駅前で君を捨てた


 最近男と別れた。彼はイタリア人だった。彼は気まぐれで色んなところに行く人で、本当に付き合っていたかどうかもわからなかった。ダラダラと付き合ってからふと、彼は「俺はそのうち死ぬ」と、急に言ったのを覚えている。「どうしたの、そんなネガティブなこと言うなんて珍しいわね」なんて言うと「ま、俺自身も死ぬなんて思っちゃいねえけど」と付け加えて、ベッドに潜った。
 男の名前はデスマスクと言うらしかった。デスとついてる時点で不吉だし、それは本名なのかどうか分からないけど、少なくとも私はデスマスクと呼んでいた。彼は英語を喋った。日本語も覚えてよというと、発音がダサいからといってすぐに一蹴された。
 金を使うのが好きだった。高級料理店に似合わないくせに、よく私を連れて外食した。普段着はタンクトップばかりだったし、冬は分厚いコートをきて、マフラーと手袋を嫌った。ジーンズが似合っていた。顎髭は常にだらしなく伸びていて、キスをする度に顎に刺さってうざったらしかった。手はゴツゴツして堅く、握力が強くて度々行為中、盛り上がったデスマスクに絞め殺されそうになっては別れを切り出して、次の日に復縁をしていた。
 私はデスマスクが大好きだった。
 よくデスマスクについて行って、ギリシャにも行った。なんでか彼はギリシャ語も使えた。頭が良かったのだろうか?ホテルの部屋には人相の悪い男の人と、顔の綺麗な男の人もよく来た。スペイン人とスウェーデン人らしい。交友関係がよくわからない。二人が来た時、デスマスクはその二人とともに何日もホテルに私を放置する事が多かった。女遊びでもしているのだろうかと思ったけど、そうではないらしい。怪我をして帰ってくることも良くあった。
 怪我をしたままデスマスクは私について日本に来ることも多かった。現地解散も多かったけれど、弱ってる時は人の側に、女の側にいたかったのだろうか。私も嫌がることなく彼と帰国して、普通に怠惰な日々を過ごした。
「なぁ、なまえオレがしんだらよォ、お前はどうすんだ」
「知らない。そういう質問、わたし嫌い」
「怒ってんのか?」
「そんなことないわよ」
「冗談だろうが、な、怒るなよなまえちゃん、明日メシ奢ってやるからさ」
 そう言って後ろから抱きつかれて、ベッドに引きずり込まれるように倒れた。不思議な質問をされる事も、彼は変な単語を口走ることも多かったけど、そういうミステリアスな部分もまた素敵だな、だとか思ってうっとりと酔いしれたり。嫌いと言いつつ嫌いではなかったから、その言葉にいつも嫌い、嫌いと言ってはぐらかしてはベッドやソファーでじゃれあったりした。
 特に彼が私を嫌ってるだろうとか、そんなことは思わなかった。寧ろ好かれていただろうし、他の女の香水をつけてても私の所へ来ていたし、イタリアへ帰るといっては私を連れて行ったり。置いていったりしてもすぐに戻ってきた。

 でも、いつだったか長い時間彼は帰ってこなかった。

 カレンダーを数ページめくった。インスタントコーヒーが切れた。ジャムをひと瓶開けた。それでも帰ってこなかった。携帯のアドレスなんて知らなかったし、電話番号も、家も、何も知らなかったから、私はただ待っていた。

 あるとき。
 私が駅で、空港行きの電車に乗る時だった。
「よォ」
 彼は駅のベンチに深々と座っていた。軽く私に手を挙げて、前と同じような姿で私に久しぶり、元気してたか、などと声を出したのだ。その、軽い挨拶に私はカッとなって「どこに行ってたの」と、叫んだ。叫ぶとくっくっく、と肩を揺らすように笑って、私を小馬鹿にして、こう言う。
「いんや、ちょっくら地獄にな」
「地獄?冗談はよしてよ」
 また怒れば、さっきまで愉快そうに笑っていた顔から表情が抜けていって「本気だぜ」と、声を低く言ったのだ。背筋が凍るような声だった。私は無宗教だし、悪魔だとか、地獄だとか、そんなような類は信じていないのに、彼は本当に地獄に行ったんじゃないのか、だとか。そう考えてしまって、その考えを振り払おうとして、彼の手を引くと

 つめたかった

 何に触れたのかわからなかった。冷たくて、硬くて。私は思わず手を引くと、ぐっ、と腕を引かれた。動くのが不思議なような、表面柔らかいはずなのに硬い中身の無いような重いものが私の腕を引いていて、まるで、死後硬直の遺体に触れた時のような……!

「気付いちまったか」

 またくつくつと肩を揺らしながら笑うもんだから、恐ろしくなって喉から声がでた。