地獄と恋は落ちるもの

「バーカバーカ」
「何とでも言えや」


低レベルな悪口なんかお構いなしに、真島は煙草を箱から取り出し火を点け煙を吸う。隣で柱にもたれる名前は毘沙門橋の澱む水の面を眺めていた。藁やらビニール袋やら傘の骨やらが浮いていて、お世辞にも綺麗とは言いがたい。

音沙汰なく真島が神室町から姿を消して、しばらく行方が知れなかった。一年振りにはるか西の蒼天堀にて顔を合わせた二人だが、残念ながら感動の再会とはいかなかった。真島は迷惑そうに格別嫌な顔をしている。


「今すぐ神室町に帰れ」
「必死に真島君のこと探してた人に酷いこと言うなぁ」
「何も言わんと消えたことは悪かったと思っとる。けど今は帰れん。俺はここでやらなあかんことがあるんや」
「ふうん」


と名前はすこぶる軽薄な相槌を打った後、特に感想はなかった。話の合間に相槌を打ってはいるが、いまいち反応が薄い名前に真島は少なからず憂慮するところとなった。思わず歎嗟の吐息をついて念押しするように付け加えた。


「俺の言うたことが理解できたなら、さっさと帰ってくれ」
「はぁ。というか、帰ってこいなんて一言も言ってないですけど」
「は?じゃあ何しに来てん」
「えー、生存確認…?」
「なんじゃそりゃ」


突拍子もない名前の一言にただ呆れるばかりである。神室町からいなくなった理由とか何故隻眼なのかとか色々と質問攻めされると身構えていただけに、拍子抜けがした。


「女の子作って遠くに行ったんだったら、真島君引っ叩いてやろうかと思ったのに」
「そんなんするか、アホ」


結局のところ出てきたのは憎まれ口だったので真島が軽く名前を小突くと、わざと大袈裟に頭を両手で押さえて痛がる素振りを見せた。他者から見るとさっぱり価値もないくだらないやり取りだったが、自分たちになんらかの反響を残しているように思われて懐かしい心持になった。それから、二言三言話して、しばらく二人は沈黙していたが、たちまち川の方に向けらていた名前の眼差しが真島に投げられた。この時、初めて、互いの視線が交差したようだった。


「そういう服を着てるところ、初めて見たなぁ。意外と似合ってるじゃん」
「…こんな格好したくてしとるんちゃうわ」
「いやいや、本当、カッコいいと思うよ」


値踏みする様子を隠すこともせず、上から下まで嫌味ったらしく真島を見て、名前はけらけらと笑いながら茶化す。
ばつが悪そうな真島を一瞥した後、満足したような面持で「そろそろ帰ろうかな」と言った。


「やけに聞き分け良いな。なんか気持ち悪いわ」
「失礼な。帰れっつったの真島君じゃん」
「いや、まぁ、そやけど」


真島は腑に落ちないものを感じながら、すっかり短くなった煙草をもみ消した。


「駅まで送れへんけど気を付けて帰るんやで」



「ねぇ」と


「『今は帰れん』ってことは、いつか帰ってきてくれるんだよね」
「……あ?」
「早く帰って来ないと別の男にうつつを抜かすかも。あまり気が長い方じゃないから」
「…名前…」
「というか今、同僚とか先輩に言い寄られてモテ期到来しちゃってんだよね」
「はぁ!?なんやと!誰や!その不埒な男は!誰の女に手付けようとしとんねん!殺したるわ!」
「じゃ、真島君、またね!」
「ちょっ、待て!話は終わってへんぞ!」


真島の静止にかまわず、名前は振り返ることもせず手だけ振って人混みの中へ紛れ込んで行ってしまった。夜の蒼天堀通りは往来の人で混雑を極める。あっという間に名前を見失ってしまった。名前の軽快な後ろ姿を見送ると、真島は思わず眉を顰めて頭を振った。



「俺の彼女ながらゴツイなぁ」


街の喧騒にかき消されるくらいの真島の声は、当然名前を止めることはなく、