅まで送っていくよ」
「いいよ。まだ遅くもないし……」
「僕が送りたいんだ。ほら、僕たち恋人じゃないか」
「ウッ」
その甘ったるい響きに、心臓がすくむ。
「明日に向けての予行演習さ」
「わ、わかったよ、おねがいします……」
「ありがとう。じゃあ、はい」
にっこり笑いながら、一色くんが手を差し出してきた。
「え、なにこの手」
「なにって、つなぐのがふつうだろう? だって僕たち……」
「わわ、わかった、わかったから……!」
きゅ、と一色くんの手の、薬指と小指の辺りを握ると、するりと彼の手が動いて、私の指の間を割って入ってきた。
「うえへっ」
「ふふ、変な声」
「だ、誰のせいだと……」
振り払うとまた「だって僕たち」と言われることは目に見えている。私には手汗落ち着けーと願うことしかできなかった。
と、そういうわけで、冒頭の状況に戻ると。
つまりこの状況は、私がその先輩に一色くんの恋人として紹介されている場面なのである。周りには付き合っていることは秘密で、ただの友達ということにしているが、ひと月ほど前から一色くんから押されて付き合い始めた、という設定付きだ。
「だから、すいません。僕は彼女以外には考えられないんです」
言いながら、一色くんは私の腰を引き寄せた。どきどきするからやめてほしい。
私は特に何を言うでもなく。明後日の方向に顔と視線をうろちょろさせている。はずかしいのだ。
「そう……なら諦めるしかないわね」
酷く沈んだ声音で、先輩が言った。私がちらっとその顔を窺うと、ほんとうに悲しそうな顔をしていた。罪悪感で胸が痛む。
「ありがとう、一色くん。まだあなたのことが大好きだけど、きっといつか忘れるから、安心してね」
「はい、先輩」
美しくはかなげに微笑む先輩に、一色くんも微笑み返した。先輩がくるりと踵を返し、去っていく。その姿が建物の角に消えて行ったのを見届けて、私は深いため息をついた。
「いやー、これでひと安し――んぐ」
「しっ」
一色くんの肩口に、顔を押し付けられる。
「たぶん、まだ見てる気がする……」
身長が同じくらいなので、耳元で囁かれ、ぞわっとする。
「ごめん、もう少し、このままで」
「う、うん」
ぎゅーっと抱きしめられている現状に胸が痛い。一色くん意外と力強いな。ていうかこれ、私も腕まわした方がいいのかな。どうすればいいんだ、うう……。
私が勝手にぐるぐると目を回していると、一色くんが「よし」と呟いてから私を解放した。
「じゃあみょうじさん、教室へ帰ろうか」
その言葉に、私はこれで終わったと胸を撫で下ろした。とても心臓に悪かった。これ以上の負荷は、おこちゃまに耐えられない。ぱたぱたと赤くなってた顔に風を送っていると、「そうだ」と何でもないことのように一色くんが言った。
「念のため、今日の放課後も一緒に居たいんだけど、いいかな?」
私に拒否する気力がないのを知ってか知らずか、私の手をそっと取りながら、一色くんが覗き込んでくる。
うん……ともはや脳死で答える自分を自覚しながら、私に恋愛はまだ三年くらい早いな、と思った。