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 テーブルに突っ伏すアルトリアを見て、ベディヴィエールが小さく苦笑する。理由はその光景が面白かったから……ではなく、アルトリアの前に置かれた皿がきれいになっているのが確認出来たからだった。ほんの数刻前まで、そこにはアルトリアを慰めるためにベディヴィエールが作ったりんごとバタースポンジのトライフルが入っていた。

 食べるのを専門としていたアルトリアが初めてスコーンを焼いたのは、二時間程前のことである。
 生地を混ぜて焼いただけの素朴なものではあったけれど、焼き立てのそれを味見した彼女は満足そうに瞳を輝かせ、見ているこちらまで幸せになるようなとびきりの笑みを浮かべた。ベディヴィエールもひとつ味見させてもらったが、確かに申し分のない出来栄えだった。
「美味しく出来ていますね」
 ベディヴィエールが太鼓判を押すと、彼女はいそいそとスコーンを皿に乗せ、クランベリージャムとクロテッドクリームを添えて(急ぐあまりに出しっぱなしにされたジャムとクリームの小瓶は、ベディヴィエールがそっと片づけた)、テラスで日向ぼっこをしている父親――マーリンの元へ、それを運んだ。
「おや。今日のおやつは心して食べないといけないね」
 などと茶化しながらスコーンを齧ったマーリンは――「うん。とても美味しいよ」と、ベディヴィエールと大差ない感想を卒なく述べた。アルトリアは喜んだ……が。勘の良い彼女はどことなく違和感を覚えてしまったらしい。「どう美味しい?」「何の味がする?」と質問を並べたてられると、下手なことは言えないと思ったのだろう、普段はあれだけ口の上手いマーリンが口ごもった。
「アルトリア。マーリンを困らせてはいけませんよ」
 ベディヴィエールが助け船を出したのと、「……もしかして味が分からない?」という質問をアルトリアが口にしたタイミングは、ほぼ同時だった。

 いつかこういう日が来るかも知れないとは思っていた。ショックを受けた様子のアルトリアをちょっぴり心配したが、どうやらそれは食べ盛りの彼女から旺盛な食欲を奪うほどの衝撃ではなかったようだ。



 わざと大きめに音を立てて、ベディヴィエールはアルトリアの横に腰掛けた。黒いリボンでひとつにまとめた張りのある金髪――本当の父親の髪質にとてもよく似た、それ――を優しく撫でる。
「私も、気付いたのは一緒に暮らし始めて暫く経ってからでしたよ。何を食べても「おいしい」としか言わないから、最初は単に食に拘りがない人なんだと思っていました。人に気づかれたくなくてそう言っているのではなく、そう振舞った方が楽だからそうしてきたのが習慣化してしまったみたいですね。……アルトリアはあの人に味覚がないことが嫌ですか?」
「別に、味覚がないこと自体は嫌ではない。ただ、適当な嘘を吐かれたと思うと不愉快にはなる」
 アルトリアの返答にベディヴィエールは安堵した。「味覚がない」のは歴然たる事実であり、そのこと自体に嫌悪感があるならどうしようもない。けれど不機嫌の理由が他の場所にあるなら、宥められるかも知れない。
「マーリンの言う「美味しい」は、完全に嘘というわけでもないんですよ」
「舌が無いようなものなのに、何故?」
「一緒に食事する人が『美味しい』と感じると、それは彼にも伝わるんだそうです。同じように気持ちのこもった料理を食べた時も『美味しい』と感じるんだとか。私たちの感覚とは少し違うかも知れませんけどね。「アルトリアの『美味しい』は特に美味しいから、このところ本当に食事が楽しみなんだ」と以前仰っていました」
 父親に味覚を探られるなど、年頃の娘としてはあまり嬉しくない話である。アルトリアが不貞腐れ続けていると、ベティヴィエールはそろりと顔を近づけて、こっそりと耳打ちした。
「悪いことばかりでもないのです。以前、……とても腹が立つことをされたから、マーリンの紅茶に砂糖ではなく塩を入れてやりました。大きなスプーンで二杯も。でも全く気付かれませんでした。塩入りの紅茶を「美味しい」と言って、あの人は普通に飲み干したんです」
 物静かで穏やかな母から、こんな話が出てくるとは思わなかった。アルトリアは思わず顔を上げる。
「いや。ちょっと、ベディ。今の話本当かい?酷いなぁ」
「そんなものを出される己の行いを恥じて下さい」
 そしてアルトリアが顔を上げた時には、向かいの椅子にはしれっとマーリンが座っていた。音もなくふっと突然現れる父親も、少しも動じるところの無い母親も。娘であるアルトリアにとっては全ていつも通りの風景だ。



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