通行人Aの独白


「あ、待って…!」

伸ばした手も無情、息を上げた私を置いてその姿は遠退いてしまった。

神奈川なんて言えば都会に聞こえるかもしれないが、東京にだって田圃があるんだから、神奈川にだってあの麗しい横浜とは懸け離れた田舎だってある訳で。私の家はそんな田舎に、通学に使うバスは高校最寄りの停留所から2時間に1本と言う始末の田舎にある。
そして今し方、その2時間に1本を逃してしまった。

「は……は、はぁ……」

膝に手を突いて肩で息をする。
2時間どうしよしてくれよう…くそう。
図書室でテスト勉強してたらこの様だよ。私の馬鹿。
無駄だとは知りながら時刻表を確認すれば今行った17時46分の次は19時38分。うわもう最悪か。
学校に戻ろうにもテスト期間だから18時に生徒は完全下校しなければならないので意味がない。親を呼ぶにも免許持ってる父さんは今日宿直だと言っていた。昨日参考書買って財布にお金足し忘れたからファミレスとか入れないし。もう本当に最悪か。
色々考えたけどもう仕方ない、バス停近くにある公園で英文法の勉強しながら時間を潰そう。大丈夫、私みたいな野暮ったい我利勉に危険なんてそんな無縁な。

ある程度息を整えてから私はとぼとぼと公園を目指す。
学校の立地はうちの田舎と違ってそれはもうこれぞ神奈川!と言った場所にあるから、割と人通りが多くて近所の未就学児連れのママさんとか小学生とかこの時間でも結構いる。そろそろ晩飯時でしょうに、帰んなさいよ。あ、お腹減った。まあお金ないから耐えるしかないんだけども。

ぐるぐる鳴くお腹を抱えながら親にバスを逃したと連絡をし、街灯下のベンチを探して歩いて回るも、この初夏も暑いのにベタベタしているカップルでめぼしいベンチが埋め尽くされていた。なんだよもう。今日は厄日か。

うろうろする事、5分。バスケットやらテニスやらサッカーやらの練習が出来そうなコートがある辺りに漸くベンチを見付けた。季節柄この辺りの学校はどこもテスト期間なので、フェンスに囲まれたコートは何処もガラガラで誰も使ってないのだけれど、税金を使ってライトは煌々と点いているので明るさは申し分ない。住んでる地区は違うけど、まあ細かい事は気にしないで、これなら税金を返してもらいながら勉強できる。一石二鳥だわ。誰も居なくて静かだし、不幸中の幸いとはまさに。
そんな訳でバスケットボールのコートに面したベンチを陣取って、鞄の中からノートと教科書の朗読CDをダウンロードしたウォークマンを引っ張り出した。聴いたものを書きとって意味を覚えればリスニング、ライティング、文法を一気に勉強できるから英語は楽で良い。
イヤホンを嵌めてさあ、楽しいテスト勉強を始めよう!……とした時、ギィと金属の硬い音がした。

再生を始めたウォークマンからは教科書の文章が流れているが、何となく其方を見てみると、うちの高校の制服を着た男子がコートに入っていく姿。
高い身長に黒くて短い髪、ちらりと見えた横顔の凛々しい眉毛が印象的。真面目そうな厳しそうな、そんな雰囲気。
彼はフェンスの内側でブレザーを脱いだり腕捲りをしたりボールを鞄から出したりとどうやら自主練を始める準備をしている。

このテスト期間に自主練とかなにそれ、勇者か。

まあうちのバスケットボール部はテスト期間でも当日以外は部活動を許されてる唯一だから、テスト期間だろうが何だろうが構わないんだろうけど。

と言うのも、良くは知らないが、うちの高校のバスケットボール部はかなり強くて、大会常連の上に成績とか良いからそんな許可が下りているらしい。
そんでもって今年はどっかの名門バスケットボール部のある中学からナントカの世代とか言うキセくんだかセキくんだかって凄いのが入って益々勢い付いてるとか何とかってのを風の噂で聞いた。
そんな強豪校が近くにある所以か、この公園のバスケットボールのコートは広いし、シュートする網?籠?も3つくらいある。

まあ、私には関係ないか。
勉強だ、勉強。

とリスニングに集中にしようと身を屈めたのが、コートに立つうちの生徒が自主練を始めたのと同時だった。
コートに面してはいるが、例の彼は私から一番離れたコートを使っていて、私もイヤホンをしてるので支障はなかった、つい今までは。

「わあ!あのお兄さんすげー!!」

子供の甲高い声とフェンスの揺れる音はイヤホンの遮断を突き破って私の耳に届いた。

「ほんとだ!」
「あの鞄、カイジョー高校じゃん!」
「すっげー!!」

何事かと見れば、小さなバスケットボールを持った4、5人の小学3年生くらいであろう少年達がフェンス越しに甚く興奮した様子でうちの生徒が練習しているのを見ているじゃないか。塾帰りだろうか、ランドセルは背負ってない。
コートの彼は特に気にもしないで練習を続けていたが、小学生達は嬉しそうにフェンスの内側へ入っていく。

うるさいなぁ、と思いウォークマンの音量を上げれば、声は聞こえなくなったが、切れてしまった集中力は戻らなかった。何とも恨めしい。
小学生達を睨み付けたが、私の視線は届く筈もなく、尚も興味津々な彼等は何事かうちの生徒に話し掛けはじめた。彼も練習を中断して小学生達と話をしているらしい。
途切れた集中力が戻るまで、暫くその様子を観察していると、小学生達が彼に纏わり付いて手を引き始めた。
……見た所、小学生達もバスケットボールをしてるらしいから教えてくれだのの御強請りだろうか。
高い背を屈められて、初めは驚いた表情を浮かべて戸惑っている様子の彼だったが、なかなかしつこい小学生達に到頭根負けしたのか、分かった、分かった、と何度か首を縦に振った。すると小学生達は飛んで跳ねての大喜びで、やったぁ!と言う叫び声がまたイヤホンの遮断を突き破る。ああ、集中力がまた遠退いたじゃないか、おのれ、小学生…。

この小学生が居る限り、ここでは勉強出来ないから場所を変えようと簡単に道具を片付けて私は立ち上がった。依然大喜びの小学生に恨めしげな視線を飛ばしつつ、去ろうとした時に、ふと視界の端が捉えたものは、先程の彼で。
軽い溜め息を吐いて小学生達を見守る彼は、呆れた様に、困った様に、だけどとても優しく微笑んでいた。
最初の凛々しくて厳しそうで真面目な印象からはまるで想像もつかないその笑顔に、鈍器で頭を殴られた様な衝撃が走る。動いていた足が思わず止まって、つい見入ってしまいそうだ。

「おい、何時までやってんだ、シバくぞ。教わる気ねーなら帰れ。」

小学生を咎めるそんな彼の声に我に返る。何となく居たたまれない気持ちに襲われ、誤魔化すように時計を見ると、何と吃驚19時35分。

「…嘘っ!?」

私は半開きの鞄もそのままに慌ててバス停へ走った。







fin

笠松先輩が大好きなとある方へ。

20140608

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ballad

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