グロリオサに恋をした


「お嬢様!!お嬢様……っ!!」

穏やかな朝。
ばあやに髪を梳かしてもらっている時の事。
大きな足音と悲鳴にも似たそんな叫び声を伴なって部屋に飛び込んできた。見ればこの春、奉公に入ったばかりの若い下女が血相を変えて立っている。

「貴女!無礼ですよ!!」
「っ!お嬢様っ!大変で御座いますっ!!」

許しも得ずに扉を開けた下女をばあやが叱責すると、下女は僅かに怯んだものの、構わずに言葉を紡いだ。
無視をされた背後のばあやは立腹で震えているけれど、どうも火急の用らしい事が解る。

「良いのです、ばあや。急ぎの報せでしょう。」

今にも怒鳴り上げそうなばあやを窘めて下女を向く。
肩で息をしながらも顔面は蒼白で、あまり良い報せではなさそうだ。

「貴女、どうしたというのですか?」
「きっ、……杏寿郎様が…ご、御逝去されたと…!」
「………え、」

背後でからん、と櫛が落ちる音を聞いたあと、目眩がしてそれからはあまり覚えていない。





物心がついた頃にお前の許嫁だと紹介された少年が煉獄杏寿郎様でした。
炎の様な髪と力強い太陽の様な瞳に快活な声で話す姿が強烈な五つ歳上の少年。初めての顔合わせで訪れた御屋敷の案内に手を引いてくれた事は強く印象に残っております。

煉獄の家は巷で囁かれる鬼狩りの一族である事はその帰りに聞いた話でした。嘗ての我が家門の主が命を救われた事から縁付いて支援をしていると言うお父様やお祖父様は実に誇らしげだったのです。
そんな家族の姿を見れば、幼いながらもこの縁組が素晴らしいものであるとどうして疑うことができましょう。私の手を引いた杏寿郎様の笑顔も、未来を夢見て胸を膨らませるには充分すぎていたのですから。

しかし実際は、たまに送られてくる文に返信をするだけの名ばかりの関係でした。
鬼狩りの名家に生まれ、御当主様の背中を追い、技を受け継ぐため日々鍛錬に任務に励んでいるのだからあまり便りが無いのは当然の事です。けれど幼い私はそれに捻くれて返信を遅らせたり出さなかったりと何とかその気を引こうと必死でした。
我ながら何と稚拙でしょうか。故にそんなことで五つ歳上で過酷な訓練を積む許嫁が振り向くはずなどなく、文の届く頻度は何ら変わりありませんでした。

そんな杏寿郎様と再び顔を合わせたのは今から八年前の事。瑠火様の御葬儀の時でした。
御当主様は憔悴しきっており、棺の傍で呆然とするばかりで、代わりに場を仕切りる杏寿郎様の御姿は幼くも立派で大人そのものであった事を覚えております。
そんな姿に私は己の稚拙な行いを大いに恥じました。これからは捻くれていないできちんとしなければ、ゆくゆくは私が御支えするのだからと、そこで一つ大人になれた様な気がしたのです。

けれどその後、たまに来ていた文の頻度が今まで以上に少なくなりました。奥方様を亡くした御当主様が自暴自棄になったと噂で耳にしていましたし、その頃にきた文には昇進したともあったので、忙殺されているだろう事は幼い私ですら想像に易く、我慢もできたのです。
無理に返事はいらないからと添えて送った文にすら、短くとも遅くなろうとも律儀に返信が届きました。
近況の報告ばかりで色気のない内容でも堪らなく嬉しくて、封が届いた時のあの気持ちを思い出すと今でも胸が高鳴ります。

ああそう言えば、別の意味で胸が高鳴ったこともありました。
煉獄の家に愛らしい少女が出入りしていると噂に聞いた時でした。文の回数もめっきり減っていた事もあって気が気ではなくてこっそり覗きにも行ったのです。
見目麗しく朗らかでしかも肉感的な少女にそれはそれは醜い嫉妬を募らせたものの度胸がなくてそのまま逃げ帰るなんて私は臆病者でした。
けれどきっと、杏寿郎様は私が行ったことなど気付いておられたのでしょう。数日後に弟子だと、案ずる事はないと文が届いたのですから。
もうその文を読んだ時には顔から火が出ると思いました。
覗きに行ったのに気付かれていた事、嫉妬に気を揉んでいると思われてしまった事、何よりあの誠実の権化の様な御人を疑った己の事、体裁の悪さと恥ずかしさと申し訳無さと諸々綯交ぜになった感情のやり所に戸惑ったのですから。堪らず枕に拳をぶつけるなんて、あんな事をしたのは生まれて初めてだったのです。





「到着致しました。」

はた、と我に帰った時、私は馬車に乗っていた。
何だか長い夢を見ていたようだけれど、はて、着いたとは何処に?
目の前にはハンケチで目元を拭っているばあやがいて、ふと目を落とせば喪服の袖から己の指先が覗いている。何方かのご葬儀なのだろう。
促されるままに馬車を降りると見覚えのある門構え。
開かれた門をくぐった先には、燃えるような髪に太陽の様な瞳の少年が。

「貴女は……もしや兄上の…」

呼び掛けるより早くこちらを振り向いた少年の声に言葉を呑み込んだ。

何かしら……何かが違うような……

そのまま固まってしまった私に代わり、ばあやが少年へ駆け寄ると何か耳打ちをしている。
そして少年は頷くと私に頭を下げた。

「初めまして、杏寿郎の弟の千寿郎と申します…こんな形でお会いする事になるなんて……」
「あ……私は……」
「…存じております。………本日は…兄の為に…っ、御足労頂き感謝申し上げます……っ」

鼻にかかった震える声はそう言うと再び頭を下げる。
私の手を引いてこの屋敷を案内してくれた姿と殆ど違わぬのに……彼は杏寿郎様では無いと言い、本日は兄の為に、と言った。

………ああ、そうか。
あの若い女中が部屋に飛び込んできたのは夢や幻ではなくて…

「……現実ほんとう、なのですね…」

ぽつりと零した言葉に彼によく似た少年が肩を震わせて頷いた途端に例え難い虚無感に襲われて目の前が滲んだ。

おかしいわ。
片手で数えて余る程しかお会いしていない。
声なんてとっくに忘れてしまうくらいしかお話しもしていない。
やっと一束できる程度の文の遣り取りしかしていない。
そんなお相手だったのよ。
私の日常なんてこれからも殆ど変わらないのに、それなのに、これは一体なんだというの。

「兄は……幸せだったと思います…」
「……え、」

呆然と滲む景色に佇む私に、また少し震えた声が語り掛ける。

「普通の許嫁のように…振る舞うことが出来なかった兄のために……涙を流してくださる方と……縁組みができたのですから…」
「………なみだ…?」

ゆっくりとまばたきをすると、つ、と頬が濡れた。

ああ、私は泣いているのね。
ぎゅっと絞られているのに隙間風が通るような強烈な虚無感が寂しいからなのでしょうか。
しきりにまばたきをしても滲む視界が鮮明にならないのが辛いからなのでしょうか。
この遣り場のない気持ちの処理の仕方が分からずに困っているからなのでしょうか。
もう二度と会えない現実を受けいられないからなのでしょうか。

答えはきっと解っている筈なのに、それを認めてしまうとなお辛くなるのが目に見えていて、知らない振りをしていたかった。

でももう駄目ね。
知らん顔なんて続けられそうにないのだから。



そうでなければ何だと言うの


fin

オニメツはアニメしか見ていませんが、許嫁がいたかもしれないなぁ、いたらどんな感じかなぁ、という妄想でした。


20230506

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ballad

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