解無方程式
「先生。私、センターは散々だったけど、二次までに死ぬ程勉強するから、第一志望現役で受かったら1こ御願い聞いてくれませんか?」
卒業式の日。うちのクラスの良くも悪くも目立たない生徒に屋上でそう言われた。
高校3年の担任というもの程面倒なものはないと俺は思う。生徒の在学中は進路相談だとか入試情報のチェックだとか三者面談だとか奨学金の説明会だとかセンター試験の応援だとかで上よ下よと走り回る毎日。
卒業しても卒業したのは生徒だけであって、担任だった俺はHRもないのに朝早く出勤せにゃならんし、下学年の授業もあるし来年度の準備もあるし卒業生の進路調査もあるし合否の報告を受けにゃならんしで全然休めない。
卒業して二次終わって合格通知来たら春休みーなんて御気楽な事言ってらんねーんだ、教師ってのは。
で、今日が卒業式から何日経ったか知らんけど、何か国公立の合格発表の日だったっぽい。
午後1番で多串君から「受かった」と電話が掛かってきた。
ってー事は、今日はこれから電話が鳴りっぱなしになるって事か。面倒臭ぇな、チクショー!
私室と化した国語準備室の散らかった机に使わなくなった出席簿を開いて、備え付けの電話が鳴るのに備える。
今年は卒業式前に生徒の半数は既に進路が決まっていた。それは私立大だったり就職だったりするが、決まってないのは国公立組と就職に失敗したマダオだけだからそんなに長時間こうしてなくても良いだろう。
取り合えず、出席簿の多串君の欄に丸を書いて、次の電話を待った。
「受かりやした。しかも首席ですぜ?凄くね?」
「センセー!俺、大学行ってもお妙さんを追い続けます!」
「銀さん!僕やりました!合格しましたヨーロッパ連合!」
「……不合格通知が届きました。」
「私が合格したからって放置プレイしたら……興奮するじゃないのォォォォォ!!」
「合格の文字を認識致しましたので連絡させて頂きました。」
「先生、俺は先生を訴えられるくらい立派な弁護士になります!」
「僕は第一志望に受かった。心配かけたな。」
「合格しました。所で先生、若の卒業写真を焼き増ししてほしいのですが、」
「ワタシガゴウカクスルナンテオモッテナカッタダロ!ザマーミロ!」
「銀ちゃん私受かったヨー!キャンパスライフエンジョイするネ!」
「あー、はいはい良かったな。精々まともな生活しろよ。」
適当な返事をして、受話器を置いたら10秒待つ。電話のベルがその間鳴らないのを確認して漸く一息着ける。
最初の電話を皮切りに立て続けに掛かってきた電話。何だあいつら。打ち合わせでもしてやがったのか。御陰で糖分補給もままならなかったじゃねーか。嫌がらせか?新手の嫌がらせか?
しかし、漸く一息吐けたのだ。
手近に転がってた飴玉を口に放り込み、背凭れに身体を預け出席簿を掲げる。さっきまで殆ど真っ白だったページには幾つもの丸が記入されていた。
「大体何とかなったみてーだな。」
高杉、岡田、武市は何だかんだ言って指定校で進路決まってたし、マダオ以外の就職組は全員卒業式前に決まってたし、報告した奴らは山崎以外皆どっかしら進路決まったみてーだし。
まぁ、山崎は後期で何とかなるだろ、うん。
「あとは、」
出席簿の名前を上からなぞって1人だけ丸もバツも付いていない名前で目を止める。
『先生。私、センターは散々だったけど、二次までに死ぬ程勉強するから、第一志望現役で受かったら1こ御願い聞いてくれませんか?』
卒業式の日、屋上の風で髪を靡かせていた姿が脳裏に浮かんだ。あいつだけ、連絡がない。
受けたのはセンターが8割の学校だったか、難しいだろうと思ったが、一応担任としては少しでもやる気を出してもらわにゃならんと思ってる訳で、その場では軽く是の返事をしてやったが、どうなったんだろうか。
何て考えてりゃ、昼休み終了の予鈴が校内に響いた。貴重な昼休み、一睡もさせてくれなかった元生徒達を恨みながら、欠伸を噛み殺す。
「……あー…次は2年の教室かー。」
安い素材のスリッパを突っかけ、よれた白衣を引っ掛けて俺は最早私室と化した国語準備室を後にした。
*****
「あー、怠ィー。授業ってホントめんどくせーな。」
本日最後の授業を終え、擦り足状態で教室を後にする。授業してる俺ですらこんなに怠ィんだから受けてる生徒は相当怠いだろうな、良く頑張ってるよ、あいつら。このまま帰れたら良いっつーのに、今日はこれから卒業生の進路を纏めた書類作らにゃなんねぇ。これがまためんどくせーんだ。
生徒1人1人の3年間の成績推移だとか偏差値だとかセンターの点数だとか調べて纏める。来年度以降の資料なる訳だからテキトーに書いて提出してもババアが納得するまで何度だって書き直しさせられる。ホントめんどくせーな3年の担任って。
足の踏み場が無いに等しい国語準備室に入って机に着いたら中古で買った仕事用のポンコツノートパソコンを開く。
電源入れて、えーっと、何だっけ、あー、そうそうエクセル。あれで表作れば良いんだよな。縦に生徒氏名で横に進路と偏差値とセンターの出来。あと成績推移はグラフにして…あー、グラフとうやって作るんだっけ?範囲選択してグラフアイコンで詳細設定してー……何これ怠っ!めんどくさっ!
でもワードで表作る方がめんどくせーんだよなー。罫線引くのめんどくせーんだよなー。
ポンコツパソコン故に起動するまでのやったら長い待機時間にやるべきを頭で整理したら元々無いに等しいやる気は単語ごと俺の辞書から消えて無くなった。
「失礼、します…」
手持ち無沙汰にマウスを動かしいると、突然部屋の扉が滑る。
「おいおい、入ってくる時はノックくらい……!」
文句を垂れながら、入口に目を遣れば、校内にいる筈の無い生徒だった奴が制服姿で立っていた。
「先生、私、」
それは間違いなくセンターが散々だったあいつである。
「卒業生が制服着てどーしたよ。」
「3月まではまだ高校生ですから。」
「あ、そっか。」
うちのクラスの生徒だったにしては珍しい畏まった口調に頭を掻いて返した。
「先生、あの、」
暫く黙った後、彼女は足の踏み場がない室内に入って来れない儘、躊躇いがちに口を開く。
「前期の結果を、」
「あー、結果ね、結果。何?態々直接言いに来たの?」
「あ、す、すみません…御忙しいのに…」
何時もの軽いノリで答えると、彼女は少し怯んだらしい。あちゃー、責めるつもりで言ったんじゃねぇのになぁ。
「それで、どうだった?」
今度は出来るだけやんわりと聞き直す。すると構えた態度を少し崩して彼女は提げていた鞄から白い封筒を取り出した。
自分の足元で目をちらつかせている事から、こちらに来たいらしいのは分かったが、前述の通り机に辿り着くのは至難の業。
パソコンもまだ立ち上がってねぇし、俺から行ってやろうと重い腰を上げる。
「あ、」
「悪ぃなー、散らかってて。」
近付くと、彼女は申し訳なさそうに俺の顔を見上げた。
「あの、これ。」
「あー、はいはい。通知ね。どれどれ、」
差し出した封筒を受け取り開かれた口から中の書類を取り出す。直接持って来たって事は、不合格で後期の対策を請いに来た可能性が高い。まあ、元々受かっただろうとは考え難かったから想定内だけど。
失礼ながらそんな事考えつつ、二つ折りの書類を開くと、同時に彼女は一言、こう言った。
「合格、しました。」
「……まじでか。」
目と耳から入って来た情報に俺は固まる。
あれからガチで死ぬ程勉強したのかこいつ。じゃなきゃそんな事って有り得ねぇだろ。
「……凄ぇじゃん。おめっとさん。」
「有り難う御座います。」
驚きと少しばかりの動揺を隠しながらも祝いを述べると彼女は軽く頭を下げた。
つーことは詰まり?
後期の対策を請いに来た訳じゃねぇとすると?
こいつは態々何しに来たの?
しかし、数秒過ぎったそんな疑問を脳裏に鮮明に焼き付いた映像が答えてくれた。
そわそわってーか落ち着かないってーか、そんな雰囲気の彼女がその回答の裏付けになる。
「じゃあアレか。先生はお前の御願い1こ聞いてやらなきゃならないって事か。」
「お…、覚えて…らしたんですか…?」
目線は紙から反らさず、後頭部を掻きながらそう言うと今度は彼女が驚き動揺したらしい。
目を丸くして何度も瞬きを繰り返している。
「おいおい。幾ら何でもそれは失礼じゃね?」
「す、すみません…。」
「まあ、いいや。で、御願いって何?言っとくが先生、金ねぇからな。卒業旅行の資金出せとかは却下だからな。」
「いえ、そういうのじゃなくて、」
そこまで言って彼女は口篭る。俺は白衣のポケットに手を突っ込んで続くであろう言葉を待ったが、中々続きを紡ぎ出さない彼女を見てある違和感に気が付いた。
何か、俯いた儘だけど、仄かに顔が紅潮してない?
例え此処まで走って来たとしても着いてからそれなりに時間経ってるからそのせいじゃねぇだろうし、3月中頃と言えど間違ったって暑いなんて事はない。
学校の金だって事もあって、地球に厳しい俺は3月中頃であろうと暖房ガンガン効かせてっから入口付近だって暖かい訳で寒いから紅くなってる訳じゃねぇだろうし…。思い当たる節がない儘、微妙な空気を纏ったこの空間に西陽が差し込んだ。
……何これ。何この雰囲気。何このもどかしい感じ。
もしかしてアレ?先生、私先生が、的なアレ?え、まじで?
俺、高校教師やってそれなりだけど、初めてなんだけど、こーゆーの。てかアレって漫画の中だけの話だろ?俺に限ってそんな都合の……いやいや、非現実的な事ないだろ?
「せ、…先生、あの、」
たどたどしい、もどかしい口調で話を切り出した彼女に現実に引き戻される。
目の前の女生徒は意を決した表情で俺を見上げていた。
「私、先生が、お、男の人として、好き、です。だから、……振って下さい。」
「……は?」
その口から飛び出した言葉は半分予想通りで半分予想外の内容で、俺は目を屡叩く。
好きだから振ってくれとかどんなM?アレ?俺ってM引き寄せるオーラとかある訳?
「え、何?どゆ事?」
己のアイデンティティーに疑念を抱きながらその真相を聞かんと引き攣りそうな顔を押さえ付けて尋ねる。
一度深く息を吐いて、再び吸ってから彼女はまた俺を見上げた。
「私、高1の時、先生の授業の筋の通った屁理屈に凄く感動したんです。」
あ、結構酷い事言うね、この娘。
「やってる事、目茶苦茶に見えるけど、全部、1本の筋が通ってて、真っ直ぐ延びた信念の上に成り立ってるのが凄いなって、か、格好良いなって……」
決まりが悪そうな情けない笑みを零しながら彼女はまた深い呼吸をする。そして眉を少し顰めてこう続けた。
「でも、私、さっちゃんみたいに自信がないし、所詮一生徒だし、何やっても人並みだから、3年間を何もしない儘終わらせちゃって、」
いやいや、あいつは自信があるとかじゃなくつただのストーカーだし。
「だから、私、そんなのはもう嫌だから、変わりたいんです。」
俺の脳内ツッコミを知らぬ彼女は、凛とした視線で俺を貫いた。褒められてんだか貶されてんだか知らねぇが、不思議と悪い気分ではなく、真っ直ぐなその目に不覚にも脈が速まる。
「だから、先生、何時もの理屈っぽい説教で私を振って下さい。」
先生に言ってもらえれば出来る気がするんです、と付け足して彼女は唇を結んだ。
それはきっと彼女なりの覚悟の姿勢なのだろう。
暫く考えて、俺は溜息を吐いた。
約束だし、御願い、聞いてやらねぇとな。
「お前さぁ、あんまり先生をからかうもんじゃねーよ?」
冷めた言葉を口にすると、彼女は、ぐっと奥歯に力を込めたらしい。僅かに歯の擦れる音がした。
「“先生”が“生徒”に興味がある訳ねーって。歳も経験も桁が違うんだからさぁ。」
徐に合格通知を返して、散らかった室内に戻りながら愚痴の様に零す。
足の踏み場を無理矢理作って机に着けばポンコツパソコンのスクリーンには『テキストを入力して下さい』がスクロールしていた。
「長ぇ人生から見たら3年なんざ一時の思い過ごしに絆されたら残りの人生、台無しだぞ?お前みたいなのが結婚詐欺とかに引っ掛かって散々な思いするんだよ。」
準備室入口の少女とは一切目を合わせずに机の引き出しからノートを引っ張り出しページを剥いで、白衣の胸ポケットから取り出したペンを滑らせる。
「そういう人間にならねぇ為にも、ませた事言ってねぇで年相応の青臭い恋愛でもして大人になれよ。」
あいつが今、どんな顔して何を思っているかは知らないが、字を書く手を止め、ノートの切れ端を軽く丸めて、俯く頭を狙って投げた。彼女は、かす、と音を立てて床に転がったそれに目を遣り、徐に拾い上げる。
「…先生、ごみ箱はこっちじゃ……」
「それお前にやる。」
「…え?」
困惑した表情で俺を見る彼女の手元を顎で指せば、きょとんと首を傾げた。何度か目を瞬いて、手にした紙屑を広げた彼女の反応に口角が上がる。
「…先生…!?」
皺くちゃの紙に記された11桁の数字にか、俺のそんな行動に対してかは知らんが、彼女は口をぱくぱくさせた。
「それでも良いってんなら、“女子大生”になってからそこに電話掛けてみ。まずは御友達からな。」
「何…で……ですか…?」
俺の返答に泣きそうな面で途切れ途切れに言葉を紡ぐ。その本意は汲み取れないが、改めて聞かれると何つーか困る。
「いや、ほら、先生伊達にモテない人生歩んでねーし。女子大生って何か良いじゃん?」
ふざけた様な答えに彼女が困った様に微笑んだのが見えた。
解無方程式
俺の屁理屈×君の決意=答えは無限大
「先生はやっぱり優しいですね、」
「バカヤロー、俺は伊達にモテない人生歩んでねーからがっついてるだけですー。告白された事殆どねーからがっついてるだけですー。」
「さっちゃんが毎日…」
「あれはストーカーだから数に入りませーん。」
fin
20100319
*前次#
戻
ballad
+以下広告+