そんな貴方だから好き

ディーノさんとの二回目のデート――のその前に。
私にはひとつ、熟さなければいけないミッションがあった。

ベットの上でうつ伏せに寝転んで、ケータイをカチカチと弄った。

新たに増えた一件のアドレス。日本名の人以外いなかったアドレス帳で、『デ』から始まる彼の名はかなり浮いている。じっと見ていると肋骨の下でぎゅうっと変な感覚がして、振り払うようにメール作成画面を開いた。

【設楽です】

件名のフォームに打ち込んでから、設楽を習に変えてみる。次にシュウ。どれなら読めるんだろう。日本語上手だし、そんな心配しなくてもいいかなあ。寧ろ失礼になってしまうのでは。
別の心配が沸いてきた。一周回って設楽に打ち直して、またケータイの画面をじっとみつめる。

「うーん……」

下の名前を名乗るのは慣れていないのだけど、ディーノさんは私のことを下の名前で呼んでいる。
彼に合わせてやっぱり名前で……。いっそのことフルネーム?

【設楽習です】

「……硬い! 硬すぎる!」

仕事じゃあるまいし!
思わず叫んでしまった自分の感情を沈めるべく、私は枕に顔を勢いよく沈めた。

「難しい……」

それからあーだこーだと思う存分悩んで、結局シュウと打ち込んだ。
さて、本題だ。

「えーと」
【今日はありがとうございました。
明後日の】
「……」

そこまで打って手を止めた。明後日の……なんだ? デートと言うのは恥ずかしいから却下だ。

【明後日の外出のことですが、講義は1時までなので、それ以降だったら何時でも大丈夫です】

打ち終えて誤字がないか確認したあと、やはり飾り気がなさすぎるのではと、文末に絵文字を付けては消しを三回繰り返した。

これで行くと決め打って、送信ボタンの上に指を添える。

「……」

どきどきと心臓が高鳴る。脈拍は徐々に早くなっていき、心臓が耳の傍にあるのではというほどにうるさい。ボタン上の指はプルプルと震えていて、いっそその震えのままにボタン連打できればいいのにとさえ思う。

このままではらちが明かない。今の時刻は5時59分。6時になったら送信しよう。
私はベットサイドにおいてあるアナログ時刻を見つめた。
10、9、8、7――

ピーンポーン
「!?!?」

肩がビクッと跳ねて、延長線上の手がきゅっと握られる。

「あっ」

気付いた時にはもう遅く、携帯の画面をみると、そこには送信中の三文字。慌ててキャンセルのしようとしたが、固まっていた身体のせいで僅かに間に合わなかった。

「あー! あ――!!」
「宅配便でーす!」
「はい!! ……あー! もう!!」

荷物は地方の祖父からで、中身はお米と野菜だった。
6時以降はだいたい家にいるという私の言葉を汲んでくれたのだろう、6時〜8時の時間指定配達だった。ありがとうおじいちゃん。

***

大学の講義を終えた私は、昨日はゴメンねと謝る友人を適度にあしらって、ディーノさんに指定された場所に向かった。

【明日のデート楽しみにしてる】

移動のバスの仲、昨日最後に届いたメールの末文を開き指でなぞった。
デート。
私が一昨日避けたその単語を、その後のメールでさも当然のように持ち出され、しばらく悶えていたのだが、今となってはただただ嬉しい。にやつく頬をがんばって自制していると、運転手が目的地を告げた。

バスから降りてあるくこと数分、一度友人に誘われてきたことのある小洒落たカフェに入った。
店に入ると、すぐにディーノさん(と、その隣の黒服さん)を見つけることができた。きれいな金髪と整った顔立ち、抜群のスタイルが客や店員の注目を集めているのが空気で分かった。

そのあまりの目立ちっぷりに対応してくれた店員さんに「待ち合わせです」と言ったっきり、彼の方へ行くのを躊躇していると顔を上げた彼と目があった。

「シュウ!」

心底嬉しそうなその笑顔に胸がときめく。唇を小さく噛みしめつつ、彼の待つテーブルへ向かった。
立ち上がった彼に座らせてもらって性懲りもなく高鳴る心臓を抑えつつ、注文を取りに来た店員にブレンドコーヒーを頼んだ。前友人がおいしいと言っていたので気になっていたのだ。ディーノさんは追加注文で抹茶ラテだ。
代わりに運ばれていく空のティーカップを見て申し訳なくなった。

「すいません、待たせてしまって」
「シュウと会うのを待つのが楽しくないわけないだろ? それに時間には間に合ってるだろ、律儀だな」
「そ、うですか……」

コーヒー、アイスで頼めばよかった。

しばらく雑談してからそろそろ出ようかという頃合いのとき、ディーノさんがお手洗いに席を立った。
待っている間、友人と父親からのメールに返信しようとバックの中にある携帯を探していると、正面に人が座った。
ディーノさんにしてはあまりに早いので驚きながら振り向くと、黒服の男性が座っていた。

「ひっ!?」

一瞬肩を震わせたが、そのひとがディーノさんに付き添っているひとだと気づき、胸を撫で下ろした。

「驚かせてしまって申し訳ありません、自分はこういうものです」

頭を下げると同時に差し出された名刺を受け取りつつ、私はとりあえず「設楽です」と名乗った。
明らかに年下の小娘相手にも拘わらず、下手に出慣れているような気がする。
真っ黒な見た目も含め、私はそのひとになんとなく異質さを感じながら、名刺に目を落とした。
このひとはロマーリオさんというらしい。

「自分たちはこれ以降付きまとうような野暮な真似はしませんので、ご安心ください」

それではこれで、と私の反応を待つことなく颯爽とロマーリオさんと他一名の黒服さんは店を出て行った。
てっきり彼らはディーノさんのSPか何かだと思っていたのだけれど、いなくなって大丈夫なのだろうか。……確かにふたりっきりは嬉しいのだけれど、それ以上に何かあったときに困るというか、何というか。大概自分勝手な人間なのだ、私は。

「……ていうかやっぱり、住む世界が違う……」

名刺を財布にしまいつつ、ぽつりとつぶやいた。
まずプライベートな外出にSPらしきひとが付いている時点でわかっていたことではあるのだけれど、実際にロマーリオさんと話してみて、醸し出す空気が常人とは違う……気がしたのだ。
それにロマーリオさんの名刺に書かれていた役職が所謂重役で(何故重役が付き人なのかという疑問はあるが、日本とイタリアでは制度が違うのだと思う)、その上司であるディーノさんはいったい何者なのだろうか。

「シュウ? どうかしたか?」
「あ、ディーノさん。……いえ、何でもありません。そろそろ出ましょうか」
「そうだな」

お手洗いから帰ってきた戻ってきたディーノさんに再びエスコートされ席を立ち、出口まで誘導される。

「え、あの、お会計は……」

私がレジを見ながら言うと、ディーノさんがにっこり笑った。
その意味を察した私は顔を青くした。

「支払いま――」
「ん?」
「――・……、……ごちそうさまです」

完全に油断していた。
有無を言わせない笑顔を向けられ、人目のある場所で揉めて悪目立ちするのは嫌なので、私は大人しく引き下がることにした。

悔しさとときめきが入り混じった複雑な気持ちで出入り口を潜る。カフェから離れて今日行く予定のモール街へ向かうおうとしたとき、ディーノさんの胸ポケットで携帯が鳴った。
一言断りを入れてからディーノさんが電話を取る。

「――?」
『――、――』
「――! −−」
『――』

たぶんイタリア語でなされている会話は私には聞き取れない。
一昨日のような急な呼び出しでないといいのだけれど、と不安になりながら、それを出さないように努めて電話が終わるのを待った。

電話を切ったディーノさんは珍しく苦い顔で私を見下ろした。

「……シュウ、ロマーリオと話したか?」
「え? あ、はい。まあ話したといっても、私は自己紹介くらいしかしてないですけど」
「何か言われたか?」
「えと、もうついて行かないって……」

私がロマーリオさんに言われたことを思い出しながらそう言うと、ディーノさんが片手で顔を覆った。

「……すまん、迷惑かける」
「え、いえ、全然大丈夫ですよ」
「いや、これからの話だ」

私が首をかしげてディーノさんを見ていると、視線に気づいたディーノさんが一度深呼吸をしてから意を決したように「行こうか」と笑った。

「ええと、言ってた通り、文房具店行きましょう」
「ああ、そうだな。日本の万年筆を見たいと思ってたんだ」

そう言ってディーノさんが一歩踏み出して――頭から盛大にすっころんだ。

「んがっ」
「えっ」
「……いてえ」
「っだ、大丈夫ですか!?」

起き上がらない彼の身体を支え起こすと、うっすらと涙を浮かべたディーノさんははっとして立ち上がろうと背の後ろに手をついた。

「わ、わりい、大丈夫だ」
「ああ、顔! 擦り傷できてるじゃないですか!」

立っているときよりも近づいた顔についた小さくない傷を見て、私ははっと息をのんだ。

「血が、血が……!」
「シュウ、落ち着けシュウ、大丈夫だって!」

ディーノさんが何か言っているが私の耳には右から左だ。
ただの子供ならともかく、おそらく相当な立場にいるひとの顔から血が流れていることに血の気が引く。ロマーリオさんの強面な顔が脳裏をよぎって、背筋が凍った。
絆創膏を持ち歩いていない自分を呪ったが、視界に入ったドラックストアが輝いて見えた。

「ちょ、ちょっと待っててください!」
「あ、おいシュウ――」

近くのベンチに腰を落ち着けたディーノさんを残し、私はドラックストアに入った。
急いで消毒液とガーゼ、絆創膏を手にもってレジに並ぶ。カゴを取る時間も惜しい。
レジを担当した店員も私が急いでいることを察してくれて、心無し手早く会計をしてくれた。

「ありがとうございました」

店員と私の礼を言う声が重なった。

その流れでとっとと店を出ると、ディーノさんといっしょに三人の学生がいた。その中に銀髪の少年がいるのをみて不良に絡まれているのではとぎょっとして、思わず駆け寄るのを踏みとどまった。もしもそうなら、私が行っても良いカモになるだけだ。
私がそうして戸惑っていると、ドラッグストアから出てきた私に気付いたディーノさんが私の名を呼んだ。ついさっきもこんなことがあったなと思いながら彼の方へ近づいていく。
さっきと違って集まった視線は女性たちのものではなく三人の少年のものだったけれど。

「えっ、女のひと……!?」
「あれ、あんたコンビニの……」

一番純朴そうな少年が驚いたような顔でそう言ったのに一瞬気を取られたが、その隣の少年が知った顔であることに気付き目を瞬いた。
バイトしているコンビニによく来る野球部の少年だ。顔見知りですらないけれど、毎日遅くまで練習している姿をよく見ていて、ストイックな彼に対する好感度はかなり高い。
まさか彼の方が私を知っているとは思わなかった。ぺこりと頭を下げておく。

「いつもご利用ありがとうございます」
「うっす、どーもっす!」
「……シュウ」

好感度に相応な笑顔で野球少年と挨拶していると、裾を引かれた。座っているせいで上目遣いに見られ、どこかがきゅっと締まった気がした。カフェを出てから妙に庇護欲が駆り立てられる。狙ってやっているんだとしたら恐ろしいひとだ。

私は三人にお話し中すみませんとひとこと言ってから応急処置を始めた。

「ディーノさん、失礼しますね。……染みますよ」
「おー」

彼の隣に座ってアレコレしていると、茶髪の少年がそわそわと身動ぎし始めた。

「はい、終わりです」
「サンキューな、シュウ!」

大きめの絆創膏は彼には不似合いだと思ったが、屈託ない笑顔を向けられると案外悪くないなと思ってしまった。
ずっとスマートな彼に主導権を握られっぱなしだったのに、いつの間にか近い位置まできている気がする。こんなに子供っぽかっただろうか、このひと。

「そのくらい屁でもねーくせに、甘ったれだな、ディーノ」

突然、本物の子供の声がした。しかもそれが自分の膝の上からしたものだから、驚かずにはいられない。

「えっ」
「リボーン!」

固まる私を他所に、ディーノさんが膝の上の赤ん坊をそう呼んだ。彼だけではない。前に並ぶ学生たちも各々赤ん坊のことを呼んだ。

「え、ええ?」

いつから、ていうかどこから? 流石の私も膝の上にこの赤ん坊が乗って気づかないわけがないはずなのだが、今の今までわからなかった。というかなぜ喋っているのか。
私がその赤ん坊を凝視していると、赤ん坊はディーノさんに向けていた視線を私に向けた。

「チャオ。おれはリボーン。殺し屋だぞ。……おまえがロマーリオが言ってたやつだな」

つぶらな瞳に見つめられ、緊張が溶かされていく。
殺し屋……ごっこ遊びか何かだろうか。ロマーリオさんとも知り合いということは、ディーノさんの親戚の子だろうか。
私はひとまずいろいろな疑問を保留して、赤ん坊――リボーンくんに向かって笑いかけた。

「こんにちは。私は設楽習、大学生です。えーと、よろしくね」
「ああ。ちなみに後ろの三人と隣の男はマフィアだぞ」
「そうなんだ。マフィア相手じゃ、私みたいなのはきっとされるがままだね」
「一瞬で木っ端みじんだな」

「このひとも遊びだろ思ってるー! まだ銃出してないだけましだけど!」
「リボーンさんに向かって生意気な口聞きやがって!」
「ははっ、まさかコンビニのねーちゃんこんなとこで会うとはなー」
後ろで三者三様に言われる言葉に気付かなかった。

「おいリボーン、シュウが困るからほどほどにしてくれよ?」

ディーノさんが少し困ったような顔で言った。私はそこで、私がリボーンくんを抱えていると学生たちまで拘束してしまうことに思い当たった。何かしらの事情でベビーシッターしているのだろうか、わからないが私が邪魔をしていいことではない。
私にもディーノさんとのデ、デートがあるわけで。

「じゃあ、そろそろ買い物行きましょうか……?」
「そうだな。じゃ、またな、おまえら!」

ディーノさんが立ち上がって三人に手を振っているのを見ながら鞄に消毒液たちをしまっていると、、まだいたらしいリボーンくんが言った。

「ディーノは普段からへなちょこだが、部下の前以外だともっとダメダメだぞ」
「え?」

リボーンくんの方を見ると、くりっとした黒目が至近距離にあってすごく驚いた。
私と違ってリボーンくんはその距離を物ともせず話始めた。ディーノさんの不思議な体質について教えてもらった私は、ぽかーんと口を開けた。
な、なんだその特殊体質……。
子供の虚言と一蹴することも当然できるのだけれど、事実だとすると突然の変調に納得がいく。

私は何もないにも関わらず、あまりにも綺麗なフォームですっ転んだディーノさんの姿を思い出した。
「ふふっ」
思わずにやけてしまった私をリボーンくんがじっと見ている。しまったと思うが遅い。
気味が悪い自覚はあったので、聞かれてもいないのに私は弁解を始めた。

「いや、あのね。ディーノさんも完璧じゃないんだなって思ったら、なんかちょっと安心しちゃって」

純正イタリア王子よりかは特殊体質持ちの方がまだ心臓に良い。
私が胸を押さえてそう言うと、リボーンくんは帽子をくいっと下げていった。

「ディーノのやつ、ヘンなのを捕まえたな」

さらっと罵倒されひそかに私がショックを受けていると、少し離れたところにいた少年が声を上げた。
「リボーン! 行くぞ!」
その声に応じて、リボーンくんは私の肩から少年の肩に飛び移った。変って、君に言われたくはないな?

「じゃあ、オレたちも行くか」
「……そうですね」
眩しい笑顔で差し出された手を見て、私は一瞬固まったのちにその手を取った。
相変わらず心臓に悪い。
それから歩き出したディーノさんの足取りを見て、私は思い切って腕を絡ませてみた。
「こ、こけないように、ですよ」
聞かれてもいないのに言い訳した私を見て三回瞬きしたあと、ディーノさんはありがとなといつもより緩んだ顔で笑った。